「緊急事態」宣言発令下と「蔓延防止」適用地域の新規感染者数 7月14日 水曜日
「緊急事態」 東京1149、 沖縄83 「蔓延防止」 神奈川361、千葉208、埼玉243、大阪344
筆者事前予想との差 東京99、沖縄7、神奈川41、千葉8、埼玉63、大阪94
東京5月13日以来1000人台に逆戻り。
「緊急事態」宣言発令下と「蔓延防止」適用地域の新規感染者数 7月14日 水曜日
「緊急事態」 東京1149、 沖縄83 「蔓延防止」 神奈川361、千葉208、埼玉243、大阪344
筆者事前予想との差 東京99、沖縄7、神奈川41、千葉8、埼玉63、大阪94
東京5月13日以来1000人台に逆戻り。
世の中の変化の激しさをたとえて「蒼桑の変」という。青海原の地が桑園に変化した譬えだが、東京の湾岸エリアはまさにそうだ。僅か1世紀足らずなのに、桑園どころか天をつく超高層ビルが立ち並ぶ街に変化してしまった。湾岸エリアは東京湾の埋め立て地区をいうが、幕末ぺルリの来日に備え徳川幕府が造成したお台場とも結ばれている。
昭和16年,国民学校5年の夏休み、筆者は、今は姿を消した第二お台場で海洋少年団主催の水泳道場に通っている。毎日竹芝桟橋から送迎の艀が出ていた。第二お台場は平坦な地で施設など何もなく、にわか造りの更衣場があり、筆者らはここで赤い六尺ふんどしに替えた。初心者用に木枠の浅いプールが用意されていたが、海水は汚染されていた。
東京湾の埋め立て工事で現在、六基造成したお台場のうち陸続きながらも現存しているのは第三と第六だが今一部が「お台場公園」としてある第三お台場は戦前から公園であった。筆者が生まれて育った五反田の目黒川の大崎橋脇からは秋のハゼ釣りの季節になると公園めぐりの舟が出ていた。筆者も一回参加したが、第二と違い砲台跡の起伏があり黒船当時が偲ばれた。