昨日、8月17日はインドネシアド独立74周年記念日であった。インドネシアは僕の人生の”タテ軸”を構成する一つであり、毎年この日には、この国の独立を祝し、独立に関わった日本の先人たちの労に想いを馳せることにしている。
その一人、西嶋重忠氏(故人)は僕の知り合いだが、昭和20年8月17日宣言されたインドネシア独立宣言文書起草に立ちあっている。宣言文は当時ジャカルタにあった前田精海軍武官府邸で起草されたが、西嶋氏は武官府の嘱託で通訳として参加している。その会議の模様は氏の自叙伝「証言インドネシア革命ある日本人革命家の半生」(新人物往来社1975年)に詳しい。
インドネシア独立宣言原文の起同草日付が「17,8.05」となっている。この「05」は当時軍政下一般にも日常的にも使用されていた皇紀2605年からきているが、日本ではこれをとらえ、インドネシアの独立は、日本の支配下のものであり、スカルノ(初代大統領)ハッタ(同副大統領)が日本へ敬意を表したものだと解釈している人もいる。これに対して、西嶋氏は前記自叙伝の中で、”(起草期日が皇紀なのは)私を含めてそれに気が付かなかった。当時の緊張した空気の表れである”と書いている。会議はスカルノ,ハッタの拉致、監禁、時間との競争の中で行われた。
昨日も東京の目黒の大使公邸では、74年前にあわせて早朝8時から式典が行なわれたが、参列した友人の話によると、当時インドネシアに従軍した世代も皆90歳を越える高齢になり参加者はなかった。僕も失礼し西嶋さんら先人の労に想いをはせた。