政府の法制審議会が「成年年齢を18歳に引き下げるのが適当」という最終報告書
をまとめた。法改正など最終的な決定は国会に委ねられ、直ちに実施に移される
わけではないが、結論からいって僕は成人年齢の引き下げより、今、日本が必要
としているのは成人への徳育教育のように思われる。
最近、馬齢を重ねたせいか日本人全体の精神年齢が”子供ぽっく”なってきたように
感じる。国会審議に紙芝居まがいのパネルを持ち出して一国の総理に対して漢字
テストをするような野党の副代表をみるとつくずくそれを感じる。まして六本木や渋谷
の街で深夜まで大騒ぎしている,若者の姿をみれば、果たして成人の年齢を引き下げ
ても大丈夫なのかと思う。戦争中彼らの年代の若者は国のため銃をとって戦っていた。
先日の「産経新聞}の”パリの屋根の下”というコラムで最近パリを訪れる若い日本人
観光客が他人の目を気にせぬ行動がめだつと嘆いていた。白い杖の目が不自由な人
を突き飛ばしたり、臨月の妊婦が前にきても席を譲らない者、ホームレスの路上の喜捨
用の缶をけとばしても知らん顏の青年etc。ちょっとひどすぎるが、似たような光景は
日常僕もみかける。
日本の若い世代の中には、世界共通のモラルや規律をしらない。総理とのインタービュー
でも帽子をとらないタレント、そんな男は世界のどこにもいない。安倍内閣のとき教育再生
会議で徳育教育が取り上げられたが、いつのまにか話題から消えた。東国原宮崎県知事
が”若い人のだらしなさ、自己中心な行動に対して昔の徴兵制度みたいなものがあって
もよい”と発言していた。同じような考えの日本人は意外に多のではー。
をまとめた。法改正など最終的な決定は国会に委ねられ、直ちに実施に移される
わけではないが、結論からいって僕は成人年齢の引き下げより、今、日本が必要
としているのは成人への徳育教育のように思われる。
最近、馬齢を重ねたせいか日本人全体の精神年齢が”子供ぽっく”なってきたように
感じる。国会審議に紙芝居まがいのパネルを持ち出して一国の総理に対して漢字
テストをするような野党の副代表をみるとつくずくそれを感じる。まして六本木や渋谷
の街で深夜まで大騒ぎしている,若者の姿をみれば、果たして成人の年齢を引き下げ
ても大丈夫なのかと思う。戦争中彼らの年代の若者は国のため銃をとって戦っていた。
先日の「産経新聞}の”パリの屋根の下”というコラムで最近パリを訪れる若い日本人
観光客が他人の目を気にせぬ行動がめだつと嘆いていた。白い杖の目が不自由な人
を突き飛ばしたり、臨月の妊婦が前にきても席を譲らない者、ホームレスの路上の喜捨
用の缶をけとばしても知らん顏の青年etc。ちょっとひどすぎるが、似たような光景は
日常僕もみかける。
日本の若い世代の中には、世界共通のモラルや規律をしらない。総理とのインタービュー
でも帽子をとらないタレント、そんな男は世界のどこにもいない。安倍内閣のとき教育再生
会議で徳育教育が取り上げられたが、いつのまにか話題から消えた。東国原宮崎県知事
が”若い人のだらしなさ、自己中心な行動に対して昔の徴兵制度みたいなものがあって
もよい”と発言していた。同じような考えの日本人は意外に多のではー。
ご説の通り、道徳=右思想なんです。いつから日本人がこのような偏見を持つようになったのか。やはり戦争が終わった直後の混乱期からだと思います。戦争中の一部の極右の軍国主義の反動で、あの混乱期にすべて過去は悪と、否定する風潮がありました。例えば戦争にはまったく関係のない二宮金次郎の否定です。
僕らの世代は子供の時に修身教育を受けていますので、一応儒教的倫理観がありますが、戦後の占領下で教育を受けた以降の世代は、まったく道徳の基幹を失ってしまいました。その結果、世界でも珍しい非道徳国民になってしまいました。家庭でも学校でも教えません。社会を観察しますと、わかい人は、世界では当たり前の社会的エチケットさえわかりません。やはり
人生のある時期に基本的な道徳律を教える必要があると痛感します。