「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       戦後「第三国人」が跋扈(ばっこ)していたあの時代

2012-08-26 06:08:52 | Weblog
数年前だったか石原慎太郎東京都知事が議会の答弁で「第三国人」という言葉を使用して若い世代から”差別用語”だと批判された。GHQ(連合軍司令部)が旧日本の領土であった朝鮮半島、台湾の人たちを一般の外国人と便宜的に区別して使用した言葉であって差別用語ではない。が、僕らの記憶の中には戦後この「第三国人」が、日本の社会の中で跋扈して迷惑をかけていた暗い思い出がある。

李明博韓国大統領が竹島に上陸したのきっかけに日韓関係がギクシャクし始めたが、僕はすっかり忘れかけていた戦後すぐの「第三国人」が跋扈していたあの時代が思い浮かんできた。昭和21年1月、東京の富坂警察署に数十人の在日朝鮮人が押し掛け、連続強盗事件で収監中の容疑者を連れ戻そうとした事件があった。同じ年の7月には、渋谷警察にトラックで在日台湾人がやってきて警察との間に武力衝突事件まで発生している。東京の新橋、新宿、上野などの駅前の闇市はヤクザと「第三国人」に支配されていた。

鳩山由紀夫元総理の祖父の一郎氏(のちに総理)も、この時代静養先の軽井沢から信越線に乗って帰京のさい、無賃乗車で乗り込んできた「第三国人」を注意したところ、数人から袋叩きにあったという。僕の遠縁で植民地時代、総督府に勤務していた老人も「第三国人」の余りの無法さに注意してやはり頭を殴られている。昭和28年、僕は初任地長野で警察回りをしていたが、この頃でも闇物資の押収事件などの後には「第三国人」が抗議にやってきたのを覚えている。

韓国の李承晩初代大統領が国際法に反して自国の水産資源を守る目的で”李承晩ライン”を設定したのは昭和27年(1952年)であり、このライン領域にあるとして、竹島に灯台をつくり沿岸警備隊を置き実効支配を始めたのは「第三国人」が、日本国内でも跋扈していた時代と前後している。

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3 コメント

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Unknown (chobimame)
2012-08-26 20:55:46
戦後は、法律外なのをよいことに闇市は、三国人が横流しの物質で一儲けしたり、焼け野はらをよいことに他人の土地を不法占拠したりやりたい放題だったとか。朝鮮などは禁止されていた酒を作り、銀しゃりを食べていたそうです。朝鮮と併合したのか間違いでした。朝鮮は日本が併合する前は、教育も皆無、インフラも皆無、乳を出したままチョゴリのスカートだけを履いていた女性も少なくなかったとか。教育をつけ、インフラ整備をしてやり、公衆道徳まで教えた事を知る朝鮮人はいるのでしょうか?朝鮮には元々火病という性質があるそうですから傍若無人なことも平気なのでしょう。
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ならず者 (kakek)
2012-08-27 10:24:25
chobimame  さん
北朝鮮による日本人拉致問題が発覚された10数年前、僕は関係者が、こんなことを言い出して身の安全は大丈夫かと心配した。それほど在日の中にはならず者が多かった。何かといえば、僕の勤務してた新聞社に抗議にやってきたものです。
在日はほとんど日本時代、強制的に日本へ連行されたと主張していますが、自国の失政による生活苦から日本に渡ってきた人たちです。李明博父親一家も戦前、大阪へきて牛乳牧場で働いていた一家です。
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なるほど~ (Matt)
2012-08-29 00:05:43
そうなんだ!被差別とか言うが、精査して加減乗除してみれば案外あげすぎているんじゃないかな、日本としては。
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