僕の消えかかった遠い記憶の中に昭和20年5月24日の山手大空襲のあと東京の久が原(大田区)の住宅街で見た大きな穴がある。たしか空襲の翌々日だったと思うが、動員先の蒲田の工場から徒歩で家に帰る途中、B-29の落ちた穴があるというのでわざわざ遠回りして見に言った記憶がある。その時の住民の話では、穴はB-29の胴体が落ちてきた跡で、搭乗員は憲兵隊に捕まって連行されたという話であった。
戦後、僕はすっかりこの話を忘れかけていたが、数年前「太平洋戦争の学校生活」(岡野薫子著新潮社1990年)の中で、空襲のさい撃ち落とされたB-29の搭乗員が落下傘をつけたまま塀に寄りかかって死んでいるのを久が原で見たという目撃談を読んだ。搭乗員は死んでいたが、久が原にB-29の機体が落下してきたのはやはり間違いなっかことを確認した。
先日、勤労動員時代のクラス会で久しぶりに旧友B君に再会した。B君が当時久が原に住んでいたことを想い出し、空襲時について聞いてみたところ驚いた。B君の家にもB-29の積んでいたプロペラ付の発動機が轟音とともに落下してきて飼い犬が破片に当たって死んだのだという。もちろん、B君も搭乗員の遺体を見ているが、岡野さんの本の記述とは違って、死体は落下傘をつけずU字溝の中にあったという。
戦時期の空襲の全容については判らない。防諜上のこともあって当時政府は具体的な被害状況を発表していない。体験者の断片的な記憶から戦後になって空襲時の記録が編纂されている。久が原で発見されたB-29の機体のことも搭乗員についてもはっきりした記録は残っているのだろうか。
戦後、僕はすっかりこの話を忘れかけていたが、数年前「太平洋戦争の学校生活」(岡野薫子著新潮社1990年)の中で、空襲のさい撃ち落とされたB-29の搭乗員が落下傘をつけたまま塀に寄りかかって死んでいるのを久が原で見たという目撃談を読んだ。搭乗員は死んでいたが、久が原にB-29の機体が落下してきたのはやはり間違いなっかことを確認した。
先日、勤労動員時代のクラス会で久しぶりに旧友B君に再会した。B君が当時久が原に住んでいたことを想い出し、空襲時について聞いてみたところ驚いた。B君の家にもB-29の積んでいたプロペラ付の発動機が轟音とともに落下してきて飼い犬が破片に当たって死んだのだという。もちろん、B君も搭乗員の遺体を見ているが、岡野さんの本の記述とは違って、死体は落下傘をつけずU字溝の中にあったという。
戦時期の空襲の全容については判らない。防諜上のこともあって当時政府は具体的な被害状況を発表していない。体験者の断片的な記憶から戦後になって空襲時の記録が編纂されている。久が原で発見されたB-29の機体のことも搭乗員についてもはっきりした記録は残っているのだろうか。
岡野さんは小学校の同級生の談話を引用していますが、この談話には明らかに間違いがあります。まず、5月の空襲なのに”真冬”としています。また。搭乗員の死体を見たのは、空襲から数日たった夕方とか言いますが、こんなことはありえません。戦争中でも軍隊や警察は、すぐに死体を片づけます。多分、ほかの情報とごっちゃになっているのではないかと思います。目撃談話があまりに詳細に割っており、作文みたいにもみられます。いずれにせよ、66年も経つと記憶がおかしくなります。
コメントありがとうございます。
あいにく父が入院中のため、明日にでも加藤さんのコメントを読ませたいと存じます。