「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          「築地野口屋」の倒産と豆腐屋のラッパ

2012-01-08 07:29:46 | Weblog
東京山の手の街中をリヤカーに豆腐を載せて販売していた若者が新年になって見かけないので、どうしたのかと思っていたら、昨年暮れ元締めの「築地野口屋」が資金繰りから倒産していた。東京もご多分にもれず、高齢化、商店街から遠い住宅街の年寄りたちにとっては、少々値段は高くても重宝がられていた。しかし、豆腐はあくまで豆腐、他人を沢山雇ってやる商売ではなかったのだろう。

もう半世紀以上も昔から、僕の住む町には夕暮れになると、昔ながらのラッパを吹いて豆腐屋さんが自転車でやってくる。子供が小学生だった頃、まだ豆腐屋さんの先代だった時代だが、荷台に積んでいた商品に誤って遊んでいた道路の土が入ったことがあった。幸い少量だったので、その部分はわが家で引き取った。以来の付き合いだから、ラッパが聞こえてくると、スーパーなどに比べると倍値もするが、おつきあいで購入することもある。

戦前の東京には豆腐屋をはじめ物売りが多かった。想い出すままに列挙する。チャルメラを吹いてやってきた支那蕎麦(ラーメンではない)屋。チンチン鈴を鳴らしてやってきた雑貨屋、子供相手のおでん屋、拍子木を叩いてくる紙芝居。表現できない音をたててくる、煙管のヤニ取りと修理ののラオ屋。金魚売り、さお竹売り、べっこう飴、おしんこ細工屋、玄米パン屋。僕は直接聞いたことはないが、東京湾のイワシ子売りやおいちに、おいちにとやってきた薬売りなどなど。

当時の日本は貧しかった。こういった物売りなどして人々は懸命に生きていた。今は幸せな時代である。生活保護の申請者がふえているそうだが、中には仕事がないという理由で受領している若者もいるそうだ。「築地野口屋」でリヤカーを押しながら豆腐を売っていた若者は当然職を失ったわけだ。一豆腐屋の倒産だが、いろいろと考えさせれる問題を含んでいる。

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4 コメント

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不景気 (chobimame)
2012-01-09 17:00:17
あの豆腐屋さんは、私もたまに買っていました。
最近来ないなと思っていたら倒産していたとは残念です。
ああいう豆腐屋さんは、高齢者の多い場所ではかなりウケが良かったそうです。
昔の商店街のようなコミュニケーションが取れるからです。
でも最近の若者は、人とのコミュニケーションを求めませんから、購入する人の世代が限られるそうです。
若者は大型スーパーの無人レジの方がウケがいいそうです。
変な時代ですね。
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仕事の創出 (kakek)
2012-01-10 13:01:09
chobimame さん
無気力な若者がおおいみたいですが、リヤカーを押して商売するというのは見どころがあります。おそらく、他の道でも生活してゆけるでしょう。
仕事をなんとか創出しなければなりませんね。新聞広告を見ていると多少求人んが多くなっているみたいですが、臨時とか季節限定が多いみたいですね。震災地の復興は思うように行っていない。
政治が問題ですね。
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Unknown (S)
2012-01-23 06:34:41
野口屋は給料未払いや売れ残りを従業員に買わせたりと色々問題があった会社なので当然の結末だと思います。
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まず給金を (kakek)
2012-01-23 17:09:13
s さん
おカネができたら、まずリヤカーを押していた若い人に給金を支払うべきですね。
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