JR常磐線荒川沖構内での殺傷事件の警察の警備について色々と批判が出てい
る。その一つは、なぜ制服の警察官を現場に配備させなかったのか、というもの
だ。僕もその通りだと思う。犯人から前もって“早く捕まえてごらん”と挑発的な電
話が駅周辺からあり、そのあたりに潜んでいるのは判っていたことだ。
警察官の心理の中に”私服”への変な憧れがあるのではないか。昔、警察官の知
人から聞いた話だが、交番勤務の若いお巡りさんには”私服”の刑事に対して憧憬
があるようだ。それと関係があるかどうかはしらないが、東京の警視庁の警察署には、
警棒を持った”私服”の警察官が門前の警備に立っている。警備が目的なら制服の
方が威厳があり、適切だと思うのだが。
敗戦直後、戦争中のイヤな体験からか制服(軍服)嫌いの日本人が多くなった。自
衛隊が、まだ警察予備隊とか保安隊と呼ばれていた当時、隊員が制服を着て街を
歩いた所、世論から反発があった。そのせいか、あまり制服を着た自衛隊員を街で
みかけなくなった。
自衛隊や警察庁にも隊員の制服着用については内規があると思う。捜査部門の刑
事が、犯人捜査の必要上、私服なのは解る。しかし、荒川沖事件のような時には制
服の警察官も必要だった。警察官の中に制服嫌いの心理がかりにあったとすれば
誤りだ。今の若いお巡りさんには戦争体験があるのではなし、誇りをもって制服を
着用して貰いたい。
る。その一つは、なぜ制服の警察官を現場に配備させなかったのか、というもの
だ。僕もその通りだと思う。犯人から前もって“早く捕まえてごらん”と挑発的な電
話が駅周辺からあり、そのあたりに潜んでいるのは判っていたことだ。
警察官の心理の中に”私服”への変な憧れがあるのではないか。昔、警察官の知
人から聞いた話だが、交番勤務の若いお巡りさんには”私服”の刑事に対して憧憬
があるようだ。それと関係があるかどうかはしらないが、東京の警視庁の警察署には、
警棒を持った”私服”の警察官が門前の警備に立っている。警備が目的なら制服の
方が威厳があり、適切だと思うのだが。
敗戦直後、戦争中のイヤな体験からか制服(軍服)嫌いの日本人が多くなった。自
衛隊が、まだ警察予備隊とか保安隊と呼ばれていた当時、隊員が制服を着て街を
歩いた所、世論から反発があった。そのせいか、あまり制服を着た自衛隊員を街で
みかけなくなった。
自衛隊や警察庁にも隊員の制服着用については内規があると思う。捜査部門の刑
事が、犯人捜査の必要上、私服なのは解る。しかし、荒川沖事件のような時には制
服の警察官も必要だった。警察官の中に制服嫌いの心理がかりにあったとすれば
誤りだ。今の若いお巡りさんには戦争体験があるのではなし、誇りをもって制服を
着用して貰いたい。
駅付近に待機していた警官が無線機を持ってないという事実は驚きました。
しかも犯人の変装も見抜けなかったという事から、私服警官のいる意味がありません。
制服の警官を何人も立たせ、物々しい空気にしていれば犯罪抑止になったかもしれないのに。
日本の警察は検挙率が年々下がっているそうで、警官もサラリーマン化していると言われています。
一般人のレベルが下がっているので、警官のレベルも下がって当たり前なのです。
犯罪者についても、人を殺しても罪悪感がないそうです。
自分の前にいたから殺しただけで、自分の前にいた方が悪いという論法だそうです。
世の中がどんどん得て勝手な個人主義になっています。本来の個人主義というのは、自分で責任を取るということですが、日本人は勝手な行動は取っても自分で責任を取るという意味を理解してる人が少ないのです。
まさに日本人の劣化です。
社会のタガが至る所で緩んでいます。やはりご指摘のように、皆がそれぞれ自分の好き勝手になり、他人への配慮がなくなってきました。
荒川沖の駅は、昔つくば学園都市への玄関口だったので、よく知っています。そんなに警備が難しい場所ではありません。それなのに事件後犯人が一人で交番へ行き電話をしています。無線機も持たずに何をしていたのでしょうか。
弛んでいるの1語です。