東京のきのうは夏日、大型連休の後半に入っても老人には、こ
れといって行くところはない。家族は皆出払っている。僕も新緑
に誘われて、まだ多少緑の残る皇太子妃の実家方面へ自転車
で出かけた。この当たりは環状7号線が出来るまでは一戸建て
の瀟洒な住宅街だったが、いまは”甍”(いらか)の屋根は消え、
高層の集合住宅に変容した。橘の香りも失せ、鯉のぼりも青空
に泳いでいない。
端午の節句、昔はどこの家でもちまきを食べたものだ。環7が出
きるまでは栄えた、昔ながらの和菓子店で5本が1巻となったちま
きを925円で買った。高いのか安いのかわからないが、子供の時
のあの味だった。
男の子の節句には「鯉のぼり」の歌とともに「脊くらべ」の歌を想い
出す。
「脊くらべ」
(作詞海野厚 作曲中山晋平 大正12年)
柱のきずはをととしの 五月五日の脊くらべ
ちまき食べ食べ兄さんが 計ってくれた脊の丈
きのうくらべりや何のこと やっと羽織の紐の丈
この季節になるといつも歌っている歌だが大正時代の日本が凝縮
している。都会ではもう柱のある家が少ない。”兄さん”のいる家庭
も少ない。羽織の丈といっても着物は今では、女性が成人式に着る
ぐらいだ。いわんや羽織の紐の丈が何センチなのかわからない。
老妻に聞いたら紐の丈はは約二寸、7センチとのことだ。作詞家、海野
厚の家庭は三男四女、いまはそんな大家族は減ってきた。
れといって行くところはない。家族は皆出払っている。僕も新緑
に誘われて、まだ多少緑の残る皇太子妃の実家方面へ自転車
で出かけた。この当たりは環状7号線が出来るまでは一戸建て
の瀟洒な住宅街だったが、いまは”甍”(いらか)の屋根は消え、
高層の集合住宅に変容した。橘の香りも失せ、鯉のぼりも青空
に泳いでいない。
端午の節句、昔はどこの家でもちまきを食べたものだ。環7が出
きるまでは栄えた、昔ながらの和菓子店で5本が1巻となったちま
きを925円で買った。高いのか安いのかわからないが、子供の時
のあの味だった。
男の子の節句には「鯉のぼり」の歌とともに「脊くらべ」の歌を想い
出す。
「脊くらべ」
(作詞海野厚 作曲中山晋平 大正12年)
柱のきずはをととしの 五月五日の脊くらべ
ちまき食べ食べ兄さんが 計ってくれた脊の丈
きのうくらべりや何のこと やっと羽織の紐の丈
この季節になるといつも歌っている歌だが大正時代の日本が凝縮
している。都会ではもう柱のある家が少ない。”兄さん”のいる家庭
も少ない。羽織の丈といっても着物は今では、女性が成人式に着る
ぐらいだ。いわんや羽織の紐の丈が何センチなのかわからない。
老妻に聞いたら紐の丈はは約二寸、7センチとのことだ。作詞家、海野
厚の家庭は三男四女、いまはそんな大家族は減ってきた。
地方に行けば、まだ見るのかもしれませんけど。
都内では、無理なのかもしれませんね。
あってもメザシみたいな可愛い物ですよね。
”めざし登り”でも飾れる家は幸せです。先日、仙台と郡山では満開の桜と
青空に泳ぐ鯉のぼりを見てきました。
鯉のぼりもやはり自然がないと冴えません。