ご尊父を”戦犯”で刑死された遺族から手紙を頂いた。手紙の趣旨は遺族
会が海外の慰霊地参拝旅行用に配った地図から、なぜか”戦犯”の方々の
埋葬地が削除されている。意識的とは思いたくないが、遺族にとっては、ま
だ”戦犯”に対する偏見、蔑視があるのかと思い、ショックだという内容だ。
最近読んだ大手出版社の「BC級戦争裁判」の表紙裏には「(BC級裁判)と
はアジア太平洋戦争における残虐行為の命令者、実行者5,700人が裁かれ
た裁判」と定義づけしている。果たして全員そうなのであるかー。戦争を知ら
ない世代が戦争について書くな、とは言わないが、書く場合は事実に基づいた
事を書いてもらいたい。
例えば、オランダBC級法廷の行われたホーランジア(現ジャヤプーラ)は旧蘭
領にもかかわらず著者はパプアニューギニアと誤記し、二等兵の戦犯刑死者
は全法廷を通じていなかったと、自分の予見で誤記している。また、戦犯者の
うち将校には、あたかも人権がないかのような自分の解釈で実名を書いている。
将校だけではなく「きけわだつみの声」の上等兵の方も実名で書いている。実名
で書くなら、彼が本で書いている無罪の主張も併記すべきである。
戦争中釜石の捕虜収容所長だった方は、捕虜のためにクリスマスを祝ったり、海
水浴をさせたりしていた人だったが、連合軍の艦砲射撃で捕虜を死なせたとの
理由で戦後"戦犯”として逮捕されている。著者は戦犯の記述は"複合的”に書く
べきだ、と書いているが、まさにその通りなのだが。
会が海外の慰霊地参拝旅行用に配った地図から、なぜか”戦犯”の方々の
埋葬地が削除されている。意識的とは思いたくないが、遺族にとっては、ま
だ”戦犯”に対する偏見、蔑視があるのかと思い、ショックだという内容だ。
最近読んだ大手出版社の「BC級戦争裁判」の表紙裏には「(BC級裁判)と
はアジア太平洋戦争における残虐行為の命令者、実行者5,700人が裁かれ
た裁判」と定義づけしている。果たして全員そうなのであるかー。戦争を知ら
ない世代が戦争について書くな、とは言わないが、書く場合は事実に基づいた
事を書いてもらいたい。
例えば、オランダBC級法廷の行われたホーランジア(現ジャヤプーラ)は旧蘭
領にもかかわらず著者はパプアニューギニアと誤記し、二等兵の戦犯刑死者
は全法廷を通じていなかったと、自分の予見で誤記している。また、戦犯者の
うち将校には、あたかも人権がないかのような自分の解釈で実名を書いている。
将校だけではなく「きけわだつみの声」の上等兵の方も実名で書いている。実名
で書くなら、彼が本で書いている無罪の主張も併記すべきである。
戦争中釜石の捕虜収容所長だった方は、捕虜のためにクリスマスを祝ったり、海
水浴をさせたりしていた人だったが、連合軍の艦砲射撃で捕虜を死なせたとの
理由で戦後"戦犯”として逮捕されている。著者は戦犯の記述は"複合的”に書く
べきだ、と書いているが、まさにその通りなのだが。
あの裁判は、正しい判断の元にされた裁判ではありませんが、戦争に負けるということは、こういうことなのでしょうね。
しかし、不公平さにも程がある!
誰しもが、好きで戦争に行ったわけではありません。
とくにB級、C級まで処刑する必要はないと思います。
あれは見せしめ以外の何モノでもないと思います。
和蘭裁判についていえば完全に報復裁判でした。オランダ兵はほとんど戦わずして捕虜になり、日本に連れてこられ炭鉱で働かされたり、泰麺鉄道で労働させられました。そのときの恨みがどの裁判にも反映しています。
知人の厳父は昭和20年6月から8月、
連合軍が逆上陸してきたカリマンタンでジャングルの中で逃走中、原住民にみつかり戦闘となり、殺されかけたため殺したにすぎません。
岩波新書の著書は戦争について、偏見の持主で、勉強不足です。
B級C級裁判も、殆ど一方的な軍事裁判であったことを明確にすることなく記述し、裁判で罪状が明らかにされ判決が下されたから悪人であると言う評価を、何の衒いもなく記述する日本人がいることが信じられません。
殊にオランダの軍事裁判は、その裁判記録が一部しか公開されていないにも拘らず、裁判記録を盾に新たな軍関与の資料が見つかった、などと都合の良く騒ぎ出す日本人がいます。このような人が目的としている物は何なのでしょうか。社会正義の追求を目指すには、近隣諸国の悪行三昧には無関心のようですし。
岩波新書の”BC級裁判”の著者は、マレー作戦緒戦の「共産匪討伐作戦」を戦後40年もたってから華僑大虐殺にすりかえ、例の日本刀による赤ん坊宙ぎり"事件”をでっち上げている人物です。
彼が40年も経ってから”虐殺事件の首謀者”として、すでにチャンギで銃殺刑に
処せられている将校を実名でマスコミに
売り込んだため、遺族は広島(原爆被害者)に住めなくなり、引越ししています。マレーの討匪作戦は馬来共産党のライタク書記長の手引きによるもので、通常の作戦でした。
日本の軍隊では、普通入隊して6か月たつと星二つの一等兵になります。従って海外の戦地には二等兵はおりません。終戦
まじかになって戦地の民間人が現地徴兵になり、この人たちの中に二等兵がいただけでした。