撮り旅・ヨーロッパ

ハンガリーを拠点にカメラ片手に古い教会を主に写真撮影の旅を楽しみ、そこで拾った生活、文化情報を紹介します。

バラトンそぞろ歩き 古城(4)その1

2017-12-25 18:39:48 | 海外生活

 バラトン湖周辺で、城の形を留める最も大きい古城はヴェスプレーム (Veszprám) の城である。

この城(町)が、ハンガリーの国作りに非常に重要な宗教的な役割を担っていたので、多少長く

なっても、この国の土地を使わさせて戴いている身分として、忘れない為にも記しておきたい。

ハンガリーは建国1000年以上の歴史を誇る非常に古い国であり、9世紀末頃に、もともとは

ウラル山脈の麓で暮らしていたマジャール民族が次第に西に移住して、最終的に7つの部族が

今のハンガリーの地であるカルパチア盆地に定着した。

この7つの部族を取りまとめていたのが、ゲーザという部族長で、その息子が初代の王となる

イシュトヴァンである。

997年に首長ゲーザが亡くなると、息子イシュトヴァンは首長の座を継承する為に、親戚の

宿敵コッパーニと戦うことになり、ヴェスプレーム郊外で勝利を収めた。

後に、ハンガリーの北部にある町エステルゴムでハンガリー国王として戴冠し、キリスト教に

改宗した彼は、キリスト教を国教にすると共に、ヴェスプレームに城を改築*し司教座も置いた。

(1009年)   * 古文書に依ると、マジャール族がこの地を征服した時には、城は

           すでに存在し、おそらく9世紀にフランク族の要塞であったようだ。

国王となったイシュトヴァン1世は、ドイツのハイエルン大公ハインリヒ2世の娘ギゼラを妃に

迎え、ヴェスプレームの大聖堂で、彼女が初代のハンガリー王妃として戴冠した。

その後、歴代の王妃もここで戴冠し、この町に住むようになったので、ヴェスプレームは

「王妃の都」または「王妃の町」と呼ばれるようになった。


 ヴェスプレーム城塞全景


<ロケーション(広域)>

ヴェスプレームの市街環状線より、各主要都市に網目のようにアクセスでき、人口はさほど多く

ないが(62,000人)、ハンガリーでは基幹都市の一つである。


<市街地マップ>

 ヴェスプレームは7つの丘で構成されていると云われる坂道の多い街であり、ヨーロッパの

 典型的な田舎にある閑静で美しい小さな城下町である。(上記地図の朱丸位置が撮影場所)

 城内に入る前にこの章では、城外を紹介する。 ...... 訪問日 20 Dec. 2017


◆城北の方角;  

          城下の聖マルギット廃墟より城塞を眺める。


● 聖マルギット廃墟;聖カトリーヌ・ドミニカ修道院が正式名、1240年の建立で、現在は廃墟。

    国王ベラ3世の娘マルギットは聖人と称せられ、1246~1252年まで、ここに暮らした。


        ベネディクトゥスの丘 (Benedek-hegy) から城塞を眺める。


◆城西の方角;

        聖ラスロー (Szent László) 教会から城塞を眺める。

 

● 聖ラスロー教会; オリジナルは15世紀に建てられたが、トルコ軍によって破壊され、

          現在の物は、1902年に新ロマネスク様式で再建された。


  城下からの眺め(火の見塔 Tűztoronyの下付近)


● 聖アンナ礼拝堂;オリジナルは、1724年にバロック様式で建てられた。現存は1907年に改築。


● イェジュイタ (Jezsuita) 教会廃墟;

  1747年にバロック様式で建てられたが、1773年より廃墟になっている。


◆ 城東の方角;   

     ベネディクトゥスの丘の下から城塞を眺める。

 手前はセード (Séd) 川で川幅は狭いが、枯れることなく延々と郊外まで続く。  

         ....「バラトンそぞろ歩き(3)美しい村たち」 19 Sep. 2017 投稿を参照。


● 聖マルギット (Szent Margit) 教会; 1938年にネオバロック様式で建立。


◆ 城南の方角;  

  オーヴァロシ (Óváros) 広場。城へはここから入るのが一般的(北側から入る道もあるが)


◆ヴェスプレームMAV駅; 市街より北へ3kmと遠く離れている。

11:00発 ジュール (Győr)行き(12:59着)、ブダペスト行きは1本/時間あり (1.5時間所要)

 

    これにて、「バラトンそぞろ歩き 古城(4)その1」は、お終いです。

 

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