亡父は明治17年(1884年)5月16日生まれ、今日が生誕134年である、今年は明治維新から150年という節目から明治時代が改めて見直され関心が集まっている。僕ら世代は”明治は遠くなりにけり”の昭和の生まれだが「明治節」(明治天皇誕生日)を学校で祝い、戦後生まれの世代より、明治が近く感じられるのではないか。
NHKラジオ第二放送で毎週月曜日夜8時半から”声でつづるアーカイブ”という番組があるが、たまたま、その第一回(3月19日)「東條英機、山本五十六、石橋湛山、明治19年生まれ」を聞いた。三人とも亡父と同じ年生まれなのに驚き、親しみをもった。東條英機は大東亜戦争勃発時の総理大臣、山本五十六は連合艦隊総司令官で元帥、石橋湛山も戦後だが、総理をつとめた著名なジャーナリストである。
改めてご三方と亡父の生きていた時代を振り返ってみた。10歳の少年期に日清戦争の勝利を体験、満20歳が徴兵年齢期であった。山本五十六は海軍兵学校を卒業、士官候補生として日本海海戦に従軍しているが、東條英機は陸軍士官学校生徒であった。石橋湛山は早稲田大学予科の学生、父も同じ大学の専門部の学生で兵役にはついていない。亡父の遺品の中に、東京本郷区役所からの明39年2月発行の徴兵身体検査出願の書類があるが、父が大学を卒業したのは前年10月である、この時代には大学生は徴兵延期制度があったようだ、石橋は明治40年に卒業後入隊、少尉に任官している。^
この世代は大正時代に第一次世界大戦(1914年ー18年)を経験、そのあと昭和初めの経済恐慌、軍縮の波に洗われ、そのあと満州事変から始まるいわゆる”15年戦争”の指導者となる。日本の近代史上、最も波乱にみちた時代を生きてきた世代であった。
NHKラジオ第二放送で毎週月曜日夜8時半から”声でつづるアーカイブ”という番組があるが、たまたま、その第一回(3月19日)「東條英機、山本五十六、石橋湛山、明治19年生まれ」を聞いた。三人とも亡父と同じ年生まれなのに驚き、親しみをもった。東條英機は大東亜戦争勃発時の総理大臣、山本五十六は連合艦隊総司令官で元帥、石橋湛山も戦後だが、総理をつとめた著名なジャーナリストである。
改めてご三方と亡父の生きていた時代を振り返ってみた。10歳の少年期に日清戦争の勝利を体験、満20歳が徴兵年齢期であった。山本五十六は海軍兵学校を卒業、士官候補生として日本海海戦に従軍しているが、東條英機は陸軍士官学校生徒であった。石橋湛山は早稲田大学予科の学生、父も同じ大学の専門部の学生で兵役にはついていない。亡父の遺品の中に、東京本郷区役所からの明39年2月発行の徴兵身体検査出願の書類があるが、父が大学を卒業したのは前年10月である、この時代には大学生は徴兵延期制度があったようだ、石橋は明治40年に卒業後入隊、少尉に任官している。^
この世代は大正時代に第一次世界大戦(1914年ー18年)を経験、そのあと昭和初めの経済恐慌、軍縮の波に洗われ、そのあと満州事変から始まるいわゆる”15年戦争”の指導者となる。日本の近代史上、最も波乱にみちた時代を生きてきた世代であった。
明治生まれだなんて。
そうですよね。
大東亜戦争の時には、もう50代くらいでしたか?
134年と聞くと、すごく昔のようで驚きます。
明治から昭和は、文化や生活が激変した時代ですね。
おまけに戦争が続いていますから。
すごいなという言葉しか出ません。