「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

日本の敗戦とチャンドラ.ボースの"ソ連亡命 "近現代史の解釈

2016-02-21 05:56:48 | 2012・1・1
産経新聞(2月19日付け首都圏版)1面に大きく終戦の3か月前に日本政府は、インド独立運動家、チャンドラ.ボースのソ連への亡命を容認していたというロンドン発特電を掲載していた。ボースの孫にあたるCNN記者がインド、英国、台湾などの関係者から問題を聴取し公文署からの機密文書からこの事実が判明したものだという。終戦3か月前にボースが日本当局に、ソ連行きを申し出て、日本がこれを許可したのなら興味深い。

しかし、3か月前の5月当時、日本はソ連との間に不可侵条約を締結しており、日本がボースのソ連行きを容認しても不思議ではない。ソ連が中立条約を一方的に破棄し、ポツダム宣言に参加したのは8月8日である。当時ボースはシンガポールに滞在、、サイゴン(現在のホーチミン)にあった日本軍の南方軍総司令部(寺内寿一元帥)と連絡を取り合っていたが、ソ連の対日参戦を知り、サイゴンに行き、協議の上、満州(中国東北部)関東軍参謀への転出命令の出ていた四手井綱正中将と同じ軍用機に同乗して、8月18日経由地の台北松山飛行場で事故死している。南方軍は、ソ連がすでに対日参戦していたのを知らなかったのだろうか。

ボースの台北での事故死につぃて、インドでは一部でいまだに不審視しているようだが、四手井中将の戦死の公電もあり、事故機機長の証言もあって、まぎれもない史実である。しかし、産経新聞の記事の見出しには”45年以降(ボースのソ連)入国なし”、と、まったく無意味な記述がある。整理記者が、内容をミスリードしているとしか思えない。近現代史の解釈は若い記者の勉強不足もあり、気をつけて読まなければならない。