「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「エコノミック.クラス症候群」死と肥後もっこす

2016-04-20 06:30:53 | 2012・1・1
熊本大地震は依然として大きな余震が続き収束への兆しが見えない。そんな中で10万人もの人たちが不便な不安な避難生活を送られている。心から同情いたします。心配なのは避難者の中から「エコノミックス.クラス症候群」によるとみられる犠牲者が出てきたことだ。西日本新聞社が熊本市内の4病院に当たって調べたところ、亡くなられた女性のほかに21人もの患者がおり、みな車中で避難生活を送っていた方々だという。

「エコノミックス.クラス症候群」とは、飛行機の狭い座席に長時間乗り、このために脚に血栓ができ、これが肺血栓を引き起こす病気である。2004年の中越大地震の時も車中泊の避難者が6人犠牲になっているが、あまり話題にはならなかった。しかし、今回の熊本大地震では、何故このように大勢の「症候群」の患者がが発生したのであろうか。地震発生時の季節や津波などとも関係があると思うが、テレビ画面で見ると、益城町の被災地などでは、戸外の駐車場で大勢の方が車中泊されている。

車中泊の避難生活は、老人を抱えた大家族だったり、ペットがいたり色々な事情があるようだが、熊本県民の県民性”肥後もっこす”も影響しているのではないだろうか。ネットで”肥後もっこす”を調べると”剛健で正義感が強く、恥やメンツにこだわる”とある。もしかすると、市や町が用意した避難所に入ることに、恥やメンツから抵抗がある方がいるのかもしれない。

気象庁によると、まだ余震は1週間は続き、警戒が必要だという。でも余震が収まってもすぐには帰宅できない避難者が多い。路上での避難生活では限界がある。政府は長期避難者のために、何をおいてもすぐ仮設住宅に取りかかって欲しい。

「TPP国会」 か「地震国会」か

2016-04-19 07:16:21 | 2012・1・1
熊本を中心に余震がまだ頻発しているさ中に国会衆院TTP特別委員会が再開された。野党がいうように果たして、この時期に審議するのが妥当かどうかだが、昨日、テレビで審議を見ていると、野党の質疑もTPP より、地震に集中していた。それでも、審議が停まっていた国会が再開できたのはよい。

2011年3月11日、東日本大震災が起きた時、国会は参院決算委員会が開会中で、菅直人総理の在日韓国人からの政治献金問題が審議されていたが、震災発生と同時に国会は中断され、総理のこの問題もどこかへ、すっとんでしまった。

熊本大地震発生から4日目、南阿蘇町では9人の行方不明者の捜索が続いているが、東日本大震災の時は、規模や津波もあって同一視はできないが、発生4日目では、まだ南三陸町では1万人の安否が気遣われていた。当時の小ブログの見出しを紹介すると”後手後手の政府の対策””しっかりしてくれ無政府状態””司令塔のない救援活動”といった状況であった。

民進党の議員が安倍総理が、予定していた熊本被災地への訪問を中止した問題をとらえて質問していたが、東日本大震災の際の菅総理(当時)の地震直後の福島第一原発視察が、指揮系統を混乱させた問題には言及していなかった。こういうのを「藪蛇」といのでは、なかろうか。「TPP委員会」である。地震対策は政府に一任し、ここはTPP問題に集中すべきではないだろうか。国民が期待しているのは、政治が前に進むことである。



気象庁は「余震」の頻発について説明してほしい

2016-04-18 07:19:23 | 2012・1・1
18日朝のNHkの「おはよう日本」を見ながらブログを書いている。画面は”熊本など地震続く警戒”と書かれた変則画面で、このニュースを聞いている間でも新しい地震の発生を伝えるテロップが流れてくる。14日夜の最初の地震から発生した震度4以上の地震の回数は70回を数え、震度1以上になると500回を超えている。これは過去の新潟中越地震(2004年)や長野北信地震(2011年)などのどの内陸断層型地震よりも多い。

気象庁の見解によると、今回の一連の地震の本震は16日未明のM7.3のようだが、今まだ続いている地震がその余震なのかどうか、素人の僕には今一つはっきりしない。気象庁のHPの「余震について」を読むと、①余震の震度が本震より大きかった時②余震地域の範囲が広い時③余震の回数が過去に比べて多い時には気象庁から特別な「余震について」の発表があるようだが、今回はその発表はない。今回の最初の地震の発生は14日夜のM6.5だが、気象庁は本震ではないとしている。これは①に該当するのだが。

気象庁は今後も1週間ほどM6程度の余震が起きる可能性があるとしている一方、”全体的に地震活動は活発化している”状態にあり、激しい揺れに注意せよと呼びかけている。また、断層の動きは南西へと移動しているという。一連の地震の後、熊本県内で避難生活を送っている方は11万人を超えている。これらの避難者にとって最大な関心事は、余震がいつ収束するのか、さらには、もっと大きな地震がくるのではないかという不安である。

残念ながら、現在の科学では地震の予測には限界があるが、出来る範囲でよい。今起きている地震が本当に余震なのか、あるいはさらに別な断層帯を刺激して新たな地震が発生させる可能性があるのかも知りたい。それとも14日の本震の余震にすぎないのなら、被災者には心理的に安心なのだが。

夫婦合わせて168歳 感謝の旅のなさけ

2016-04-17 06:38:49 | 2012・1・1
二人併せて168歳の僕ら老夫婦にとって、たった1泊2日の東京から福島への旅だったが、改めて旅が老人にとっては”憂いもの辛いもの”だ事を実感したが、一方では旅の情けに心から感謝する旅であった。

自分で言うのもおかしいが、僕には慎重な一面もあり、旅行に当たってはPCの”路線”を調べ、駅の構造(老人にとってはエレべ―ター、エスカレーターの有無と場所が大切)までチェックする。今回も初めて利用する「新宿バスタ」なので、事前に予約の切符を買い方々下見をしていた。にも拘らず、僕らは予定のバスに乗り遅れてしまった。理由はJRの駅まで出る路線バスが雨による交通渋滞で思わぬ時間がかかってしまったからだ。1時間に1本もない磐越東線の寒駅まで出迎えてくれる知り合いにご迷惑になるので、電話で連絡を取ろうとしたが「新宿バスタ」には公衆電話はなく、近くのデパートまで行ってくれてのこと。スマホを持たない僕らは途方に暮れていたいたら、会話を聞いていた隣の女性が、どうぞと自分のスマホを貸してくれた。

田村市の老人介護施設「聖オリオンの郷」の田中リナ先生の心のこもった親切な対応には改めて感謝する。このような先生が施設長のご老人は幸せである。施設には百歳を超える元気な方もおられるとのこと。僕ら夫婦は田中先生のご厚意で三春の滝桜まで見学させてもらった。滝桜の入口で、足の悪い僕を老妻をが車イスに乗せようとしたら、スタッフと腕章をした女性が、私が案内しましょうと往復、車イスを押してくれた。83歳の老妻ではとても無理な坂道である。

IT時代、老人には思いもよらぬ”憂い、辛い”旅の障害もあったが、昔からの旅の情けにすがりながらの感謝の楽しい旅であった。


原発事故で避難地区だった都路の桜

2016-04-16 08:30:20 | 2012・1・1



田村市の老人福祉施設「聖オリオンの郷」の施設長、田中リナ先生のご厚意で、原発事故のさい、一時避難地域に指定された市内の都路地区に案内していただいた。都路は2014年、国から避難命令はは解除されたが、現状はどうなっているのか、わざわざ僕の希望を入れて、タクシーで同行してくれた。

同じ市内でも「聖オリオンの郷」のある神俣から都路までは遠い。タクシーの運転手がいう”除染街道”という国道288の沿道沿いは桜が満開、のどかな日本の春の原風景がみられた。都路地区も見た目には他地区と同じであった。故郷に戻られた住民の洗濯物も望見できたが、住民の姿が見られない。桜が咲く工場の横に車を止めて写真を撮ったが、工場の門は鉄柵で閉鎖されていた。山麓の古刹の山門も閉じられていた。震災の影響なのだろうか。

都路の閑散とした風景と異なり田村市の他の地区の桜の名所は平日なのにお花見客で賑わってた。滝桜で有名な三春にも案内して頂いたが、交通整理が出るほどの賑わいをみせていた。しかし、三春にはいまだに故郷、富岡に戻れない人たちが仮設住宅で生活されている。都路の住民の中にも、安全と政府が保証しても家に帰りたくない人もいると聞く。改めて、原発事故がもたらし影響の大きさと解決の難しさを知った。


星のふれあい館

2016-04-15 22:48:51 | 2012・1・1


半世紀ほど前勤めでお世話になった郡山の民放テレビのOB会に参加方々、知り合いの田村市の老人介護施設”聖オリオンの郷”の施設長、田中リナ先生を1年ぶりで訪ね、先生のご厚意で満開の星のふれあい館に一泊した。星のふれあい館は田村市の天文台の付属施設で、標高600メートルの阿武隈高原にある。老人なので夜空の観測は遠慮したが、裏山には早くも鯉のぼりが泳いでいた。

東京の区長選に候補者を立てない自民党

2016-04-14 06:31:42 | 2012・1・1
参院選の前哨戦として北海道5区と京都3区の補欠選挙が注目されているが、僕の住む東京の目黒区長選挙は一向に盛り上がっていない。17日が投票日なのだが、街頭で候補者の姿を見たことがない。選挙公報が配られてきて、選挙があり、候補者が現職(3期)と新人の無所属同士の一騎打ちであるのを知った。

新人候補の公報によると、目黒区は、保育園待機児童数が東京23区のワーストワン、特養老人ホームが、この16年間建設されないなど、区の福祉政索が遅れているのは僕も実感している。しかし、新人候補は無所属でありながら、推薦人などから明らかに共産党の支持を受けている。一方の現職は過去、区議、都議は民主党議員であり、身内にも現職の議員がいる。しかも前回の選挙では民主、民社、公明の推薦を受けていながら、今回は公報にはその記述がない。

自民党は京都3区の選挙には自党の候補者を立てない。前職が”不倫”で辞任した経緯があり理解できないでもない。しかし、目黒区の場合は自民党が区議会の最大勢力で、13人も区議があいる。何故、候補者を擁立しないのか。無所属といいながら、”隠れ民進”、”隠れ共産”同志の争いでは、自民党支持者はどうしたらよいのか。前回の区長選の投票率は26.2%と低調だった。僕は今回は早々と投票しないことを決めた。現職の再選には反対だし、そうかといって共産党に一票投じるわけにもいかない。

国政では、圧倒的な勢力を持つ自民党だが、地方選挙は候補者さえたてられない。有権者泣かせである。

チア.シード えごま ”種”健康食品ブーム

2016-04-13 05:54:33 | 2012・1・1

NHKテレビの朝の番組「アサイチ」で”大人気 チア.シ―ド便秘解消”を同病の夫婦で見ながら会話を交わした。僕はチア.シードの名前を聞いたことがなかったので、老妻に尋ねたら”これと同じようなものです”と、台所から先日知人から頂いたえごま(荏胡朝)を運んできて見せた(写真)。

チア.シード(chia seed)は南米原産のシソ科の植物の種で、古代マヤ.アステカ時代から住民に好まれていた健康食品だそうだ。一方、えごまも同じシソ科に属し、縄文時代から食さていたらしく、別名”じゅうねん”。これを食べると、十年は長生きできるといわれ、福島県ではえごまをいれた”じゅねん味噌”もある。

"種”食品が健康によいといことでブームだとう。「アサイチ」番組でも日本、中華、西洋料理の職人がチア.シア―ドを使って料理を作っていたが、どれもおいしそうだ。しかも出演者によると、便秘に効用がある他、認知症にも効き目があるという。僕らは早速、冷蔵庫からヨーグルドを持ってきてえごまを入れて食べたところ便秘には効果があったが、認知症は判らない。

二人は食糧難時代に育った世代だが、えごまを食べた記憶がない、同じ”種”でもカボチャの種を陰干しにして食べた。カボチャの種は多少空腹に役立つたが、えごまではならない。いずれにせよ、グルメにはほど遠い、哀れな世代の会話である。

プーチン 習近平 金正恩も広島を訪問すべきだ

2016-04-12 06:21:42 | 2012・1・1
広島で開かれたG7先進国外相会議は昨日”核兵器なき世界”の実現に向け共同宣言を採択し閉幕した、今回の会議の最大の成果は、米英仏の核兵器保有国を含む先進7か国の外相が直接、広島を訪れて平和公園の記念館を見学、慰霊搭に献花したことだ。"百聞は一見にしかず”である。共同宣言は世界の政治指導者の広島訪問を呼びかけている。プーチンも習近平も金正恩も直接広島、長崎を訪れ、核兵器による惨状を自分の目で見るべきである。

昨年8月、原爆投下70周年に当たって、わが国の核政策批判ともとれる特集番組を放送したドイツのZDF(第二テレビ)の広島からの放送をNHKのワールド.ニュースでみたが、7人の外相の中にG8から離脱したロシアがいないことを指摘してした。ロシアのプーチン大統領は一昨年のウクライナ軍事介入に際し、核兵器使用を示唆していた。中国はわが国を核攻撃できる中距離ミサイルを多数所有し、昨年の天安広場の軍事パレードでこれを誇示していた。北朝鮮も今年に入って核実験をしている。

会議に参加したケリー国務長官は記者会見で”誰でもが広島を訪れるべきだ。だからオバマ大統領もここを訪れて欲しい”と伊勢志摩サミットの後、広島訪問の可能性を示唆していた。小さな個人的な体験で恐縮だが、僕が初めて広島を訪れたのは53歳になってからだ。 以後、JICA(国際協力機構)の研修監理員として10数回広島を訪れているが、訪問前は平和公園が、原爆投下時繁華街であった事さえ知らなかった。広島を訪れれば、核兵器を増強するのが、いかに愚行であるかが理解できる。

リオ五輪派遣水泳選手権大会 古橋選手の記録に想う

2016-04-11 06:07:00 | 2012・1・1
東京辰巳国際水泳場で7日間に渡って開催されていた全日本水泳選手権大会が昨日終わった。リオ五輪への派遣選手を決める大会とあって、NHKも連日実況放送していたが、それだけの価値はあった。久しぶりに僕も興奮した。結果として34人(男女それぞれ17人)の派遣が内定したが、これは前回ロンドンよりも7人多く新鮮な顔ぶれである。

全日本選手権というと、僕は昭和23年7月東京の神宮大会で古橋廣之進選手が1500M自由形で世界記録を出して優勝した時のことを想い出す。当時、日本は国際水泳連盟から除名されていて、折からロンドンで開かれていた五輪に参加できなかった。それではということで、日本の関係者は、五輪の1500M決勝と同じ日に全日本の決勝を持ってきた。古橋選手は期待に応えて当時の世界記録を破る記録で,五輪優勝者の記録を上回った。

記録とは別に、僕が今回感動したのは、アテネ、北京と二回の五輪で平泳ぎ金メダルを取った北島康介選手(33)がリオ五輪にも挑戦したが、記録に及ばず、引退を表明したことだ。テレビで若い選手に混じって懸命に泳いでいる姿は素晴らしかった。古橋選手は昭和27年、戦後日本が初めて参加したヘルシンキ五輪に、国の期待を背負って出場したが、7位に終わった。選手として盛りをすぎていたのである。"スポーツ”寿命は誰にでもあリ仕方がないのだ。

驚くのは水泳記録の目覚ましい更新である。64年前の古橋選手の400M自由形の世界記録は4分33秒4であったが、今回の選手権で同じ種目で優勝した五十嵐千尋さんの記録は4分12秒86で、古橋選手の記録より大幅によいが、これでもリオ行きの切符はつかめなかった。僕も古橋時代、インターカレッジで神宮プールで泳いだことがあるが、当時の記録は今の学童記録よりはるかに悪い。ここにも歳月の流れを感じる。