もう30年以上も前の話になるが、富士山の雄姿を写真に撮ることにハマったことがあった。
金曜日の夜の10時頃まで残業をやった後に、東名高速をぶっ飛ばし愛知県から富士山の麓まで
よく出掛けて行ったものである。 夜明けの御来光の一瞬を撮らえる為である。
暗いうちに撮影スポットに着かなければいけないし、遠路はるばる行っても富士山が顔を隠して
いるというリスクをなるべく少なくする為に、冬場に出掛けることがほとんどであった。
撮影スポットには大勢の同好の輩が三脚を立てて場所取りを暗いうちからやっており、太陽が
昇り切ってしまい空気が温まってくると、靄ってくるのでシャッターチャンスは、日の出から
僅か30分間ほどである。 その後は太陽が上昇してくるに従い、同好の輩の姿も消えていく。
本栖湖から 1986 Dec. 撮影 F2+Tokina AT-X 100-300mm
当時はバブル絶頂期でカメラにも随分と投資も出来たが、バブル崩壊と共にカメラもデジタル化
の時代となり投資を回収しないうちにアナログカメラも埃を被ってしまう結果になってしまった。
ここのところの天候不順で出掛けることも億劫になり、箱の中に放り込んでいた当時の写真を
眺めていて、正月と富士山という時節がら縁起のネタを提供してみたくなった次第である。
もう一つ、デジタルカメラは確かに解像度に優れておりシャープな映像であるが、アナログカメラ
の柔らかい映像も捨てがたく、富士山という被写体で比較してみたくもなった。
<富士五胡のロケーション>... 湖を手前にした富士山の雄姿が愛好家の定番スポットのようだ。
1.山中湖からの富士山
山中湖は最も大きな湖で、何処からも富士山をうまく捉えることが出来るが、「ママの森」
からの眺めが定番スポットになっている。
ママの森見晴らし台より 1990 Sep. 撮影 F2+Nikkor 20mm
1990 Nov. 撮影 F2+Nikkor 50mm
1991 Jan. 撮影 F2+Nikkor 50mm
2.河口湖からの富士山
中央高速道路から出て直ぐの所にあるため都心からの観光客で賑わう。
1986 Dec. F2+Nikkor 50mm
3.本栖湖からの富士山
旧5千円札と新千円札の裏側に印刷されているほど代表的なスポットで最も愛好家が集まる所。
1986 Dec. 撮影 F2+Nikkor 50mm
1991 Nov. 撮影 F2+50mm
4.西湖からの富士山
精進湖と並んで自然が多く残っており、キャンプ場として賑わう。
1991 Nov. 撮影 F2+50mm
5.田貫湖からの富士山
田貫湖の逆さ富士は、晴れた早朝は確実に出て美しいと評判。
1991 Dec. 撮影 F2+50mm
6.朝霧高原、南麓からの富士山
湖はないが、なだらかな山裾に広がる牧歌的な風景が富士山を穏やかに見せる。
1991 Nov. 撮影 F2+50mm
7.富士川S.A.からの富士山
東名高速道路の中で最も景色の良いサービスエリアかも知れない。
1993 Oct. 撮影 F2+50mm
富士川S.A.は東名高速を降りる手前で、朝食を摂ることを常としており、あの牛丼の味が
忘れられない。 思い出の懐かしい味、また食することはあるだろうか。
ここからはデジタルカメラでの撮影となる。
8・西伊豆から海を挟んだ富士山
伊豆大瀬崎海岸から 2005 Jan. 撮影 D70+Nikkor 18-135mm
伊豆戸田海岸から
伊豆戸田港から
<追加; Dec. 28, 2018>
最近読んだ本の中(童門冬二の「銭屋五兵衛と冒険者たち」)で、この港は1854年の安政
の大地震で、下田港に和親条約の為に停泊中のロシア艦艇ディアナ号が座礁し、その代替
洋帆船を日本とソ連の協力で建造した港であり、日本開国時の歴史の舞台の一つでもあった。
9.東名高速道路サービスエリアから見える富士山
先ほどと、ほゞ同じアングルであるが、デジタルカメラの方がやはり技術の革新は当然の理
であろう。(現像というもう一つのバラツキファクターが無くなったことは大きい)
富士川S.A.から 2005 Jan. 撮影 D70+18-135mm
由比S.A.から 2005 Jan. 撮影 D70+18-135mm
結びとして、近年話題のロボット技術、SNS、人工知能AI、クルマの自動運転等は、
コンピューター技術の革新はもとより、このカメラ技術(センサー)の革新とが結びついて
実現した偉業、また達成できる重要な将来技術の一つと改めて思う次第である。
昭和から平成へと激動の時代であったような気もしないでもないが、次はどうなることやら...
幸せな時代が来ることだけを望む。
これにて「富士を撮る」は、お終いです。