昭和50年(1975年)札幌のテレビ局に勤務中、系列の会議が下北半島の薬研温泉であった。めったに行けない地なので前後数日休暇をとり本州最北端の地を観光して歩いた。むつ市は昭和30年、当時の田名部と大湊とが合併してできた市で、その面積は青森県の12%もある広い市だ。
大湊の名は戦時中「地理」を学ん世代には、横須賀,佐世保とならんで旧海軍の鎮守府のあった軍港と知られているが、田名部は歴史好きの一部が、幕末の頃会津若松松平藩が戊申の役の後,移封された斗南藩があった地としか知られていない。
薬研温泉は下北半島を流れる大畑川上流の渓谷沿いの小さな温泉でかっぱの宿で名が通っている。会議の後、筆者はバスに乗って日本三大霊場といわれる恐山にでかけた。活火山のカルデラ地だが、いかにも霊験ありそうな雰囲気を醸しだしているが、イタコの口よせのお世話にはならなかった。
さらにバスに乗り、本州最北端の地、大間岬へでかけた。マグロの一本釣りの港だが、季節はずれで食にできず最北端の碑を寫眞に収めた。大間から北海道の函館汐首岬港までは海を隔てて17.5キロ、フェリーで1時間足らずであった。なかなかできない3泊4日お旅でった。