「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

東京 庭木の喪失

2018-09-25 05:17:35 | 2012・1・1
いつも常套句として使わせてもらっているが、昨日、”猫の額”のようなわが家の庭に、区のシルバー.センターから派遣されてきた職人さんが二人きて手際よくこの夏の猛暑でのびのびになっていた庭木を剪定してくれた。僕は生まれつき不器用で、花鳥水月にも、あまり関心がないほうだ。老妻の説明をきいて、わが家の生き垣がハマサカキ、べにカナメであるのを知った。庭木にも椿、モクレン、モクレン、柿、びわ、梅などなど植えられていた。

僕が今住む町は、昭和の初めに郊外の高級住宅街として開発されたため、敷地が広く、当初は200㎡ほどあり、立派な庭木に囲まれていたが、半世紀以上の歳月を経て、敷地は二分、三分されて、生き垣もブロック塀に変ってしまった。駅前に広い植木だまりまで持っていた植木屋さんもいつか廃業してしまった。

戦前昭和の時代、僕が住んでいた目黒川沿いの町は、まだ藁葺き農家も残っており、台地の大名の下屋敷跡には自然木が群生していた。皇后陛下の生家跡、池田山の「ねむの木公園」もその一つであった。ご生家は財産税の贈与の際、区に土地を寄贈された。そのお陰で、今でも緑が市民を楽しませてくれている。しかし、周囲は高層マンション街に変容してしまった。

僅かでも緑があるので、わが家の二階ベランダにも、野鳥が羽を休めにやってきてくれる。季節には梅の実がなり、自家製の梅干しも楽しめる。やはり、人間にとって緑はなくてはならない存在なのだ。