「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

東條英機 山本五十六 石橋湛山そして父の生誕134年

2018-05-16 05:02:14 | 2012・1・1
亡父は明治17年(1884年)5月16日生まれ、今日が生誕134年である、今年は明治維新から150年という節目から明治時代が改めて見直され関心が集まっている。僕ら世代は”明治は遠くなりにけり”の昭和の生まれだが「明治節」(明治天皇誕生日)を学校で祝い、戦後生まれの世代より、明治が近く感じられるのではないか。

NHKラジオ第二放送で毎週月曜日夜8時半から”声でつづるアーカイブ”という番組があるが、たまたま、その第一回(3月19日)「東條英機、山本五十六、石橋湛山、明治19年生まれ」を聞いた。三人とも亡父と同じ年生まれなのに驚き、親しみをもった。東條英機は大東亜戦争勃発時の総理大臣、山本五十六は連合艦隊総司令官で元帥、石橋湛山も戦後だが、総理をつとめた著名なジャーナリストである。

改めてご三方と亡父の生きていた時代を振り返ってみた。10歳の少年期に日清戦争の勝利を体験、満20歳が徴兵年齢期であった。山本五十六は海軍兵学校を卒業、士官候補生として日本海海戦に従軍しているが、東條英機は陸軍士官学校生徒であった。石橋湛山は早稲田大学予科の学生、父も同じ大学の専門部の学生で兵役にはついていない。亡父の遺品の中に、東京本郷区役所からの明39年2月発行の徴兵身体検査出願の書類があるが、父が大学を卒業したのは前年10月である、この時代には大学生は徴兵延期制度があったようだ、石橋は明治40年に卒業後入隊、少尉に任官している。^

この世代は大正時代に第一次世界大戦(1914年ー18年)を経験、そのあと昭和初めの経済恐慌、軍縮の波に洗われ、そのあと満州事変から始まるいわゆる”15年戦争”の指導者となる。日本の近代史上、最も波乱にみちた時代を生きてきた世代であった。

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1 コメント

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明治生まれ!? (chobimame)
2018-05-17 09:37:23
驚きましたー
明治生まれだなんて。
そうですよね。
大東亜戦争の時には、もう50代くらいでしたか?
134年と聞くと、すごく昔のようで驚きます。
明治から昭和は、文化や生活が激変した時代ですね。
おまけに戦争が続いていますから。
すごいなという言葉しか出ません。
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