NHKで放送中の朝のドラマ「おひさま」は昭和10年代の信州安曇野が舞台なので、同じ信州生まれの老妻は毎朝熱心に見ている。東京生まれの僕も時々画面に幟りを立てて出征兵士を送る場面などが出ると、少年時代が懐かしく複雑な気持ちで、あの時代を想い出したりする。
ドラマでも映画でもそうだが、馬齢を重ねると不思議と自分の生きてきた時代の場面につぃて”時代考証”がしたくなる。僕は「おひさま」に出てくる小学生の着物姿が気になった。昭和12年4月、僕は東京の小学校に入学しているが、当時東京の区部では、着物を着ている子供はいなかった。これを老妻に言うと、14年長野市郊外の小学校に入学した彼女の学校には、まだ少人数だがいたという。「おひさま」の時代考証は正しかった。
先日、同年輩の年寄りだけの会合に出たら、元軍国少年だった友人が、口角アワを飛ばして「おひさま」の時代考証はおかしいと怒っていた。ドラマに出てくる予科練(海軍飛行士学校)の入學年齢が間違っているというのだ。僕より学年が1年上の先輩だが、彼にとっては許せない問題なのだ。
「おひさま」の先生が「国民服」乙を着ていたが、説明がなければ戦後生まれの視聴者には判らないだろう。昭和15年だったと思うが、物資がなくなってきたことと、戦意の昂揚をかねて国が制定したカーキー色の軍服まがいの服で、乙は詰襟、甲はネクタイを着用できる襟だった。服地は当時”スフ”と呼ばれていたステープルファイバーの薄い人絹であったことを想いおこす。
女性はパーマネントは禁止され、もんぺ姿だった。味気ない時代で、あまり時代考証はしたくないが、それでも時代考証をしたくなる。年をとった証拠であろう。
ドラマでも映画でもそうだが、馬齢を重ねると不思議と自分の生きてきた時代の場面につぃて”時代考証”がしたくなる。僕は「おひさま」に出てくる小学生の着物姿が気になった。昭和12年4月、僕は東京の小学校に入学しているが、当時東京の区部では、着物を着ている子供はいなかった。これを老妻に言うと、14年長野市郊外の小学校に入学した彼女の学校には、まだ少人数だがいたという。「おひさま」の時代考証は正しかった。
先日、同年輩の年寄りだけの会合に出たら、元軍国少年だった友人が、口角アワを飛ばして「おひさま」の時代考証はおかしいと怒っていた。ドラマに出てくる予科練(海軍飛行士学校)の入學年齢が間違っているというのだ。僕より学年が1年上の先輩だが、彼にとっては許せない問題なのだ。
「おひさま」の先生が「国民服」乙を着ていたが、説明がなければ戦後生まれの視聴者には判らないだろう。昭和15年だったと思うが、物資がなくなってきたことと、戦意の昂揚をかねて国が制定したカーキー色の軍服まがいの服で、乙は詰襟、甲はネクタイを着用できる襟だった。服地は当時”スフ”と呼ばれていたステープルファイバーの薄い人絹であったことを想いおこす。
女性はパーマネントは禁止され、もんぺ姿だった。味気ない時代で、あまり時代考証はしたくないが、それでも時代考証をしたくなる。年をとった証拠であろう。
あの時代に生きた人には、私たちには判らない譲れないものがあると思います。命がかかった強烈な出来事だったのですから無理もありません。
こんな歌「ああ紅に地は燃える」がありました。学徒出陣の歌です。
花も蕾の若櫻 五尺の命ひっさげて
国の大事に殉ずるは 我ら学徒の本分ぞ
ああ紅の血は燃える
戦争があと数か月続いたら、僕も多分、この世にいなかったでしょう。時代考証へのこだわり、つまり歴史へのこだわりは、こんな所からきているのかもしれません。
大正11年生まれの姉の小学校(東京)1年の集合写真をみると、着物姿はいません。都会と田舎では違つたのでしょう。小学校での空襲予行練習で机やイスを組み立てているのを見て、先輩の一人が”あんな馬鹿な”といかっていましたが、昭和17年の東京初空襲の後、僕の国民学校では、同じ演習をしていました。時代考証は水かしいですね。