☆ フランシーヌの場合は
フランシーヌの場合は あまりにもお馬鹿さん
フランシーヌの場合は あまりにも寂しい
3月30日の日曜日 パリの朝に
燃えた命ひとつ フランシーヌ
(いまいずみあきら 作詞
郷伍郎 作曲
新谷 のり子 歌)
この歌は1969年(昭和44年)3月30日の日曜に、パリの町でベ
トナム戦争とビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺したフランシーヌ・
ルコントという女子学生について歌った反戦歌だった。数えたらもう
38年も前の歌だ。
当時、僕は38歳、子供も3人あって新宿駅西口のベトナム反戦集会
に参加する世代ではなかった。個人的にも前年の12月、父親が死亡、
1月には転職と人生の転機であった。
昨日の新聞によると、靖国神社がいわゆる”A級戦犯”合祀可能を国に
回答したのもこの年だったのを知った。日本人の戦争に対する心のどこ
かに変化の兆しが出てきていたのかもしれない。
転職後、僕はなかば希望して地方の都市へ転勤した。高度成長で東
京の空はどんよりと曇り、なんとなく”田舎”へ住みたかった。なぜこの
若者の反戦歌をいまだに覚えているのかはわからない。
フランシーヌの場合は あまりにもお馬鹿さん
フランシーヌの場合は あまりにも寂しい
3月30日の日曜日 パリの朝に
燃えた命ひとつ フランシーヌ
(いまいずみあきら 作詞
郷伍郎 作曲
新谷 のり子 歌)
この歌は1969年(昭和44年)3月30日の日曜に、パリの町でベ
トナム戦争とビアフラの飢餓に抗議して焼身自殺したフランシーヌ・
ルコントという女子学生について歌った反戦歌だった。数えたらもう
38年も前の歌だ。
当時、僕は38歳、子供も3人あって新宿駅西口のベトナム反戦集会
に参加する世代ではなかった。個人的にも前年の12月、父親が死亡、
1月には転職と人生の転機であった。
昨日の新聞によると、靖国神社がいわゆる”A級戦犯”合祀可能を国に
回答したのもこの年だったのを知った。日本人の戦争に対する心のどこ
かに変化の兆しが出てきていたのかもしれない。
転職後、僕はなかば希望して地方の都市へ転勤した。高度成長で東
京の空はどんよりと曇り、なんとなく”田舎”へ住みたかった。なぜこの
若者の反戦歌をいまだに覚えているのかはわからない。
さわりの歌詞しかわかりませんが、
誰が歌っていたのだろう・・・
反戦歌ということも記憶にありますが、
それがベトナム戦争を意味し、焼身自殺とか知りませんでした。
焼身自殺・・・ショッキングですね。
反戦の気持ちはわかりますが、無謀な行動だと思います。
自分が亡くなってしまったら、家族はどんなに悲しむか・・・
若いから突っ走ってしまうのでしょうけど・・・
なんとも悲しい事件ですね。
この時代、ベトナム戦争や70年安保に学生は沸きましたね。
体験したことはないですが、その当時の若者たちにとっては激動の時代だったかもしれませんね。
確かにこの時期に日本の価値観はがらりと変わりました。
良くも悪くも熱かった団塊の世代が、今の親の世代としたら、なんで今の子供たちはこんなにも無気力に育ったんでしょうね。
この時代、従軍世代(1900-1920)は定年を迎える頃、また”もはや戦後ではない”時代で、あらゆる意味で戦争をふりかえる時代だったのです。こういった大人たちの一種のUターン現象に団塊世代が反発したのかもしれません。僕も公私ともに転機でした。