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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

インドから白牛が善光寺に贈られてき時代の日印関係

2016-09-25 07:29:05 | 2012・1・1
今回の旅で初めて善光寺の裏山にある納骨堂「雲上殿」に参詣した。この納骨堂の一角に昔、インドのネルー首相から贈られてきた白牛の遺骨を収めた像があると聞き、これを写真に撮るのが目的だったが、撮影後、不用意からカメラのSDカードが飛び出し、旅行中撮った写真がすべてダメになってしまった。

昭和28年(1953年)、学校を出てすぐの新聞社の初赴任地が長野市であった。当時、善光寺の境内には前年の27年、仏教渡来1400年と日印平和条約を記念して、インドのネルー首相から贈られてきた白牛が参詣者の大きな話題になっていた。日本がサンフランシスコで米国など52カ国と平和条約に調印したのは26年だったが、インドこれに参加せず、別途独自に平和条約に調印している。主な理由は対日賠償請求権の問題で、インドはサンフランシスコ条約とは異なり、はっきりと対日請求権を放棄している。

敗戦後すぐの20年代後半は、今思うとインドとの話題が多かった。東京台東区の子供議会の陳情にこたえて、ネルー首相が上野動物園へ象のインディラをプレゼントしたのもこの時代だし、札幌の藻岩山など全国10か所にインドからお釈迦様の分骨が贈られてきて仏舎利塔が建てられたのもこの時代であった。今、思うと、当時のわが国は、敗戦で虐げれていた時代であっただけに、市ヶ谷国際裁判で、ただ一人日本無罪論を主張したインドのパール判事の言葉が唯一の救いで、これにに感謝していた。恐らく、当時のインドの対日友情は、パール判事と同じ考え方の延長線上にあったのであろう。それに比べて今は中国や朝鮮半島の国の話が多く、インドとの話題が少ないは残念だ。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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真の友達は、誰だ? (chobimame)
2016-09-26 09:01:22
日本は、戦後からずっとたくさんの大切な物を捨てたと思います。
それは、歴史であったり、人の心、礼儀、挙げたらキリがありません。
アメリカの顔色を見るばかりで、外交といったら中国や韓国に土下座外交。
本当に見なくては、いけない部分をお座なりにしてきたと思います。
日本は、このままでいいのか、考える時期が当に来ていると思います。
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しっかりした歴史観 (kakek)
2016-09-26 10:33:02
chobimame さん
昭和26年サンフランシスコ平和条約締結に基づいて関係国に莫大な戦時賠償金を支払っています。戦後の復興が始まったばかりの時代だけに大変な経済負担でした。その中にあって、インドが独自に日本と平和条約を結び賠償金を一切放棄したのは高く評価しなければなりません。そして、それに代ってわが国に、同じ仏教国として釈迦の分骨を贈り、各地に仏舎利堂が建てられました。インド人の心のやさしさです。
これに反して戦後70年経ってもロシアは約束事の北方領土を返却せず、さらに経済支援をもとめています。しっかりとした歴史観に立った外交が必用です
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