Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

7月25日(木) 池田町の人口減少問題を考える (その3 おわり)

2024-07-25 10:43:24 | 日記

7月初めのブログ記事で、池田町の人口減少問題について、データをもとにしていくつかのポイントを記載しました。

池田町の人口減少は20年前から始まっており、この間に抜本的な対応が取られるべき問題だったのです。しかし、行政も議会もこれに対する対応は鈍く、今から数年前にお隣の松川村に倣って移住定住補助金を10万円から100万円に増額。しかし、財政悪化の1つの要因を作り出してしまったことから議会で引き下げが議決され、もとに戻されることになりました。
思いつき的な対策で移住者を増やそうとしても、池田町の人口問題の本質に触れないやり方では効果はありません。

新町長が誕生したことで、行政の姿勢も若干変わり始め、この7月10日からテーマ1で4回、テーマ2で4回の町民ミーティングが開催されることになりました。
私は入院などがあったために、30日の最終回に申し込みをしました。以前にこのブログで示した資料を持ち込んで、意見を述べようといま準備しているところです。

テーマ1は「池田町の人口減少、少子高齢化をどう考えるか」というものです。このテーマ設定自体に、現在の行政の立ち位置が現れていると私には思えます。
すでに行われたミーティングで町から示された資料をもらってきて見ているのですが、現在の池田町の実態を的確にえぐり出すというものにはなっていません。
同じ資料を使うとしても、前もって資料をホームページ等で示し、町の分析と評価をつけて議論を促すのであればまだしも、当日説明し、すぐに分散討論というやり方で一体町民のどのような意見を期待しているのでしょうか。

池田町にとって、いま最も重要なことは、「人口減少の実情を正確に掴むこと」、しかも単に行政だけではなく、町民全体の認識にしていく必要があるということです。それなしに、テーマ2で今後の対策を話し合おうとしても、土台無理な相談でしょう。

私は当日参考として配付する資料に、次のコメントを付けました。資料から何が分かるのかをまとめたものです。

①人口減少は20年前から始まっていた。その後、2005(H17)年から緩やかに減り始め、その10年後2015(H27)年頃から減少幅が大きくなり(年間130人~150人の減少)、現在ではさらに減少が加速しているように見える。

②変化が大きくなる節目は2015(H27)年前後にある。そこから急激な減少が始まっている。

③20代の人口減少はなだらかに進行してきたが、30代の減少が2015(H27)年から激しくなり、池田町の出生者数の減少の大きな要因となっていると思われる。

④2015(H27)年あたりまでは転出より転入が多く、自然減を補っていたため人口減少は比較的緩やかだった。しかし、高齢者の死亡と出生者数の極端な減少とが重なったこと、および転出者の増大も加わって減少幅を大きくした。

⑤ 出生者数の減少の原因は、20代、30代の人口の減少によるものであり、とくに、転出者が転入者のほぼ2倍(令和になってからは2倍を超える)に上る深刻な状況がこの10数年続いている。

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今日の信濃毎日新聞は、お隣の松川村の村づくりについてかなりの紙面を割いて紹介していました。下はその一部です。

ほとんど人口減少を食い止め出生者数も維持している松川村の現在は、単に交通網に恵まれた地の利というだけに留まらず、長年の着実な村づくりの努力の結果なのです。人口の推移がそれを物語っています。
池田町が見倣うとするならば、ここ2,3年でどうすべきかという程度の近視眼的見方ではなく、せめて20年先を見越して、魅力的な町に作り変えていくビジョンを町民全体で練り上げるべきでしょう。財政基盤を充実させ、人口減少期に対応した重点的な予算配分を行い、住民の力を最大限に結集することが必要です。

ここで、政策を誤れば、池田町の人口減少は歯止めがきかなくなってしまうでしょう。新たな町政が始まった今なら「引き戻し可能」な地点にある、そのような厳しい認識が求められると私は思います。


7月24日(水) ブリ、巨大ピーマンと格闘

2024-07-24 16:32:30 | 日記

今日はまた特別な食材が到着。北海道でブリが捕れまくっているというので、ネットでいろいろ調べて注文。冬のブリなら2~3万円しても安いくらいですが、夏のブリはそれには劣るはずですが、とにかく値段が1/4くらい。触手が動いて7キロというヤツをポチッとしてしまったのでした。

活け締めにしてはらわたなども取ってあり、あとは三枚に下ろすだけ。とはいっても、巨大なブリですから、まずウロコを取るだけでも20分ほどかかる。その後、約一時間半ほども格闘して三枚おろしを仕上げ、1/3は刺身用、2/3は焼き魚用と保存食用(味噌漬け、塩漬けなど)、残は味噌汁の出汁用に仕分けしたところです。いやはや大変でした。
富山で買うような朝とれとは随分違いますから、それほど大きな期待はしていませんけれど、さて、どんなお味なのでしょうか。

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今朝は、未明の大雨・雷鳴で目が覚め、2度寝したために朝寝坊。
午前中は雨も上がってかなり気温も下がっていたために、ピークを過ぎ枯れ始めたキュウリを撤去し、新しいキュウリの苗を植え付けました。

庭には黄色の大玉トマトも植えてあり、ようやく色づいてきたと思ったら、夜中に「誰か」がまるごと食べて皮だけが放置してある。カラスはこんな食べ方はしないから、ハクビシンなのか。やむなく、トマトにネットがけせざるを得ませんでした。黄色トマトは今年の目玉。私の最も期待する野菜なので、今度「誰か」が無銭飲食するなら容赦しないぞ。

余りにも暑い日が続くので、野菜の生育にも大きな影響が出ています。前にも書いたように、暑さでやられる野菜と生育が加速する野菜とがある。わが家では、キュウリがしっかりした実をつけずツルの上の方が枯れてきて、ついた実も直ぐに巨大化して食べるに食べられない状態に。

例年、それなりに実をつけるピーマンがやたら巨大化して、スーパーなどで売っているものと並べてみるとその大きさの違いが一目瞭然。私は青椒肉絲が好物なので、ピーマンを3つも使うと深いフライパンでも山盛りになってしまう。・・・で、畑で採りそびれているうちにまた巨大なピーマンに。悪循環です。(下。右がわが家のピーマン)


7月23日(火) 膝の故障は一件落着

2024-07-23 20:28:54 | 日記

今日は抜糸の日。10時ごろから整形に行き、それほど待たずにすぐに処置してもらうことができました。併せて手術の内容を内視鏡カメラの撮影画面を見ながら説明してもらいました。”しばらくは”痛みはとれて以前のように生活できるだろうとのことで一安心。
しかし、軟骨のすり減りが歳相応に進んでいるので、いずれはそちらの痛みが出る確率が高いと告げられガックリ、その場合はそれに対応した治療を行うことになるとも。とりあえず、これで膝の故障については一件落着です。

その後、腰の主治医(膝とは別)による半年ぶりの診察。膝とダブルの受診でした。退院後畑仕事でちょっと無理をしたせいか、ここ2日ほど腰から膝にかけての鈍痛がひどかったので、最近の腰の痛みについて詳しく説明を求められました。どこが原因でこの痛みが続いているのかは依然として分からず、とりあえず痛み止めの注射をしてもらって帰宅。

こちらは10年越しくらいのキャリアですから、簡単には治らないとは思うものの、私自身の生活スタイルや運動も関わっていることは間違いないので、腰痛体操、自転車など自分で出来る対応は続けていくことにしました。
今度の診察は3ヶ月後。それまでに何とか自力で少しは改善出来たかなと思う程度にはしておきたい。

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ここ二日ほどは畑仕事は休みにしていましたが、この頃の日照りで乾燥が進んでいるので、夕方久しぶりに灌水ポンプを使っての散水に出かけました。ただ水を撒くだけですからさほど負担にはなりませんが、夕方と言っても4時から5時の間はまだ暑い。自分に水を掛けたくなる衝動とたたかいながら(田んぼの水ですから水浴びは無理)、小一時間放水を行ってきました。消防車の放水とはいかないけれど、強力なポンプなので相当遠くまで飛ばすことができます。おかげでかなり地表の温度を下げることが出来たのではないかな。

夏野菜もほぼピーク。ダイコン、カブ、キュウリ、レタスは終わって、あとはトマト、ナス、ピーマン、モロヘイヤ、ゴーヤー、ヘチマ、オクラなどが8月まで収穫できそう。冬瓜、カボチャは8月後半が収穫時。スイカも球数は多くはないけれど、かなり大きくなり収穫が楽しみです。


7月22日(月) The Penguin and the Egg

2024-07-22 13:50:06 | 日記

老朽化したハッブル宇宙望遠鏡の後継として、アメリカ航空宇宙局NASAが2021年に打ち上げ、翌年から撮影を開始したのがジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡。
NASAは打ち上げ2周年を記念して、一枚の画像が公開されました。それが下の写真。NASAのサイトから自由にダウンロードできます。まるでペンギンが卵を抱いているようだと評判になり、あちこちのメディアでも紹介されていました。

子どもの頃から宇宙への憧れは強く、それも1つの動機で理学部を志したものの早々に挫折。それ以来は深く突っ込んで考えたり調べたりすることもなく、歳を重ねてしまいました。
しかし、こうして高精細な画像を見るにつけても、広大な宇宙には人間の想像力をかき立て引きつける強力な磁場があります。生まれ変わって、神様が宇宙物理学の才能を賦与してくださったなら、新規まき直しで研究を志すこともあるかなあ。

右側のペンギンのようなのが渦巻き銀河(中心は目の部分らしい)で、左の卵が楕円銀河。地球からは3億2600万光年離れたところにあるといいます。ということは、我々は3億2600万年前の姿を見ているわけで、今どうなっているのかなど知る術もないことになりますね。2つの銀河の質量は同じくらいで距離は10万光年と近い。銀河同士が衝突しているわけではないが互いのガスやちりが衝突して新たな星が次々に誕生しているのだとか。今から数億年後には合体して1つになるらしい。
そんなこと言われてもねえ。

我々の住む天の川銀河も約40億年後には、250万光年離れたアンドロメダ銀河と衝突して合体するというのがハッブルの観測から導かれた結論らしい。衝突といっても、星々が互いにぶつかり合う訳ではありませんし、その頃には太陽の老化がすすみ地球も生物が住める状態ではありませんので、まあ、そんなもんかと思うだけ。宇宙規模の壮大な営みを私たちが認識できるだけでもすごいことです。

せめて我々が生きている間、人類が生存できる間、戦争など愚かなことをせずに、豊かに暮らすことがなぜできないか。


7月20日(土) 暑い夏休みの思い出

2024-07-20 21:19:50 | 日記

全国的に猛暑が襲って、8月に向けて更に暑くなる予感。発生した台風3合は沖縄先島諸島を通って中国に抜けていく模様ですが、この夏の台風はどうなるのかも心配です。ただ、台風で海がかき回されないと海水温が下がらないし、海の生物にも大きな影響が出てしまいます。

それにしても、アメリカ、トランプの「掘って掘って掘りまくれ」という化石燃料回帰発言は狂気の沙汰ですね。ま、そんな大統領を選んで自国に甚大な影響が出ても、それは自己責任ですけれど、それ以外の国の人々や多様な生物が大きな被害を被るのですから、米共和党支持者の方々もいい加減に目を覚ましてほしいものです。

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今はいつも暑いので「暑さの思い出」など全くありませんけれど、若い頃はそうではなかった。
思い出すのは高校一年生の夏休み。エアコンなどあるはずもありませんから、開け放った部屋に机を運んで、ほとんど裸になって夏の課題に取り組もうとしたのです。何も遮断するものがなければ外から丸見えですから、スダレをかけて見えなくするくらい。外はカンカン照り。体感では多分33度~35度くらいあったのではないでしょうか。風も通らない蒸し風呂地獄。

そのときに取り組んでいたのが数学で、「チャート式数学Ⅰ」(あの黄色い表紙の参考書)の中の、2次関数の文字定数を含む最大値・最小値問題でした。その頃からチャート式ってあったんですよ。数学では唯一の参考書だったかも。
高校では、参考書一冊を持たせて「チャート式何ページから何ページまでを夏休み明けの実力テストの範囲とする」などと実に大雑把な課題を平気で出していた。それをどうやるかは全く生徒に任される。当たり前ですが、ろくに事前の説明もなし。

私自身は、そんなことなど考える余裕もなく、恨めしく思う暇もなく、何とか課題をやりきろうとひたすら「真面目に」頑張っておりました。しかし、暑さのせいか(もともとか・・)頭が回らず、参考書に書いてあることが皆目理解できない。そうそう、相当に苦しんだから覚えているんでしょうね。結局、分からないまま2学期を迎えたのでしょう。

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もう一つの夏休みの思い出。今度は英語です。
中学生の頃、私は母親から勧められて英語の個人塾に「通わされて」いました。別にいやいや行っていたわけではありません。
そこでは、教科書を徹底的に理解するということが目標でしたから、そんなに難しいことはなかったし、どちらかというと面白く楽しかった。だから、自慢じゃないが英語はいつも満点に近い点を取ることができていました。

ところが、です。高校に入って様子が一変します。第一回目の実力テストで30点ほどしか点が取れなかった。これには本当に愕然とした。なんじゃあ、これは、という感じで、スゴく落ち込んだ。自尊心がズタズタにされた感じ。

あとから分かったことですが、付属中学や他校から来た生徒達は、学校や塾などで教科書だけではなく、さまざまな教材を使って英語を学んでいたために、全く理解のレベルが違っていたのです。

そんなことは当時の私には知るよしもありませんから、私なりにその原因を必死で考えた。その結果、行き着いた結論は、「言われたことをそのままリピートする程度の勉強しかしてこなかった」のではないかということでした。そもそも基礎が全く出来ていない。

さて、どうするか・・・私が選んだ方法は、一冊の易しい解説書をものにする、ということでした。そこで、その直後の夏休み、旺文社の「高校英語の基礎」という、チャートほどは分厚くない参考書を本屋に行って買い求め(誰に勧められたわけでもなく自分で探した)、それを夏休み中に一冊読み切ったのです。

頭のモヤモヤが消えていくような気がしました。英語の仕組みがよく分かり、自分の勉強法も見つけたと思えた。それから、英語に関しては何とか持ち直すことができたのでした。勿論大学受験にはほど遠いものでしたけれど。
(実は、どうやってもうまくいかない教科が2つあったのですが、それは割愛。やらなくてもうまくいった教科もあったけれど、これも割愛)

その頃から、私の学習法の第1の鉄則は「分からなくなったら最初に戻れ」になったのでした。その上で、自分で学習法を工夫する。覚え方も工夫する。覚えきる、自分でテストする。いやいや、今思えば、私、結構勉強好きだったんですねえ。それからすると、今ではもうそんな情熱も冷めてしまったなあ。

今、私の下に通っている中学生にも、昔々の自分の勉強法を話しながら、自分で工夫することの楽しさをぜひ体得してほしいと呼びかけているんです。
地元の中学も昨日から夏休みが始まったらしい。クソ暑い夏を迎えて、ふと私の高校時代の夏休みを思い出したことでした。お粗末。