「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        今に生きる山下奏文将軍の遺言

2011-01-22 06:34:05 | Weblog
70年前のマレー・シンガポール作戦に従軍した第五師団給水部隊の兵士だったIさんから寒中見舞いとともにご自分の書かれた原稿が載っている新年号の雑誌が贈られてきた。Iさん大正4年生まれで95歳。昨年夫人に先立たれて今は一人暮らし。週一回のデー・サービスを受け、年寄り仲間と軽い体操をして風呂に入れるのが楽しみだという。お元気だ

Iさんは原稿の中でマレー・シンガポール作戦の司令官(第25軍)で、戦後マニラの連合軍戦争裁判で刑死された山下奏文大将の遺言を感慨深く読んだと紹介している。山下将軍はマニラ郊外のロスバニオスで絞首刑に処せられているが、処刑前、立会人の片山弘二牧師たちに”君たちが日本に帰ったら人々に告げて欲しい”と次のように語ったという。「戦死者のご遺族に対し総指揮官として謝罪したい。自分は指揮官として最善の努力をしたと信じ、この点は何ら恥じない。今後の日本の将来を考えたとき、義務の履行、科学教育の振興、幼児教育の重要性という三点を忘れずに訴えて欲しい」(昭和52年「歴史と人物」8月号)

Iさんは”東洋平和のためならば”と大東亜戦争の意義を信じて戦った一兵士として山下将軍の遺言を感慨深く読んだそうだが、銃後の小国民として戦争の勝利を堅く信じて軍需工場に動員されていた僕もIさんとは違った感慨をもって山下将軍の遺言を読んだ。政治家としての義務ーマニフェストを履行せず、その反省もない民主党の指導者たちを、まるで予見したかのような山下将軍の遺言である。

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3 コメント

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マレーの虎 (chobimame)
2011-01-23 05:05:14
山下将軍は、確か「マレーの虎」と呼ばれていた方ですよね。やっぱり昔の人は違いますね。1つも2つも先を見越しています。日本人がこんなに愚民化するとは思っていなかったとは思いますが・・・。戦後、戦争に負けたとしても日本人の意地とプライドを通し、気骨の精神が教育の中にあれば、こんなバカな政治家も出なかっただろうし、もっとマトモな社会になっていたかもしれません。あまりにも骨抜きになり、あまりにも諸外国の言いなりになりました。いま日本に残されているものは何でしょうか?形ばかりの領土でしょうか?宙ぶらりんの精神で日本人はどこへ向かおうとしてるのかすごく不安です。
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記事 (chobimame)
2011-01-23 05:07:06
この記事、リンクさせて下さい。
広く知ってもらいたいです。
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誤解 (kakek)
2011-01-24 10:46:59
chobimame さん
山下将軍は、大東亜戦争の緒戦のマレー、シンガポール作戦で赫赫たる勝利を収めた軍人です。ただ当時の東條英機総理とは意見が合わなかったようで、シンガポール占領後の「新附の民」発言で関東軍へ左遷させられています。「新
附の民」とは奈良時代、渡来した中国人のことを指す言葉です。山下将軍はシンガポールの華僑にむかって、この言葉を使用したのですが、これが中枢の占領政策と違反していたという理由です。それに山下将軍は容貌が恐い印象を他人に与え誤解されている向きもあったようですね。
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