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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

84歳の誕生日 平均寿命と健康寿命

2015-02-16 06:55:11 | Weblog
84歳の誕生日を何とか"健康”で迎えることができた。一昨年暮れ、左膝に人工関節を入れた結果、身障者4級、要介護1の認定を受けたが、今のところ、他人様のお世話にならず、同じく要介護1の老妻と二人だけで自宅で生活できている。84歳といえば、父親が46年前亡くなった時と同じ年齢だけに、なんとかそれをクリア出来て、安堵に似た気持ちである。

日本人の平均寿命は年々伸び厚労省の発表では、2013年度の男性は80.21歳と初めて80歳代に達し、女性は86.61歳と世界一を誇っている。お蔭で、僕は平均寿命を越えているわけだが、いつまでこうして”健康”にいられるかは判らない。正直の話、寿命が延びても、寝たきりの生活になったり、認知症で他人に迷惑をかける生活ではしたくない。

平均寿命とは別に健康寿命が最近言われてきている。WHO(世界健康機構)が2000年に制定した基準で”日常的に介護を必要とせず、自立できる期間”で、厚労省の統計(2012年)では男性70.40歳、女性73.62歳と、平均寿命に比べると、10歳近くも差がある。この差が、いわゆる介護であり支援である。僕ら夫婦は、すでに健康寿命もクリアしたが、周囲には転倒して寝たきりになったり、認知症が出てきた。

老化は止めることはできない。数年前まで僕は”アンチ.エ―ジング”(抗老化)を試み、スポーツジムに通ったことがあったが、結果的には”年寄りの冷や水”であった。やはり老人は老人に会った健康法がある。僕の場合は、膝の手術の入院中、多少高かった血糖値を下げた療法がよかった。食事療法によって、今は薬の投与を受けていない。健康寿命を延ばすには、生活習慣病の治療にあると僕は独断しているがー。誕生日の占いには”日常生活に留意して健康な毎日を送るよう”とあった。

戦争を知らない戦前生まれ世代のおかしな歴史認識

2015-02-15 06:16:22 | Weblog
自民党の二階俊博総務会長が安倍総理の親書を携え訪韓、朴槿恵大統領と会談した後の記者会見で”(従軍慰安婦問題について)元慰安婦が生存している間に解決したい。日本は真摯(しんし)に向き合わないといけない。理屈を並べていては問題は解決しない”とおかしなことを言っていた。わが国が真摯に問題に取りこまず、理屈ばかり述べてでもいるというのか―。

日韓両国間の諸問題は1960年の基本条約ですべて解決済である。当時、いわゆる従軍慰安婦の問題は存在しなかった。その後朝日新聞の誤報などがあって、問題化してきても、わが国は人道的立場から「アジアのための女性基金」を創設、「河野談話」まで用意し謝罪した。一部の慰安婦はこれに応じて謝罪金を受け取っている。これ以上、何を日本に何を要求しようというのか。

二階氏は昭和14年2月生まれで76歳、「河野談話」の河野洋平氏は12年生まれで78歳。ともに後期高齢者だが、昭和1ケタ前期生まれの僕らとは歴史認識が違うようだ。僕らは従軍したり、学徒動員で直接、戦争に組みこまれたが、彼らは戦争中幼児で実際は戦争を知らない。それに戦後の占領軍下の教育の被害者でもある。教育だけではない。問題の”従軍慰安婦”と”娼婦”との相違も実体験がないから理解できていない。

二階氏は、かっての僚友小沢一郎氏の中国への”朝貢外交”にならったのか1400人もの”おつき”を従えて訪韓したそうだが、問題は安倍総理の親書を携行したことだ。公私混同にとらえられても仕方がない。今度は4月には、なんと3000人もの旅行団を組んで訪中する計画もあるという。韓国といい中国といい、今、首脳会談開催をめぐって微妙な時期にある。かりに安倍総理が二階氏を”露払い”役として派遣しているとならば軽率すぎる。

イエメンの政治悪化とジプチ自衛隊基地

2015-02-14 05:57:31 | Weblog
「ジプチ自衛隊基地大強化「イスラム国」との紛争拠点だ!」という見出しで、今、発売中の週刊誌「Friday」が伝えている。読んでもいないのに批判するのは失礼だが、すこしセンセーショナルすぎる。しかし、「イスラム国」がイエメンを”領土化”し、戦火が拡大、日本がこれに巻き込まれれば,まんざら、ありえないことではない。

ジプシはアフリカの北東部に位置し、アラビア半島に面する面積四国ほどの小国だが、日本は2009年の国連安保理決議に基づき、ソマリア沖海賊対策の一環として自衛隊の基地を置いている。ジプチ政府から14haの土地を借り、空港内の敷地に司令部やP-130哨戒艇の格納庫などを置き、アデン湾を航行する船団の護送の任務に就いている。

このジプチからアデン湾を隔てたイエメンの政治がまたぞろ大混乱に陥り無政府状態が続いている。治安が悪化し米国をはじめほとんどの国が大使館や領事館を閉鎖し、在留民を国外に退去させている。日本も避難区域に指定しており、大使館を一時閉鎖しているから、在留邦人は一人もいないはづだ。イエメンは過去にも1984年と94年の二回、やはり政治混乱から大使館を閉鎖して居留民を海外に退避させたが、その避難先がジプジであった。

今回の政治混乱は、国内の過激派組織「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)が関係しているようだ。この組織が「イスラム国」と関係が有るかどうかは判らない。しかし、「イスラム国」はイエメンを領土化宣言している。半世紀以上昔だが、僕はイエメン王国が崩壊した直後のアデンとタイズを取材したことがあるが、特別な資源もない砂漠の中の貧しい国で、政治は慢性的に不安定である。

イエメン第二の都市、アデンとジプチとはアデン湾を隔てて”指呼”の距離である。かりにアデンが「イスラム国」に占拠されることになれば、ジプシの自衛隊基地も戦闘に巻き込まれる危険はある。今年1月、中谷元防衛大臣がジプジ基地を訪問しており、防衛省はすでに最悪の場合を想定してシュミレーションしていると思うが、イエメンが歴史的に混乱が続く国だけに心配である。

新聞は高価な勧誘プレゼントより購読料を値下げせよ

2015-02-13 06:00:51 | Weblog
昨日独りで留守番をしていたら玄関のブザーが鳴って”○○新聞です”という。今月一杯で併読紙をきったはずなのにと思い、ドアーを開けたら、購読してくれたお礼だと、立派な胡蝶蘭の造花を差し出した。これが勧誘の一種の手で、学生アルバイトだという若い男の”口車”に上手に乗せられ、来年1月から3か月間、再び購読する契約にサインしてしまった。すると、男は今度はそのお礼だとして2キロ入ったお米の袋を置いていった。返却する理由もないので、有り難く頂戴したがー。

新聞の購読の落ち込みは”従軍慰安婦誤報”の朝日新聞だけではない。他のライバル紙も同じであるらしい。時事通信社の昨年度の調査によると、新聞購読世帯は全世帯数の74パーセントにすぎない。有料ネットに至っては僅か3パーセントだという。IT時代に入って、情報はネットで簡単に入手できるようになったためだろう。しかし、僕が思うには、新聞の記事内容も昔に比べて面白くなくなってきたのも原因しているのではないだろうか。

毎週木曜日の朝刊に掲載される、新刊の週刊誌広告の見出しを見るの僕はを楽しみにしている。新聞では報道されされていない内容が載っているからだ。今週号の見出しには”厳父は高野山の高僧 賢母は民生委員 空海でも救えず”と、紀の川市で起きた少年殺人事件の容疑者の家庭事情を紹介していた。多分、新聞は事件には直接関係ないことであり。人権侵害に当たるという理由から伝えなかったのであろう。しかし、読者にとっては興味ある問題であり、何故、こんな家庭の子供がこんな犯罪に走るのか、その背景を知りたくなる。

活字人間の僕には、やはり情報源は新聞である。新聞報道は皆同じになってきたといわれるが、産経新聞と東京新聞では論調が全く違う。出来たら数紙購読したいのだが、年金生活者にとっては経済的に負担である。胡蝶蘭の造花やお米の袋をプレゼントしてくれるよりは、購読料を値下げしてもらいたい。

国益確保 国民が納得するODAに

2015-02-12 05:34:34 | Weblog
開発途上国に対するODA(政府開発援助)の基本方針が12年ぶりに改訂され「開発協力大綱」の名称で閣議決定された。新大綱は安倍総理が推進する「積極的平和主義」に基づき、相手側軍に対しても非軍事分野なら協力する旨明らかにし”国益の確保に貢献する”ことを第一にすることを明確にした。

1992年確定され、2003年に改訂された旧大綱は”軍事的用途や国際紛争を助長するような援助は禁止されるなど制限があったが、一方、中国への援助など国民の目か見れば、疑問に思えるものもあった。1979年に始まった対中国援助は無償有償を含めて3兆円にのぼり、中国の空港、道路、鉄道などのインフラ整備に使用された。しかし、中国では、国民の多くはこのことを知らず感謝もされていない。

日本のODA予算が世界一だった1980年から90年にかけて僕はJICA(国際協力機構)の研修事業に嘱託として働いたことがあるが、当時ODAは企業の利益誘導だと批判が多かった。それに国益とはあまり縁のない”大盤振る舞い”が目立った。僕が直接担当した研修事業では、世界のどこにあるのか判らない南アフリカの小国レソトとかカリブ海に浮かぶ小国のバルバドスからまで研修員を招いていた。国連安保理常任理事国立候補の際の票集めとのことだったが。

対中国ODA援助が続いているのかどうか、寡聞にして知らないが、テレビの画面で見る限り超高層ビルが林立し、経済は毎年高い成長率を遂げている。かって対中国援助が”戦争賠償”的意味合いを持ち、街中に人民服を着た市民がの自転車通勤が見られた時代とは違う。国益確保を第一に、相手国を選び国民が納得する援助にして貰いたい。

「建国の日」知っている2割 安倍総理異常とは思いませんか

2015-02-11 06:40:27 | Weblog
今日2月11日は「建国の日」の国民の祝日である。戦前は「紀元節」といい元旦、天長節、明治節と共に四大節で、学校では建国の神武の世に想いを馳せ、国の弥栄を共に祝った。今、後期高齢者以上の日本人なら”雲にそびゆる高千穂の”で始まる式典歌と紅白のお祝いの饅頭を貰った想い出と共にはっきりとこの日を憶えている。

しかし、今の日本人で「建国の日」を正しく知っているのは、日本青年会議所(JC)の調査によると、僅かに19.3パーセントにすぎないという。一方、JCが日本在住の外国人について調べたところ、中国人は100パーセント、カナダ人が97.7パーセント、米国人も91.3パーセントが自国の建国記念日を知っていたとのことだ。安倍総理、これは異常だとは思いませんかー。

「建国記念日」に政府主催の記念式典を行うべきだという声があった。たしか自民党の公約であった。ところが、昨年から、これに替わって総理が国民宛てにお祝いのメッセージを発表することになった。昨年は歴代総理初めてのことだとして、マスコミも高く評価したが、今年は産経新聞が5面の総合面(首都圏版)に小さな囲み記事で”平和と繁栄時代に引き継ぐ”と紹介した程度で、読売は小さなベタ記事だ。

安倍総理は、記念式典の開催について、先日の参院予算委の答弁の中で”歴史の長い国は、あまり式典がない”と前置きして””わが国は、いにしえの国であり、静かに祝うのも方法”と政府主催の式典開催を暗に否定している。しかし、国民の5人に4人が建国記念日を知らないというのは”静かに祝う”という総理の認識とはほど遠いのではないだろうか。

戦前、政府主催の記念式典が学校以外で行われていたわけではない。しかし、国民がみな学校で皇国史を学んでいたから、式典がなくても「紀元節」を知っていた。しかし、今は今年の日教組教研集会で依然として”高天原”の歴史は戦前の天皇中心の国家主義への復帰だ”との偏見がある。政府は道徳を教科にして郷土愛、国家愛を改めて教えようとしている。神話であってもよい。綿々と2675年も続く建国の歴史に誇りを持って素直に祝う日にしたい。近隣諸国の変な思惑とは関係ないことだ。

”命あっての物種” 退避勧告地での取材

2015-02-10 06:12:59 | Weblog
外務省から退避勧告のが出ているにも関わらず再三取材に出かけたいと申し出ていた新潟のフリーカメラマンのパスポートが没収された。旅券法には(パスポート)名義人の生命、身体保護のため必要な場合、没収できるという一項があり、これに基づく措置で当然だと思う。だが、これに対して渡航と報道の自由は憲法で保障されていると反対の声も上がっている。「イスラム国」の人質事件で、これだけ国に迷惑をかけた人間がいたばかりなのに、まだ随分おめでたい日本人もいるものである。

僕が初めて海外に渡航したのは1962年(昭和37年)だが、以来53年間お世話になったパスポート7冊が手元にある。パスポート没収の話に触発され、懐かしさから、取り出して眺めてみたら、最初の一冊目のパスポートは、新聞社の特派員用だったのかもしれないが、渡航先が限定されており、主な取材先の中東と西欧29か国の名前が記されているが、冷戦さ中だった共産圏諸国やイスラエルの名前はない。二冊目(66年)も赴任先のインドネシアのほか東南アジア8か国の名前だけで、中国や北朝鮮の名前はない。

三冊目からは、一般のパスポートだが、1980年代のものには”北朝鮮を除く”と記されている。が、今年11月まで有効の最新のパスポートには”unless otherwise endoorse"という条件つきながら世界各国、各地域に有効と印刷されている。旅券の表記、解釈も時代によって変わるものなのだろうか。

朝日新聞の記者が外務省の勧告を無視してシリアで取材しており、競争相手の読売新聞がこれを批判している。朝日はシリア政府のビザを取っての取材だと反論している。しかし、数日前にも首都ダマスカスでテロによるバス爆発事件が起きている。相手政府が取材を許可しても、無政府状態の国である。どこまで生命が保障されるのだろうか。俗っぽい言葉で恐縮だが”生命あっての物種”である。


教員の生徒への私的メールや「LINE」

2015-02-09 07:13:06 | Weblog
読売新聞の2月8日付け首都圏版1面トップ記事によると、公立学校教員の生徒への私的メールや「LINE」を禁止させる県や政令都市が増えているという。この種のことに疎い僕だが、禁止の原因が、教員の猥褻(わいせつ)にあると知ってびっくり仰天、世も末。先生に対する道徳再教育も必要ではないかとさえ思った。

戦前昭和の僕の子供の頃は、学校の先生といえば”仰げば尊とし”の聖職であったが、、今や「聖」の字が「性」に変ってしまったのか。文科省の2013年度の調査によると、全国の公立学校で猥褻行為で処分を受けた教員が205人もいた。これは過去の最高であったそうだ。だが最近のブログ検索サイト「NAVER」によると、今年になってからだけでも14件もの教員の猥褻行為が報告されている。神奈川県では県立高校の教員二人が「LINE」を使用して女子生徒を教室に呼び出しキスをしていたという。

「道徳」の授業が2018年から「教科外」から「教科」に”格上げ”されるが、問題は教師の指導力だという。戦前、小学校で修身教育を受けた僕らの時代には、まったく先生の指導力など問題など問われなかった。しかし、こうも猥褻な教師が多いとなると、冗談ではなくて、改めて「道徳」を教える教師のための「道徳」の時間が必用なのかもしれない。

昔、戦争直後のある時期、先生の成り手が少なく”でも仕方がなくて教員になった時代があった。しかし、今はきびしい試験を受けて採用されていると聞く。戦後の道徳教育無視のツケが今、ここにきて現われてきたのであろうかー。


仏風刺漫画出版に思う イスラムに配慮した旧日本軍

2015-02-08 06:23:31 | Weblog
イスラムの預言者ムハマドの風刺漫画を掲載したため、過激派の怒りを買い12人も殺害されたパリの週刊紙「シャルり.エブド」の日本版を出版する計画があるという。出版前から在日イスラム団体の一部から強い反対が出ている。出版の意図がはっきりしないが、たんに興味本位で”売らんかな”とコマシャリズムによるものだったらやめたほうがよい。

若い世代は知らないかもしれないが、平成3年(1991年)筑波大学のキャンパス内でイスラム研究者の助教授が刺殺される事故が起きている。事件は迷宮入りしているが、助教授が当時、世界的に話題になっていた、イスラム蔑視の小説「悪魔の詩」を日本語に翻訳、出版したのが原因だとされている。イランのイスラム指導者、ホメイニは、著者の英国人作家に死刑を宣告、トルコでは本を出版した関係者20数名が殺されていた。

日本にはイスラム教徒は少なく、歴史的にも関係は薄いが大東亜戦争の緒戦時、南方作戦に従事した日本軍将兵はイスラムについて勉強させられた。昭和16年12月8日、マレー上陸作戦に従事した第25軍兵士には事前に「これだけあれば戦争に勝てる」というパンフが配られ、また17年3月1日、ジャワ上陸作戦の第16軍兵士にも「皇軍あらたに皇民皇土をつくる」という三つ折りの手帳が渡されたが、この中にはイスラムについて(1)寺院(モスク)にやたらに入るな(2)聖典(コーラン)用語をみだりに使うなから、始まってイスラム教徒の豚や犬を嫌う習慣や飲酒が禁じられていることなど詳述されている。

「シャルリ.エブド」風刺画の日本側出版社は、ムハマドの顔にカバーしたり、専門家の意見も同時掲載して配慮しているそうだが、過激派でなくともイスラム教徒にとっては、預言者への諷刺画は侮辱と受け取られる。他宗教に対して寛容である日本とは違う宗教もあることに留意すべきである。

90歳でも元気な昔の仲間たちがいる一方。

2015-02-07 05:39:54 | Weblog
戦後すぐ学校を出て16年間お世話になった新聞社のOB会から会報が届いた。その中で会員が自分の近況を150字で伝える欄があるが、超高齢化時代、それぞれの老後の生き様が判って興味深い。その見出しだけ拾ってみると、”御嶽山噴火、一足早く下山でセーフ””お別れ用写真撮りボランティア””毎朝5時銭湯で身も心もスッキリ””二胡に明け暮れ仏教を学ぶ”人などなど。

300人ほどの会員が近況を寄せているが、OB会といっても会社を”卒業”したばかりの60歳代から90歳代まで幅広いが、さすがに80歳も半ば近くになると、現役時代共に苦労した仲間の数は少なくなってきた。でも”あちこちメスが入ってもうガタガタの91歳の老爺い”がいる一方”ジム通いが日課、月2回のゴルフ三昧”という92歳や”「I-pad」で写真を撮り、それを眺めるのが楽しみという92歳の先輩もいる。

医学の進歩である。僕と同様ガン手術の体験者が沢山いる。大腸ガン、胃ガンの手術をしながら、北海道の利尻礼文へ高山植物の観賞旅行へ出かけた人。大腸ガン手術後、晩酌を週2回、月木曜にした結果、手術後10年になるが元気いっぱいの先輩、肺がん手術後も二つの団体でボランティア活動をしている元軍事記者etc。

でも1960年代から70年代にかけて一緒に机を並べ仕事をしていた僕の仲間は1人しかいない。20人近くいたはずなのだがー。どうも外信部という仕事上、時差の關係で深夜勤務が多く週に3回も宿泊勤務したシフトが原因したのではないだろうか。当時中国の文化革命で北京や、ベトナム戦争でサイゴン(当時)に勤務した仲間は、すべて皆世界を別にしている。激務によるストレスが原因なのだろうか。