「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

進駐軍がやってきたころ

2006-09-09 05:54:37 | Weblog
マッカーサー連合軍(進駐軍)司令官が帝都に進駐したのは、昭和20年9月8日
であった。日本が東京湾のミズリー号上で正式に降伏文書に調印してから6日後
である。マ元帥と共に約8,000人の兵士が代々木練兵場(今の代々木公園)に
幕営した。都民はこれを”断腸の思い”で迎えた(父の日記)。皮肉なことにこの
日をもって大詔奉戴日(大東亜戦争勃発記念日の式)は廃止となった。

それから3日後の11日、東京用賀の自邸で東條英機・元首相が収監に来た進駐軍
兵士の前でピストル自殺を図ったが、一命はとり止めた。翌12日には杉山元・元
帥夫妻が自殺した。記録によると、進駐軍による戦犯指名、逮捕を前にこの一週
だけで元将軍、閣僚が5人が自ら命を絶っている。

このころ庶民の生活はどうだったかー。父の日記によると、わが家では庭の防
空壕がこわされ、貴重品を取り出した。(8月31日)強制疎開の補償金9,020円
が半年ぶりに区から交付された(9月1日)気象通報(天気予報)が復活した
(8月26日)毎晩のように停電があり、配給の胚芽米を一升ビンの中にいれ、
はたきの棒で”精米”するのが仕事であった。

占領当初は各地で占領軍による犯罪が多発、9月20日には葉山の御用邸まで略奪
にあっている。性犯罪対策として東京都はRAA(特別慰安施設)を大森海岸
などに設置した。
僕ら中学生は始めて見るジープや黒人兵に目を驚かせた。やがて家から人形など
を持ち出し、横浜大桟橋付近で米兵に”エクスチェンジ”と声をかけチュウイン
ガムやチョコレートと交換したものだった。



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2 コメント

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Unknown (chobimame)
2006-09-10 22:43:31
祖父は帰還してから、進駐軍にタイヤなどを運搬する仕事をしていた時期もあったらしいです。

豊富な食料やバイクや車を見る度に、力の差を感じたそうです。

それに女の兵隊もいたそうで驚いたとか。

急にアメリカ文化が入ってきて、一番混乱していた時期なんでしょうね。

私はこの時代は知りませんが、青春の門を本で読んだ事があるので、なんとなくそれをイメージします。
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Unknown (kakek)
2006-09-11 08:49:52
chobimame さん



女性の兵隊さんは話題になりましたね。

第二の黒船の時代だったかも知れません。

でも日本人は変わり身が早く「日米会話」

のパンフレットがベストセラーになったのを

覚えています。

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