東京では一定所得以下の70歳から上の老人は、年に1千円払うと都内を走るバス
と都営地下鉄に"無料”で乗れる。老人になると、どうしても出不精になり運動不足
になる。この"無料”パスがあると、経済的にも助かり,乗りつぎすれば、かなり遠出
もできる。
僕もこの恩恵に預かり,併行して走る便利な私鉄を敬遠して、時間はかかるがもっぱ
らバスを利用しているが、最近、どうも僕らの世代に比べて日本人が他人への気配
りがなくなってきたように感じる。
先日もこんな事があった。車イスの60代の女性が乗り込んできても、だれも手を貸そ
うとしない。車イスを固定する座席にいた若者は立とうともしない。女性は車イスから
降りて床をはっている始末なのにだ。
これは極端な例だが、普段でも二人掛けの座席の場合、通路側にすわって窓際を空
けていて、乗客がきても詰めようともしない。さすがに老人優先席に座る若者は少なく
なったが、一般席に座れば”ここは自分たちの席”とばかり老人が来てもたとうとしない。
半世紀ほど前、僕らが20代の頃は、老人に席を譲らなかったら、同じ若者から注意さ
れたものだ。
気配りがないといえば、乗車するさい、カードをどこへしまったか忘れてしまい、カバンの
中を探しまわっている若者も多い。それから降りる時も出口まですぐ来ない若者がめだつ。
動作がにぶくなったとは思えない。他人への気配りがなくなってきたとしか思えない。
と都営地下鉄に"無料”で乗れる。老人になると、どうしても出不精になり運動不足
になる。この"無料”パスがあると、経済的にも助かり,乗りつぎすれば、かなり遠出
もできる。
僕もこの恩恵に預かり,併行して走る便利な私鉄を敬遠して、時間はかかるがもっぱ
らバスを利用しているが、最近、どうも僕らの世代に比べて日本人が他人への気配
りがなくなってきたように感じる。
先日もこんな事があった。車イスの60代の女性が乗り込んできても、だれも手を貸そ
うとしない。車イスを固定する座席にいた若者は立とうともしない。女性は車イスから
降りて床をはっている始末なのにだ。
これは極端な例だが、普段でも二人掛けの座席の場合、通路側にすわって窓際を空
けていて、乗客がきても詰めようともしない。さすがに老人優先席に座る若者は少なく
なったが、一般席に座れば”ここは自分たちの席”とばかり老人が来てもたとうとしない。
半世紀ほど前、僕らが20代の頃は、老人に席を譲らなかったら、同じ若者から注意さ
れたものだ。
気配りがないといえば、乗車するさい、カードをどこへしまったか忘れてしまい、カバンの
中を探しまわっている若者も多い。それから降りる時も出口まですぐ来ない若者がめだつ。
動作がにぶくなったとは思えない。他人への気配りがなくなってきたとしか思えない。
今は若くても人間はいつしか年をとります。男も女もやがて老人になります。男は妻が妊娠するかもしれません。女は自分が妊婦になるかもしれません。誰しもが障害者になる可能性もあります。自分が困った時に誰も助けてくれない社会になっています。その時に文句を言っても遅いのです。みんな明日は我が身、同じだということを忘れています。情けない国になりました。自分だけ良ければという考えの人は、無人島にでも暮らせばいいのです。教育をやり直さないといけませんね。
もうこの問題はあきあきする問題ですが、やはり提起しなければなりません。車イスの女性が床に手をついているのに何故手をかさないのか。嫌がらせになるみたい(そう思わないのかもしれませんが)ですが、僕みたいな老人が手を貸します。親が教えなくてはいけないのに肝心の親が教えられてこなかったのです。