伊勢名物の「赤福」が無期限営業停止となった。「赤福」と「伊勢うどん」を
食べに行くのが、お伊勢参りの観光客の楽しみの一つだったのに、残念至
極。僕ら老夫婦も来月23日の新嘗祭(にいなめさい)にお参りし、帰りに"出
来立て"の「赤福」を孫たちのお土産にと思っていたのだが・・・・。
小ブログは10月15日、すでに「赤福」問題を一度書いた。そのときは、どちら
かといえば、老舗「赤福」に同情的だったが、その後の三重県の調査でがっ
くりきた。売れ残りの餡や餅を捨てづに分離して再利用していた。消費者を
あざむくにもほどがある。「赤心慶福」の社是や看板が泣く。
かって「赤福」は、良心的な商売を宣伝するために戦争中は材料難から製造
を中止していた、とHPに書いていた。製造が中止されていたのは事実だが、
あの時代は、政府の統制令で「赤福」だけでなく、軍隊用以外はどこの菓子屋
さんも材料が入手出来なかったのだ。昭和17年10月、僕らが東京から伊勢へ
参宮旅行へ行ったときは、土産店は売るものがなく開店休業だった。売ってい
たのは、南方からのまづい乾燥バナナとニッキだけだった。
老夫婦二人はいま、伊勢へ行ったら何を食べ、なにを買おうか思案中だ。老
妻にとっては、生まれてはじめてのお伊勢参りだ。「赤福」の餅を再利用した
煎餅が名物だそうだが、イメージが悪くて買う気がしない。戦前、東京の修学
旅行の土産の定番は、御幣の形をした生姜糖だった。ノスタルジアから僕は
これを買いたいが、今の子供達は賢い。虫歯になるような菓子は食べない。
さて、どうしたらよいものか。
食べに行くのが、お伊勢参りの観光客の楽しみの一つだったのに、残念至
極。僕ら老夫婦も来月23日の新嘗祭(にいなめさい)にお参りし、帰りに"出
来立て"の「赤福」を孫たちのお土産にと思っていたのだが・・・・。
小ブログは10月15日、すでに「赤福」問題を一度書いた。そのときは、どちら
かといえば、老舗「赤福」に同情的だったが、その後の三重県の調査でがっ
くりきた。売れ残りの餡や餅を捨てづに分離して再利用していた。消費者を
あざむくにもほどがある。「赤心慶福」の社是や看板が泣く。
かって「赤福」は、良心的な商売を宣伝するために戦争中は材料難から製造
を中止していた、とHPに書いていた。製造が中止されていたのは事実だが、
あの時代は、政府の統制令で「赤福」だけでなく、軍隊用以外はどこの菓子屋
さんも材料が入手出来なかったのだ。昭和17年10月、僕らが東京から伊勢へ
参宮旅行へ行ったときは、土産店は売るものがなく開店休業だった。売ってい
たのは、南方からのまづい乾燥バナナとニッキだけだった。
老夫婦二人はいま、伊勢へ行ったら何を食べ、なにを買おうか思案中だ。老
妻にとっては、生まれてはじめてのお伊勢参りだ。「赤福」の餅を再利用した
煎餅が名物だそうだが、イメージが悪くて買う気がしない。戦前、東京の修学
旅行の土産の定番は、御幣の形をした生姜糖だった。ノスタルジアから僕は
これを買いたいが、今の子供達は賢い。虫歯になるような菓子は食べない。
さて、どうしたらよいものか。
老舗としてのプライドよりも、利益を優先してしまった代償は大きいですね。
冷凍ならまだしも、売れ残りを包装しなおして売っていたとは驚きです。
廃棄がもったいないという理念で、見切り品として、公表し値下げして売ってしまった方が潔かったのでは。
ただ、そうなると新品の売り上げには響く懸念があるのでしょうが、「もったいない」の観念から言えば、企業イメージも上がったかもしれません。
一昨日あたりに発覚した比内地鶏もそうですが、古い企業の経営体質がおかしくなっています。
日本企業は、売り上げ重視でモラルがなくなってきているのでしょうか。
大量消費時代に入り、どの企業も昔からの商法ではやっていけないことはわかりますが、その中でも商道徳倫理があると
思います。のれんを大切にして、のれんを分けて貰った企業もそれを大切にしています。「赤福」の場合、多分、最初はもったいない精神から出発したのでしょうが、消費者を騙してはいけません。
来月夫婦で行く伊勢旅行(バスで一泊二日
夜食つき)は一人¥12,500です。大手旅行者の主催です。
伊勢へ行かれたら「二見が浦の文鎮」でも買われたらいかがですか。もう使いませんか。売ってないかもわかりませんね。
僕は小学校の参宮旅行のあとも仕事で
伊勢へは行っていますが、二見が浦へは行っていません。安い観光バス旅行なので二見が浦へ行くかどうか解りませんが、行ったら文鎮を買います。でも習字などやってないし何に使ったらよいですかー。
「赤福」問題はだんだん大きくなってきました。しかし、不正を指摘されるまで、多くの日本人が「餅は2日もたてば、硬くなる。」という簡単な常識さえ忘れて、伊勢から遠く離れたデパートで「いつまでもやわらかい」赤福が売られている不思議に気付かなかったことのほうが、もっと深刻です。
かつて、公害は企業を叩けば、片付くというような風潮があったが、今は、全人類が取り組まなければならない地球規模の問題だということがようやくわかりかけてきました。
同様に、食の安全は企業を叩けば済むことではなく、どんなものが安心して食べられるものか見分ける能力を先ず取り戻す事のように思いますが、いかがでしょうか。
たしかにおっしゃる通りですね。正月の御餅は、一日も経てば固くなるのに、赤福は柔らかく、それが逆に不純物が入っていない証左のように僕も思っていました。ご存知、首都圏ではジーゼル車の規制いらい、空がきれいになってきています。昭和30年代から40年の東京の空は、いつもどんよりとした空でした。
異常気象は確かに地球規模です。途上国が"追いつけ、追い越せ”政策をとると、より深刻になりそうです。人類の英知で
なんとかしなければなりませんね。