「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          「敬老の日」 老人からの苦言

2011-09-19 07:09:43 | Weblog
年寄りになると同じことの繰り返しが多くなる。それを承知の上で「敬老の日」に当たって今年も苦言を一つ。本来「敬老の日」は”多年にわたり社会に尽くした老人を敬愛し、長寿を祝う”(昭和23年「敬老の日」制定趣旨)だったのだが、10年ほど前に9月の第三日曜日に移行し、さらに”ハッピー・マンデイ”が導入された結果「敬老の日」は形骸化して、数ある休日(祝日)の一つになり、制定の精神は失われてしまった。

今年は傘寿ということで町会からカステラが三本入った折が9月15日の昔の「敬老の日」の日に贈られて来た。町会の関係者も老人ばかり、まさか日を間違えたわけでもないだろうが、有り難く頂戴した。長寿のお祝いにカステラーは昔からの定番だが、最近は血糖値の高い老人も増えてきた。しかし、そこまでクレームをつけるのは自分が歳をとってきた証拠である。見苦しいから止めるが。

自分ではまだ若いつもりでいるのだが、若い人からみれば相当の老いぼれに見えるのだろう。最近、見知らぬ若い人と会話すると、こちらは耳が遠くないのにやたらと大声で会話してくる。こちらは若い人の”うざい””きもっ”で代表されるような変な日本語やアクセントがわからず,問いかえしているのだがー。

おいぼれに見えるのに、東京の真ん中を走る山手線の中で、僕は若い人から席を譲られたことは皆無に近い。山手線は一周乗ってもせいぜい1時間足らずなのだが、優先席に大股を広げ座ったまま。中には飲食してお化粧なおしをしている女性までいる。

こんな体験は僕だけではない。年寄り仲間が集まって雑談をすると、同じような話が出て来て、今の若い世代の公徳心の欠如を嘆く。僕らが若かった頃は老人に席を譲るのは当たり前で、狭い道では老人に道を開けて譲ったりしたものだ。いつから日本人はこんな国になってしまったのだろうか。

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2 コメント

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道徳と地方人 (chobimame)
2011-09-19 09:52:52
近年の教育では道徳の授業が無くなったり、また生活においても宗教感の薄れがだんだん利己的な生活にさせているように思います。昔は嘘をついても閻魔さまに舌を抜かれるなど、家庭の中に宗教道徳がありました。今は道の地蔵の首をはねたりする時代ですから救えません。しかしまだ地方には他人に気を使うような生活は生きており、地域性かもしれませんが関西などは年寄り子供に席を譲ることが日常です。東京は地方人の集まりですから他人と接触する恐怖感や恥ずかしさから無関心を装うことで自分を防御しているとの話があり、少なからず当たっていると思います。都会では他人に無関心の方が面倒がないですか、異常に小さなコミュニティの形成しか出来ません。他人に無関心の親に育てられた子供は当然公衆道徳は身に付きませんから席も譲りません。情けない国だと思います。他人に気を使わない、情をかけないことは、自ずと自分に帰ってくるのですが、その事が理解出来ないようです。心のない時代になりました。
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漫画を読む老人も (kakek)
2011-09-19 11:15:26
chobimame さん
超高齢化の時代で老人の年齢幅が広がってきました。優先席に座って漫画雑誌を詠んでいる”老人”も出てきました。僕らの世代は子供の頃「のらくろ」は読みましたが、成人になってからは読みません。しかし自民党の麻生さんと同世代には漫画好きな人もいます。また団塊の悪口になりますが、彼らは成長の過程で両親が生きるのに精一杯で、家庭でのしつけをおろそかにした嫌いがあります。
ご指摘のように、東京は地方都市に比べて公徳心が劣っています。過密な大都市こそお互いに他人に配慮しなければ、生活がギスギスしてきます。修身で育った僕らは、頭にくることが多いです。
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