Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

4月1日(木) 本を読みたいが時間がとれない

2021-04-01 21:43:37 | 日記

茂木健一郎さんが、かなり強烈なスクープを発信していらっしゃる。昨今の日本のメディア。とりわけテレビの状況を憂慮し、皮肉たっぷりに情報を流している様子は、エイプリルフールならではの茶目っ気にあふれていて楽しい。

新型コロナの感染が第4波にさしかかって、思わぬ場所で流行を見せてきています。変異株が主流だとすれば、これからは第3波どころの騒ぎではなくなるのは必定。
聖火リレーも始めれば止められないのがこの国のDNAによるものなのだが、早く緊急事態宣言を解除してほしいとつい先日言っていた大阪府知事が、大阪市での聖火リレーは止めようと言い出す無様。ついでにオリンピック止めようと言えばいいのに。

東京での陽性者が400人強というデータも、調べればわかるように、相変わらず検査数7000人台での結果に過ぎないのです。どうすればいいのかについては、さまざまな専門家や政治家から具体的な提言が出ているのに、政府はその気はさらさらなし。ほとんど思考停止状態に陥っているのではと思ってしまいます。

厚労省の役人達が夜更けまで飲み会をやって処分というのも、緩みきっているというよりも、もうこんな仕事やってられないという”やけっぱち”な心情の裏返しじゃないのかなあ。上司に反抗してもいいことはひとつも無い。それなら一蓮托生、行くところまで行っちゃえというような・・・。

池田町の職員の空気がどんなものなのかは当事者ではないので分からないけれど、これまで見聞きしている限りでは、かなり霞ヶ関の官僚のみなさんの空気と似ているんじゃないのかなと心配になる。

     *    *    *

最近、読むべき本が増えて困っています。
世に訴えることがあって、止むに止まれずに執筆する本がこれだけあるというのは、世の中が急激に変化し、人々の生き方や考え方を問い直す時期に来ているということなのでしょう。

若い人に読んで欲しいと内田樹さんが選んだ10冊は次の通り。
東洋経済のインタビューであげた「世界と日本を見通すための教養書10冊」なんだそうです。

加藤典洋『九条入門』
白井聡『主権者のいない国』
平川克美『株式会社の世界史』
斎藤幸平『人新世の資本論』
水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』
宇沢弘文『宇沢弘文の経済学』
デイヴィッド・グレーヴァー『ブルシットジョブ』
ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』
丸山眞男『日本の思想』
平田オリザ『下り坂をそろそろと下る』

私も、今読もうとしているものを終わったら、これらにもすすんでみますか。若くはないけれど(1/3は読んだ)。
雨がふってくれないかなあ。そうしないと、畑仕事が押していて、ほとんど時間がとれない・・・。


4月1日(木) あの世の友へ

2021-04-01 20:49:07 | 日記

今日は、中学で同級生だったつねちゃんの誕生日だ。あの世へ旅立ってからもう30年になる。
4月1日が生まれ日だったことは同級だったときから知ってはいたけれど、1日違っていたら学年が違うのだから、まさしく奇跡に近い生まれ方をした人(私にとっては・・・だが)だったわけだ。

いまでも時おり、もし生きていてくれたら、どんな会話をしていることだろうと考えることがある。
自立心が強く、自分の心を絶対に人には悟られまいとするような頑固なところを持った人だったから、その会話も何気ない世間話だけで終わることになるのか、それとも懐かしさに心を開いて、あのときのように素直な気持ちを吐露してくれるのか。いずれにしても、子や孫の話だけで終わることはないだろうということだけは確かだ。

こうして30年経ったいまも、私の記憶のなかに転写されて生き続ける人がいる不思議。おそらく、転写というのは結局のところ、その人の姿をありのままに写し取るのではなく、自分の都合のよいようにデフォルメしたものであって、その人の言うように「本当の私の姿をあなたは知らない」のだろう。若い頃の私は、いまとは違って(いや、あまり違わないのかも)、その変形の度合いは余りに大きかったから、一面ではまさに正鵠を射た私への批判でもあった。

しかし、一方では、私が求めていたものをその人もまた心の奥深くで求めていたことは疑いようがない。それは「与ひょうの実直さ」という私への評価に表れている。なぜ、大学生になって「夕鶴」の「つう」を自ら演じたことを私に知らせたのか。なぜ何枚もの写真を持ってきてわざわざ見せてくれたのか。
その後も長い間、私の中で、そのことを含めてさまざまな疑問が湧き出て、グルグルと同じところを旋回しながら繰り言を並べていたのだった。

ひとは、自分の心のなかにそっとしまい込んでいるものを、そう簡単には外に出さない。出せないと言った方が正しいのかもしれない。なぜなら、その思いは、それが形作られた「とき」と「ところ」の当事者でなければわからないことだし、大抵は、仮にその世界にいたところで分かるはずのものでもない。自分だけの体験と想像の産物であるわけだから。

今は、ただこの日がその人の生まれ日であることをこうしてたまたま思い出すに過ぎない。思い出せば、それまでの記憶がすべてよみがえり、流れ、そしてまた静かに消えていく。