Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

1月31日(火) 「輪切り」の結末

2023-01-31 14:58:44 | 日記

いつもとちょっと話題を変えて、我がふるさと富山のお話。

いつだったか、富山県での統一協会の跋扈が甚だしく、2020年の知事選挙で新田八郎知事候補が統一協会の選挙支援を受けていたことが報道されたことがありました。新田氏は、追及されると今後関係を持たないと述べつつ、「未来永劫お付き合いをしないと宣言することは、政教分離原則の観点から問題がある」などと述べていた記憶もよみがえってきます。

前回2020年の富山県知事選挙は、当時の現職であった石井氏に、新田氏が挑むという保守分裂選挙。この選挙は結構泥沼状態だったようで、石井陣営の選挙準備で県職員が関与したいた疑惑が報じられた一方で、新田側は統一協会の組織的な支援を受けていたという事実も次々と明らかに。統一協会は謀略ビラなどは得意分野ですから、どっちもどっちでしょうかね。
この新田氏、2021年の4月には新型コロナ蔓延下で「5人以上の会食自粛」の警報を自ら発した2日後に、当時の富山市長ら6人と飲食を伴う会食をしたことが発覚し富山県民のひんしゅくを買いました。

このお二人、石井氏と私とは高校の同期だし、新田氏の方は、私が名古屋の高校から富山の高校に移ったその年にその高校に入学したようで、教えたかどうかは記憶にありませんが、何となく名前に聞き覚えがある(後でアルバアムを見たら、確かにいました)。私のような劣等生とは異なって、石井氏は東大から自治省(当時)へ入省、新田氏は一橋大から第1勧銀に入行ですから、とにかくエリート中のエリートということでしょう。家族関係もスゴイ。

当時、富山の「有名進学校」は御三家と言い、進学率でもしのぎを削っていました。私が高校に入学した頃には、すでにピラミッドの体制は完結しており、高校に就職した頃にはさらに洗練されたものになっていました。

その「進学指導」の基準は勿論「偏差値」です。当時は外部テストはあくまで参考程度。自校のテスト成績で詳細な偏差値表を作っており、生徒はそれらをもとに東大、京大、東工大、一橋大・・私学なら早稲田、慶応と「輪切り」の合格目安が決められ、それに従った「進学指導」が行われていたのでした。そうした進学指導の「技術」は、それに携わる教師のステータス・シンボルとして「出世」の指標ともなっていました。

体制がそうなのですから、生徒は当然のように偏差値偏重の学習態度や意識に傾斜せざるをえず、更に、家庭環境や親の収入の過多によってますます「輪切り」体制が固定化されていくことになります。そうではない、「変わった」生徒もそれなりにいましたけれど。

その高校で約15年(途中5年間は組合の専従休職)ほど勤めましたが、その間何人かの同僚とともに教育改革を目指していろいろな運動に取り組み、それなりの成果を上げたと自負しています。先に農業問題でのニュースを紹介しましたが、その著者は改革の中心的役割を果たした尊敬すべき人物です。「進学指導」を中心とする学校運営が夜の料亭での相談で決められていることが多発していた当時、その方の発した一言「この学校は伏魔殿か!」は今でも語り草になっているほど。

知事になっているお二人が、高校から大学、その後の社会生活の中でどのような遍歴を重ねていらっしゃったかは関知するところではありませんけれど、今日の政府を形成している御仁を見るにつけても、この国の教育の様々なゆがみが実に如実に「指導的立場」にある人々に現れていることを、苦い思いをかみしめながら見ているこのごろです。もっとも、私の中にも、同様の「ゆがみ」が結構詰め込まれているのではないかと思いつつ・・・。


1月31日(火) 行革委員会の終結に向けて

2023-01-31 13:43:34 | 日記

朝から強い日差しの上天気。外を眺めていると目がチカチカし、目を閉じるとまぶたの裏が真っ赤に染まる。数センチの雪がまだ残っているので、その白さを目に残したまま家に入ると、家の中は真っ暗。日光の強さで1月末にもかかわらず、日中の充電がすすんで有り難い。
ただ、電気代節約のために、先日灯油ストーブに切り替えたために、今度は灯油代が結構かさむように。どっちがいいのか分からない厳しい冬になっています。

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さて、池田町の行財政改革推進委員会が大詰めの段階を迎えており、このあと2月には7日と22日に会議を予定、最終答申に向けての議論を行うことになっています。22日までには町の財政シミュレーションが示される予定。

これまでの2年近くの審議を経て、現在の池田町の財政状況を明らかにしながら、その対策をさまざま打ち出してはきたものの、町長を中心とした取り組みはさっぱり進んでいません。
それもそのはず、町長のリーダーシップの欠如が著しく、財政好転の指標すら示せないという情けない状態。町長自身は、自分はトップダウンでのリーダーシップはとらないと明言しているのですから、困ったものです。

こうした状況を受けて、行革委員会の最終答申では、解決のために何が必要なのかをしっかり提言しなければいけませんが、同時に、財政の現状を明らかにし、委員会だけでなく議会や町民に資料提供してきた委員2人(M氏と私)で、これまでの資料をまとめつつ、総括的な冊子を作って残そうと話しているところです。

昨日から、ようやくその作業を始めたものの、いざまとめるとなると、どうしても二番煎じの感じが拭えないため、なかなか構想がまとまらない。結局、できるだけ簡単に要点を絞ったものになるのではないでしょうか。
3月の委員会終了に合わせて、委員の皆さんや議員、町民有志に配布して記録として今後の参考にしてもらおうと考えているところです。

過去に、2010年頃から財政白書づくりに取り組んできた私としては、財政問題でのまとまった資料づくりはこれが最後になりますから、それなりにきちんとしたものにはしたい。


1月29日(日) 読解力 AI vs 人間

2023-01-29 11:20:56 | 日記

気温が低いために、わが家の周りはまだ道路も真っ白。ようやく青空が広がり、気持ちの良い日曜日になっています。

MNEMOさんが早朝から誕生日のお祝いメッセージをブログで書いて下さり、驚くやら感激するやら。本当に嬉しく読ませていただきました。私がMNEMOさんを理解する以上に(というより、音楽活動を含めてほとんど理解していないのでしょうけど・・・)、はるかに私の生活や考えを深く見てくださっていて、時々褒めすぎのときはあるにしても、今回も私以上に正確に評価をして下さっていました。

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誕生日の今日はまた変な夢で目を覚ますことになりました。何と若い時の私が、英語のテストで22点を取ったという夢。その時の教師との会話が面白い。

「君、go abroadってどんな意味かわかるかい?」
「そりゃ分かりますよ。海外に行くってことでしょ」
「でも、答案の訳ではそれが全く無視されている」
「この英文、直接話法が多すぎて読みづらかった」
「君は自分の言っていることが分かっているのか。それは逆だろう。間接話法が多用されていればもっと難しい。それが熟語を読み飛ばす理由にはならない」
「そうですね。読解力が不足しているってことですね」

その昔、英語で苦心惨憺していたことがよみがえったのか、それとも文章読解力の無さに対する劣等感を別の角度から自分自身で思い知らせようと作用したのか。

そういえば、昨日体調を崩した妻を松本の病院に連れて行き、待っている間に病院の本屋で買った「文春2月特大号」(目覚めよ!日本101の提言)で、国立情報学研究所教授の荒井紀子さんが書いた一文「AIに負けない読解力を」に多少影響されていたかも。

彼女は、学び直しのツールがネット上でいくらでも手に入る現在でも、「これだけお膳立てされても学べない人がいる。答えはシンプルだ。多くの人が『自学自習するスキル』を身に付けないまま成人している」と書き、文書を「読み解く力」の重要性について語っていたのです。
そこでは、「読解力」とは何かについては全く触れてはいませんでしたが、TEDによるこの講演を聴いたら多少は理解できるかも。
それにしても、日本語ですら、このくらい流ちょうに話のできる人はそういないんじゃないかなあ。

数学者で東大ロボット(AIで東大入試に合格する実力を持つロボットを作る)の開発者である彼女のAIの解説は説得力があり、人間がそれに凌駕されない力を持っていることもまた力説していたのが印象的でしたね。その力を獲得することを急がなければならないという点も。最近、本の字面をただ読み飛ばしている自分自身への警告として、神妙に受け止める必要がありそうです。


1月29日(日) 77歳を迎えて

2023-01-28 22:48:57 | 日記

この歳になったからと特段に何か思うことや覚悟があるわけでもなく、もうこの歳になったかという程度ですから、草書体由来の呼び方ではなくパチンコの大当たりの7並びくらいに思っていた方がちょうどよい。

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この日だからというわけではありませんけれど、ちょうどいい機会なのでいくつか書いておきますね。

まず、これまでは地域的な課題や全国的な政治課題などで、多くの方々と力を合わせて結構な活動をしてきましたけれど、私個人としてはそろそろ社会的な活動からは退くべき時ではないかと思い始めているということ。・・・とまあ、いきなり後ろ向きな言い方で恐縮ですが・・・。

どの国でも、年寄りが立ち上がって政治が変わったという試しはないんじゃないかなあ。大体立ち上がろうとしてもよろけるか転けるてしまうのがオチでしょうし。若者が中心になって自分たちの未来を求めることによってしか変革は実現しないのです。彼らから何かを求められれば必要な行動はできるだろうけれど、彼らに何かを教えるとかリードするなどということはそもそもおこがましい。

若い世代の大勢が、「老害」としか言いようのない自民党政治に抵抗することもなく、大軍拡や低賃金労働、原発増設や農業破壊を(いやいやだとしても)受け入れて、それでよし(あるいは仕方がない)とするのであれば、それはそれで一つの選択でしょう。勿論彼らは、それがどんな結果をもたらそうが自らすべて引き受けなければならないことは自明のことです。大人達がそのような結果を引き起こしたと叫んだところで詮無いこと。受け入れた事実は消すことはできませんから。

これは事実の問題を述べているだけで、そうなってほしいとか、多分そうなるだろうなどと思っているわけでは決してありません。むしろ、絶対にそのような歴史に逆行するような政治を許すのではなく、きっぱりと断ち切るべく、若い世代の皆さんに敢然と立ち上がってほしいと切望しているのです。

念のために申し添えますが、私は自らの考えを発信することを止めると言っているわけではありません。戦争への道を食い止めるための最大限の努力は惜しまないつもりではいますけれど、これまでの延長線上での「行動」では、新しい運動への発展性もなく、若い世代との接点もほとんど持てないだろうということです。

様々な階層の中で、何かを変えようという動きが現れ、大きくなっていく過程で、私たちの世代の知恵や経験が生きる時がある。なぜ、それをくみ取らないのかと若い世代を責めたところで何も生まれないだろうということ。何も生み出さないどころか、亀裂を大きくするだけでしょう。

私は、現在の行財政改革委員会での仕事を、この町への「最後のご奉公」と自らに言い聞かせて、それなりに力を入れてきました(3月末で終了します)。十数年にわたる財政分析を土台に、多くの資料を作ったし将来の方向も提起してきました。こうしたことは勿論誰にでもできるというわけではないけれど、もし本当に町の未来を変えようと思うなら、形はどうであれ誰かが跡を継いで前に進めなければならないのです。そのひな形は十分作り上げてきていますから、もし若い世代の皆さんが、その経験を学びたいということであれば当然ながら助力を惜しむものではありません。私が言いたいことはそのようなことです。

いつまでも、今のような仕事ができるわけではありませんし、する必要もありません。1人ではなく、複数人で力を合わせれば、こうした仕事は幾らでもできるし、他市町村では実際に行われている。他の課題でも、全く同じです。

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前にも書いたように、今年の末から1年の1/3ほどは沖縄で過ごすことにしています。「戦争ごっこ」の最前線に身を置くことで、見えてくるものがあるだろうと思うし、何が起こっているのかを伝える役目は私や妻にまだ残されていると思うからです。

これまでのように、義母の世話をしつつ妻の実家に滞在したときとはまた違った生活になるのかもしれません。どこにどのように住むのかは、4月に短期間沖縄に出かけて決めてくるつもりです。

それまでの農繁期は、せいぜい食料自給に精を出し、合わせて体力をつけるようにしっかり取り組みましょう。


1月27日(金) 鈴木邦夫さんの逝去

2023-01-27 21:24:16 | 日記

外気はかなり緩んで(午後8時現在マイナス3度)、外に出てもあまり寒いとは思わなくなっているのが不思議。チラチラ雪が舞っているので明日までには数センチの積雪があるかもしれません。

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2018年頃だったように思いますが、沖縄に出かけて高江から米軍基地脇を通って帰る途中、ある女性が1人で基地前で抗議行動を行っているところに出くわした。
後からわかったことは、このお方は東京の右翼団体「花瑛塾」の女性団員で、「捨て石になった沖縄に寄り添うのが本当の保守・右翼」という、至極真っ当な主張を堂々と掲げていました。

この塾は2021年11月に「愛国運動の原点を追及し世に問うという私たちの当初の大きな目標は、おおむね達成できた」と判断して解散。同時に「安倍、菅、岸田と首相はかわるも自公政権の悪政は続き、その補完勢力である維新の会の伸張を見る時、これに対抗する野党各党に心より期待し支持するとともに、私たちもまた新党を結成して国政や国政に準ずる大型自治体選挙に挑み、沖縄を始めとする私たちの考えを世に問うことなどができれば」とその決意を語っていました。

多分同じ志で結成されたのだろう民族派右翼団体「一水会」の創設者で顧問だった鈴木邦男さんがこの11日に死去されたとの報道があり、幅広い人々からその死を悼む声が数多く表明されています。
左派であれ、右派であれ、今日の日本の現状を真面目に考えれば、対米従属・隷従一辺倒で、この国のあり方を根底から崩してしまう、売国右翼の主張には我慢ならないのは当然です。
岩波書店はツイッターで、鈴木さんは岩波から出版した書籍で「為政者がナショナリズムを煽り、排外主義の高まる現状に果敢に警鐘を鳴らしました」と述べていました。

私は、内田樹さんとの対論「慨世遠吠え」でその主張を知ったに過ぎませんけれど、このような人たちとは「議論」が成立するんですね。話を聞き分け相違を認め合い、一致できるところが何かを確認できるのです。その土台には、私など覗い知れない修羅場をくぐり社会の底辺で苦しみ悩む人々と接してきた深い経験があるはずです。

現在の自民党の主な政治家やその取り巻きの言論人たちは、それが全くできない。むしろできないことが政治家たる所以であるかのように信じている節さえある。
山崎雅弘さんが言うように「祖父や父から選挙の地盤と金蔓を引き継いで政治家になった二世三世議員は『新しい状況に接し独力で対処した経験』がない。だから旧来の踏襲や先代時代への回帰でしか対処できない」のでしょう。

これに付け加えれば、庶民の生活からかけ離れた金満生活の中では、社会の変動の実相や世界史の流れなどを見通す知力も萎えて、自分の頭では何も考えられず、出来の悪い領袖の言動をお手本に行動するしかなくなっているということですかね。統一協会との醜悪な関係を清算出来ないのも無理はありません。