「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

東京ぶらり昔話 自由が丘 "田舎の"香水"がt漂っていた今セレブの街

2021-08-29 06:19:24 | 2012・1・1
自由が丘といえば今では東京でもセレブの街として知られているが、昭和の初めまで荏原郡碑衾(ひぶすま)村と、いかにも”田舎の香水”が匂いそうな地名であったが、1929年、渋谷から横浜に通じる東横線がここまで延び駅ができ周辺は一変した。当初は駅近くの浄土宗の古刹、浄真寺の別名、九品仏の名前をとっテイたが、32年に寺前に大井町から溝の口へ通じる大井町線の別の駅ができたため自由が丘と改名された。

自由が丘という地名は昭和7年に東京市の町村合併で35区制になったとき当時の荏原郡碑衾町の7つの字が一つとなってできた。碑衾町の畑の中にできた自由が丘学園という旧制中学校の名前からとったものだ。当時まだ自由が丘は郊外で駅前にわずかしか商店がなく、駒沢にあったゴルフ場行きのキャデイバスがでていた。

戦前の遠い記憶だが、大井町線の引っ込み線の操車場横に電車を利用した学校があった。戦後黒柳徹子の自伝「窓際のトットちゃん」で、黒柳さんがこの私立校に何年か通っていたことを知り驚いた。東横線のプラットホームの上からは昔農家だったわらぶき屋根の家がが見られた。

九品仏のお寺は昔のままだが、広い墓地の裏にあった池は今はない。子供時代、ボート遊びをしたものだが、今は高層住宅に様変わりしている。歳月の流れを感じる。

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