脳のミステリー

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一年経った今、気仙沼では・・・(庄司幸男氏の報告から)

2012-04-13 20:53:09 | Weblog
昨年8月に紹介した気仙沼の男性から「近況報告」を戴きました
振り返ってみて、苦しい事、辛い事一色でしたが、全国の人々から物心両面にわたる多大なご支援に感謝の気持ちでいっぱいになりました、と言ってきました。

仮設住宅では、見えない処にニーズが潜んでいて、それを掘り起こすには頻繁に訪れてそこの人々と仲良くなる事から始めなければ真の姿が見えない、とも言ってきました。
そこに実際に住んでいる人々に必要なのは「物」から「心」に移ってきている、と言うのです

被災地から、物は溢れるほどあるのでもう要らない!」という全くの風評被害に近い言葉を耳にする、と言っています。
初めは、確かに大量の支援物資が入ってきて・・・無差別に広げられて、集まった住人達に時間限定で持ち帰らせた結果、半分ほどが無駄になって更に悪い事には狭い仮設住宅を塞いでしまったのが現実だ、と言うのです。
極めて事務的に、機械的に配布したからでしょう。
そこに「心」はついていなかったのでしょうかね~~~

気仙沼には、ふたつの大きな課題があると、地域の人は言ってます。
ひとつは、被災者を中心にした生活課題であり、もうひとつは気仙沼の漁港の在り方です。
被災当初は「今を生きること」に気持ちが集中し、地区の人間全員が一体になって助け合おうという事でした。
でも、仮設住宅が出来、地域社会の崩壊が始まってきて、問題が広がり且つ多岐にわたってきた、と言うのです。

人々は「今、とにかく行動を起こさなければ前進しない」とみな一様に思っているそうです。
その意気込みが熱く感じられる現在の気仙沼だ、と言うのです。

でも、再生の方向がはっきりしないで、先が見えないので・・・人々の意欲や意気込みが削がれている現状を否めない、と苦悩を・・・
国・県・被災地の考え方がバラバラで、行政システムが復旧復興のテンポやスピードを落として邪魔している・・・
地盤沈下の街をどうするのか
瓦礫の処理は
自分の土地なのに規制されていて家を建てられない
流失した水産加工場は再建するのか
今まで働いていた人々の失業保険は期限切れで無収入
再就職の道がなく、故郷を去る人達・・・結果、人口が減少する

テレビで気仙沼の仮設商店街オープンの映像が・・・私も見ました
そこは、かつては賑わいの繁華街・・・今は荒涼とした被災地
以前、商売をしていた人達が力を合わせ、面倒な行政の手続きを乗り越えて自分たちで立ち上げたのです。

小さな声で・・・東京のある場所で「被災地からの野菜」を週一回、テントの下で販売していましたが、行政が管理する施設から帰宅しようとする老人が野菜を手にとって自分からお金を払おうとした時「ダメ!ダメ!施設から帰る時はダメ!」と係の人が制してました。
老人は、怪訝な顔をして「何で?自分の金で買うんだよ!」と言い返していました。
係の人は「施設に来ない時は勝手に買ってもいいけど、来ての帰りはダメ!」・・・咎められた老人は憮然とした顔で「訳が分からん!」と口答えをしていましたが・・・

仮設商店街オープン当初は、ご祝儀気分で賑わい、客層の中心は各地から来ていたボランティアさんが主になっていたけど、今はその人達が減少中だと、言うのです。
被災地視察に来た貸切バスの人達の足が向かうのは・・・食べ物屋さん以外は閑古鳥が・・・
市民がぶらりと立ち寄って一杯とはいかないのが気仙沼だ、と嘆くのです。
遥か彼方の東京の人間には考えられません
春が来て、夏が来て・・・流れが変わる事を祈るばかりだ、と言うのです

余談ですが、こんな歌を知ってますか

『気仙沼においでよ』作曲 矢野顕子:作詞 矢野顕子&糸井重里

気仙沼に おいでよ
気仙沼で 待ってるよ
晴れても 曇っても 雨でも
みんな おいでよ
いつでもいいよ

気仙沼は 海の町
気仙沼は 人の町
じじばばも おとなも 赤ちゃんも
みんな 元気さ
ぴちぴちなんだ。

かなしいこと つらいこと
山盛りあるなら
たのしいこと うれしいこと
その倍は あるのだ

気仙沼で 会おうよ
気仙沼で 笑おうよ
海ねこ 犬ねこ 魚のこ
みんな おいでよ
ともだちだもの

みんなおいでよ
いつでもおいで

気仙沼・・・私はやっぱりあの歌・・・そう、森進一の「港町ブルース」(作詞:深津武・なかにし礼 作曲:猪俣公章)の2番目の歌詞が・・・
流す涙で割る酒は 騙した男の味がする あなたの影をひきずりながら 港 宮古 釜石 気仙沼
一杯やりたくなりますよね~~~
2000年、宮城県気仙沼市内の港ふれあい公園に本楽曲の歌碑が建立され、除幕式には歌手森進一も参加した、という事でした。
歌碑の前に立つと森進一が歌う本楽曲の2番までが流れる仕組みで、碑に彫られた歌詞は「気仙沼」の文字列のみがほかの言葉よりもやや大きく刻まれたものです。
2011年3月11日に発生した東日本大震災では津波により被害にあったのですが、幸い流失することはなく、現存しているそうです。
そして年末の第62回NHK紅白歌合戦では、東日本大震災復興支援をテーマとして1969年以来42年ぶりに森進一は歌唱したのです。
さぞかし、感無量だったのでは

漁港、港町・・・気仙沼の漁業・・・無論単に「船が沖に出て魚を獲ってくる」という単純な仕事ではありません。
①優秀な漁船と優秀な乗組員
②魚を水揚げする施設の完備
③超低温冷凍冷蔵庫・製氷工場・加工処理施設・燃料基地等などの設備が整っている
④船のメンテナンスが万全
⑤整備された輸送環境
⑥長期出漁の為の生活必需品調達が容易
⑦そして・・・船員の留守家族が安心して暮らし、入港した船員達がゆっくり休養出来る地域
これらの要件が揃ってはじめて「漁港・みなとまち」が成立って訳ですね

リアス式海岸という天然の良港の中で、優秀な漁師と船を取り巻く匠が揃って、湾内養殖・近海漁業・沿岸漁業・遠洋漁業が発達し、栄えてきた町が気仙沼
誇りに思って生活してきた気仙沼が一瞬にして無くなってしまったのです。
途方に暮れるのは当然

でも、東北人の根気強さ・粘り強さが世界中の人に期待されていると、気仙沼の人達は思っています。
「被災地を見たいけど、邪魔になるのでは・・・」と言う人もいるでしょうが、気仙沼の人達はそうは思っていません。
歴史に残る震災の現実を広く多くの人々に見てもらい、記憶に留め、伝えて貰いたい、と言っています。

近況報告を私に送って来て下さった庄司幸男氏は
「視察ご希望の折には是非ご一報下さい。及ばずながら旅程・宿泊・等などご案内させて戴きますので、ご遠慮なくお申しつけ下さい」
勿体ないような言葉を戴きました。

車椅子生活者の私は、盲導犬仙台センター募金活動に留めさせて戴いておりますが、喜んで庄司様との連絡係になります





長々と書き綴り、読んで下さってありがとうございました


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