7月10日は語呂合わせから「ナットウ(納豆)の日」だという。もともと納豆を食べる
習慣がなかった関西地方の納豆業者が、その消費拡大を狙って1981年に制定
したのが始まりだという。すでに30年近くたっているのに、首都圏ではあまりしら
れていない。「ナットウの日」がなくとも毎日食べている人が多いからであろう。
今ではほとんど姿を消してしまったが、東京では戦前、納豆といえば稲わらで包ま
れたものしかなかった。朝早く納豆売りの”ナットウ、ナットウ”の声で目を覚ました。
といっても戦争中は納豆も食卓から消えていたから。もしかすると想い出は戦後のもの
かもしれない。
稲わら納豆が消えたあと暫くの間、三角形の経木に包まれて売られていた。この納
豆は今でも時々店でもみられるが、大半は四角のプラスチックの箱に入っている。
納豆の食べ方は全国各地で違うようだが、明治17年生まれの江戸っ子だった亡父
は、納豆に古漬けのおしんこを細かく刻んでいれ、糸を引くまで納豆をかき回 して食
べていた。老妻の実家の長野の兄嫁は砂糖をかけて食べていた。僕は大粒の納豆を
ごく普通にかき混ぜないで食べるのが好きだ。
"納豆売りの女郎買い”-という諺がある。貧乏人はムダ遣いをして余計貧乏になるー
といった意だが、多分、納豆や納豆売りは江戸時代から庶民の間にあったのだろう。
ブログの材料に困った「納豆の日」の納豆雑感。
習慣がなかった関西地方の納豆業者が、その消費拡大を狙って1981年に制定
したのが始まりだという。すでに30年近くたっているのに、首都圏ではあまりしら
れていない。「ナットウの日」がなくとも毎日食べている人が多いからであろう。
今ではほとんど姿を消してしまったが、東京では戦前、納豆といえば稲わらで包ま
れたものしかなかった。朝早く納豆売りの”ナットウ、ナットウ”の声で目を覚ました。
といっても戦争中は納豆も食卓から消えていたから。もしかすると想い出は戦後のもの
かもしれない。
稲わら納豆が消えたあと暫くの間、三角形の経木に包まれて売られていた。この納
豆は今でも時々店でもみられるが、大半は四角のプラスチックの箱に入っている。
納豆の食べ方は全国各地で違うようだが、明治17年生まれの江戸っ子だった亡父
は、納豆に古漬けのおしんこを細かく刻んでいれ、糸を引くまで納豆をかき回 して食
べていた。老妻の実家の長野の兄嫁は砂糖をかけて食べていた。僕は大粒の納豆を
ごく普通にかき混ぜないで食べるのが好きだ。
"納豆売りの女郎買い”-という諺がある。貧乏人はムダ遣いをして余計貧乏になるー
といった意だが、多分、納豆や納豆売りは江戸時代から庶民の間にあったのだろう。
ブログの材料に困った「納豆の日」の納豆雑感。
コメント管理の誤りで貴コメントも消えてしまいました。黒豆の納豆は高級感があって美味しそうですね。