Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

12月30日(土) 大掃除

2023-12-30 20:52:25 | 日記

大掃除二日目。朝から床、壁を磨き、窓拭き、ガラクタの片付けに精を出して、午後1時頃ようやく一休み。少しはきれいになったのかな。
午後からは、大掃除の後半。妻がカーテンを洗濯し、私はたまりにたまった紙類を整理。午後3時に終了しました。

その後は自転車こぎとストレッチ。朝、いつもはかなり強い痛みがある左膝が、今日はいくぶん和らいだ気がしたのはここ4日ほど続けているマッサージやストレッチのおかげなのか。一念発起して、毎日無理せずに続けてみようと考えた次第。ウオーキングはまだ負担が大きいので、当面は室内用の自転車こぎで代用しています。1ヶ月くらい続けてみて、その結果がどうなるか。まあ、腰と膝の痛みにはあまり影響がなくても、身体を動かすことは悪くはないので、習慣にしてしまえばいいということですね。

さて、明日はのんびり過ごします。
皆さま、よいお年をお迎え下さい。


12月29日(金) 農業法人への出資???

2023-12-29 20:39:39 | 地方自治

昨日から、私の体内時計が狂ってきたのか、今日が30日だとばかり思い込んでいて、自分でもびっくり。毎日が単調に過ぎていくと、時間の経過が分からなくなってしまうのか。夜寝るときにも、昨日も同じように布団に入り、同じように過ごしていたなあと思うことが重なっている。
29日だから、1日得したと思えばいいか・・・。

***

私は集落の一つの班の班長をしており、主な仕事になっているのが町などから依頼される配布物の配達です。今日が今年最後の配布で、広報などを一軒一軒回って配ってきました。
その中に、「町内の農業者の皆さまへ」と題する一枚の宣伝物が含まれており、「新たに設立する農業法人に出資をお願いします」と書かれていました。

文書表 町内の農業者の皆様へ 農業法人への出資をお願いします
文書裏 農業法人設立趣意書

一昨日「地方政治の基本的なあり方をしっかり押さえて、スジを通す」ことが大事だと、内容には触れませんでしたが、実は、この「新たに設立する農業法人」の問題が保育園に続いて町の大きな問題になっているのです。

私自身は「農業者」ではありませんから、直接この文書に書かれている対象者にはなりませんが、設立しようとしている農業法人の中心的な出資者が町になるわけで、公的な資金を投入するとなれば、農業者だけの問題ではなくなります当然ながら町の方針について議会での審議と議決が必要になります。

普通なら、この文書を見る限り、「ああ、町で出資者を募っているか」程度に終わるのが関の山。しかし、これまでの経過を踏まえてみれば、事はそんなに単純な問題ではないのです。

この事業や農業法人設立の手続きを住民にきちんと説明してきたのか、池田町の農業者の皆さんの多数からこの事業への賛同を得て進められているのか、議会でも十分な議論が行われてきたのか。果たして、町がほとんど全責任を負う形で参加して、実効性のある対策が講じられるのか。こうした問題が否応なしに突き付けられているのです。

この文書は、町長の諮問機関「池田町農業振興協議会」が12月4日に提出した「池田町の農業振興について 最終答申」に基づくもので、2月に新法人を立ち上げるとして、にわかに農業者への出資を呼びかけたということのようです。
その設立趣意書は池田町町長名で書かれ、設立呼びかけ人には、町長のほか、議員1名、協議会の会長を務めた県議が名を連ねています。

池田町のホームページを見ると、12月4日に最終答申が出されたあと、26日になってようやくサイトに掲載
農業法人への出資のよびかけが今日29日に配布される状況になったのですから、これを受け取った農業者の皆さんもビックリでしょう。

私自身は、答申の内容について様々な問題を感じてはいますが、いまは主として農業者の皆さんに議論してもらえばいいことですから、ここでは触れません。
私がここで問題にするのは、町が出資者となり職員を1名その法人に張り付けて事業展開を行おうとしているこの事業計画が、正常な手続きを踏んでいるのかということです。

(1)農業振興協議会の答申は、協議会から町長に提出されたものであって、その中に含まれる「新農業法人設立」は、町の方針としては示されていない。
町が、どれほどその答申に書かれている方針に賛同しようが、まず町として、答申内容をどのように実行するのが最もふさわしいのか、または実行できないのかを主体的に判断することが必要です。当然、実務にあたる町振興課が町長の指示を受けて協議して原案をまとめ、最終的に課長会議等を経て「町の方針」を立案することが必要です。

通常の行政運営においては、当然それだけの職員が関わっていくわけですから、出向させる職員をどう選ぶのかや必要経費にかかわる予算措置をどうするのかの計画が不可欠となります。
しかし、農業法人を2月に設立すると期限を区切っているために、いま進められているのは、その手続きをすべて省略したとしか思えない乱暴なやり方です。こんなことは、自治体行政としてはあってはならないことです。

これについて、町長は「すでに中間答申でもこの点は触れられており、その段階から農業法人設立は町として認めており、その方向で準備を進めてきた」とおっしゃるかもしれません。そのような意向を持っていたことは私も知っていますし、そのことをいま問題にするつもりはありません。問題はそこにあるのではないのですから。

毎回の協議会に町長が出席(諮問機関に町長が毎回出席するのは異例中の異例)し、まるで協議会の一員であるかのように会長から方向性への賛同を求められて同意を与えてきた事実があります。この点は議事録をご覧になれば分かることです。
仮にそうだとしても、それはあくまでその時点での町長個人の見解であって、行政としての方針を確立した訳では全くありません。もし、協議会での同意をもって法人設立にお墨付きを与えたというのであれば、行政運営に当たる長としては失格でしょう。たとえ、協議会で自身が賛成の意向を表明したとしても、それだけに過ぎず、行政としての方針はあくまで最終答申を受けてから主体的かつ具体的に立案されるべきものだからです。こんなことは素人でも分かる行政のイロハでしょう。行革委員会の答申については何とも軽く扱われているようで、ついには「町がやると決めたことはやる」という程度になっているのとは余りにも対照的です。

(2)議会に対して、「町の方針」が説明されず、この文書配布も事前に告知されていない。
この点は、議会軽視の極致とでもいうべきやり方です。
答申が出されたあと、協議会会長から議会に対して説明は行われています。それはこのような答申を出したという説明であって、町長がそれを受けての説明をしたわけではありません。
法人設立には当然町の出費を予定しているわけですから、町としてどれくらいの規模を予定しているのか、その出資以外に様々な「支援」(最終答申書26ページ)が求められているわけですから、出資以外の投資的経費もありうることになるでしょう。
だとすれば、概要でもよいから、筋道の分かる町の方針書がつくられ、議会と町民に対して、町はこのように考えているという説明をすべきです。
議員は、提示された町の方針について議論を行うのであって、答申署の実行を議論する訳ではありません。
この手続きがありません。これでは議会軽視にとどまらず、議会制民主主義の原理原則を踏みにじった町長の暴走としか言いようがありません。
議会で、この点をチェックできないのであれば、池田町議会はもはや議会としての機能を停止しているとみなされるでしょう。

繰り返しますが、私はここでは答申の内容を問題にしているわけでもないし、法人化の可否を論じているわけでもありません。あくまで、予算措置を伴う町の事業の進め方、手続きを問題にしているだけです。

上に述べたような実態が常態化するならば、池田町の行政運営は音を立てて崩れ、様々な分野に深刻な影響を与えることになるでしょう。農業者、町民の皆さんの中で、内容も含めて活発な議論が行われることを期待します。

<参考 大糸タイムスの記事>

大糸タイムス 12月5日 農審協答申 
大糸タイムス 12月23日 サンデーリポート

 


12月27日(水) 地方政治のあり方が根本から問われている

2023-12-27 23:15:14 | 日記

松本清張「ゼロの焦点」(広末涼子、中谷美紀、木村多江他)の始めの方の上野駅の描写、蒸気機関の列車のシーンを観ながら、映画のことより、小学生から大学時代の列車と上野駅のことをしきりに思い起こされてしまった。

小学生の頃に母の実家(石川県松任市)や祖母の兄弟(石川県河北郡内灘)に連れられていったときのこと、列車に乗るには行儀よく乗るなどということはまずなかった。先に一人が乗り込み、あとは窓から入り込むという実に乱暴なやり方で、ともかく座席を確保していたのです。
倶利伽羅峠を越えて金沢に近づくときには、窓を閉めて煙が入らないようにするのですが、それでも煙は車内に籠もって煙たいことこのうえなし。

大学時代に、東京経由で仙台から富山に帰る時には、上野駅で乗り換え。
上野駅から外に出て見た駅正面のたたずまいが、ちょうど見たままに描かれていて懐かしかった。
富山から仙台に行くには、上野経由で行くか、北陸線で新潟に出て常磐線に乗るかまたは酒田まで行き仙山線に乗るかですから、ほぼ1日がかり。列車の旅は学生時代の生活とは切り離せなかったのです。
ふと、そうした若い日のことを思い出させるシーンというのは、映画の内容すら忘れさせるものがあるような気がして、しばし灌漑にふけっていました。
だからどうした、ではありますが。

***

最近の自民党幹部の発言を聞いていると、自分たちのやっていることについて、犯罪的なことに手を染めているという自覚が全くない。それぞれが判で押したような逃げ口上を述べるだけで、説明責任を果たしたことも一度もない。政治的意識の劣化というよりも、人間そのものが根腐れを起こしているように見えます。

それを自民党ではありがちなことだと甘く見たり、それば別としても政治家としては優秀なのだからと同情したり、または、どうしようもないとあきらめ顔で見たりすることが、ずっと続いてきたために、ますます根腐れの度合いが進んでしまったのではないのか。

現在、この町で起こっている様々な問題も、国政ほどには酷くはないとしても、行政、議会、住民の間の馴れ合いやもたれ合いが地方政治をむしばみ、感覚を麻痺させているように思えてなりません。

誰かが問題をしっかり原理原則から捉えて、何をなすべきかを投げかけ正していかなければなりません。さもなければ、地方政治の底が抜けて、果てしのない荒廃へと落ち込んでいくでしょう。
とりあえず、地方政治の基本的なあり方をきっちりと押さえ、スジを通すことを忘れないようにすべきだとここでは申し上げておくだけにします。
多分、これをお読みの方は、何を問題にしているのかはまだ分からないかもしれませんけれど、皆さんに判断を仰がなければならない時期が近いうちに来るでしょうから。


12月26日(火) ブロック注射と読書

2023-12-26 23:58:00 | 日記

今日は午前11時に整形外科に行き、帰ったのが午後3時半。診察時間はほんのわずかでしたから、約4時間は病室で待っていたということになります。
ほとんどの人は、その待ち時間の長さには耐えられないと感じるでしょうね。ひょっとしたら怒りを爆発させる人がいるかもしれませんし。とはいえ、見たところ、みなさんひたすら待ち続けていましたから忍耐強い。

ただ、私の感覚では、いかに整形外科の患者が多くなっているか、医者がどれほどの多数の患者を相手に悪戦苦闘しているかを知っているので、実は全く苦にはならない。
今日は膝の医者と腰の医者のダブル受診であり、腰の主治医からは4番のブロック注射をしてみようと言われていたので、それなりに覚悟をして受付に行ったのでした。

膝の担当医には「膝そのものの故障ではないだろうとはっきりしたので、あとは腰の先生と話をします」と告げて、1、2分ほどで診察は終わり。始めは膝の故障もありうるので、膝に注射をしながら様子を見ようということにして、何回か注射をしてもらっていたのですが、結局効き目はなし。しかも、立っているときや膝を曲げるときには支障は全くなく、寝ている間の痛みが中心だったので、先生も次第に、これは膝から来ているのではないという診断に変わってきていたのです。

普通の診察とは異なって、ブロック注射は別の診療科での対応になるので、一旦整形を離れて、その担当医の診察の区切りがつくまで待っていなければなりません。だから余計に時間がかかる。
12時半頃に整形の診察を終えて、ブロック注射に移ったのが午後2時。

何度やってもこの注射には慣れないですね。針が脊髄に達したときの瞬間の痛みと薬剤を入れるときの数秒の鈍痛。本当にわずかな時間なのですが、やはり直前の恐怖には大きいものがある。
痛みには結構慣れていても、相変わらずです。

「先生、昼食はとられたんですか」と聞くと「食べている訳ないじゃないか」と突き放すような返事。あとから「ちょっとそこにあったものはかじっていたけど」とのフォローはあったものの、整形の医者の実態はそんな感じなのです。
私の痛みの原因がどこにあるのかを探しあぐねているイライラもあったのでしょうかね。ともかく、この注射の経過を見ながらその後の治療方針を決めることになりました。

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長々と診察・治療の様子を書きましたが、まだ「4時間も待たされて全く苦痛を感じない」本当の理由を書いていません。前にも書いたことがありましたが、私にとっては、待ち時間が一番有効な読書の時間なのです。もし、一冊の本を持って行っていなければ、やはり他の方と同じく試練の時間になるでしょうね。

今日携えていったのはR.A.ハインラインの「夏への扉」(ハヤカワ文庫)でした。
20年ほど前から原書で読もうと思って数ページ読み始めたのですが、あるところで躓いてしまって、訳本もそこでストップ。20年ぶりに読破するチャンスが巡ってきたというわけです。

このSFの解説はいろいろと出ているので、ここでは詳しくは書きませんけれど、コールド・スリープとタイムマシンで30年を前後するストーリーよりも、可能な限り当時の科学的知識をフルに生かしつつ、多様な人間模様を生き生きと描き出そうとする作者の姿勢には感服します。
さらに、登場する二人の主人公の一人(一匹)がネコという「愛猫家にはたまらないSF」と言われていますからね。
後半に行けば行くほど手に汗握る展開という、サービス精神旺盛な構成の巧みさにも舌を巻きます。

実は、先日紹介した「火星にいった地球人」のシリーズ、世界少年少女科学冒険全集の第1巻がハインラインの「宇宙船ガリレオ号」だったのです。「火星にいった・・・」よりは印象は薄いのですが、この全集でどれを勧めるかと言われれば、この2冊を挙げるでしょうね。やはり全集の最初の頃の巻は印象深いものがあるのでしょうか。

「宇宙船ガリレオ号」は、ノーベル賞候補とも言われる若き科学者と、中学を卒業したてくらいの甥とその友だち二人で月へ行くという設定。
終わり頃にはナチの基地が月に建設されていて地球への攻撃が企てられているという、当時の世界情勢を反映したような波乱に満ちた展開は、この当時からハインラインの十八番だったのでしょうかね。

中学卒業したての男の子3人はいずれも各分野に優れた知能と技能を備えているという、ちょっと出来すぎの設定ではあるのですが、博士と子ども達の間のこんな描写がありました。

「数学はどこまで知っているの?」
「微分方程式をおわりました」
「ちょっと待ちたまえよ。君たちはまだ中学校なんだろう」
「卒業したところです」
「中学校で微分方程式を教えるなんて。おどろいたなあ」
博士は頭をふった。

ハインラインはアメリカ・カンザスシティ生まれ、ドイツ系のアメリカ人で、海軍兵学校から米海軍の士官となった経歴を持ち、無線通信に関わったとされているので、相当に物理・数学などには取り組んだのでしょう。

日本では、かつて高三で学ぶ微積に微分方程式があったのですが、もう教育課程から姿を消して久しい。一方のアメリカで大戦直後とはいえ、中学で微分方程式を学ぶという課程が当時あったのかどうか私にはにわかには信じがたい。
ただ、現在の高校のカリキュラムでは、理系向けのAP Calculusというコースがあるようですから、高校ではそのようなことはあり得る。

あるアメリカ人高校生は次のように書いていましたよ。

AP Calculus AB/BCは一般的に短くして "calc" と呼ばれているクラスです。
アメリカの方が数学は遅れている」と思ってる人もいるかもしれないが、calcは日本の高校数学で習わない範囲もありかなり難しい。
このクラスを取るためには、AlgebraやGeometryのほか、Pre-calculusを修了していなくてはいけません。このことから、高校で取れる最も難しい数学のクラスと言われています。

大学程度の高度な数学も学ぶといいますから、こうしたコースがアメリカの科学水準を支えているのかもしれませんね。ハインラインは、大戦直後のアメリカの子ども達に、もっと勉強しようねと語りたかったのかもしれません。


12月25日(月) ブログから1年を振り返る

2023-12-25 22:19:44 | 日記

今年もあと1週間。
今日は、昨年末から現在までの自分のブログをざっと読み直して1年を振り返っていました。こうしてみると、忘れていることも結構あるんですねえ。来年は池田20年、ブログ(旧ブログを含め)20年ですから、読み返してみるのもいいのかも。池田町に来たのが58歳だったなんて夢のような話です。

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去年の今頃は結構な雪に見舞われ、一面真っ白でした。
MNEMOさん、訪問者数の減少傾向をみて「潮時か」と書き、アップした新曲をすぐに撤去されたのもこの頃。でもそれ以来沢山の友人達の励ましや協力もあって、カバー曲を含め随分ブログで紹介されてきましたね。

昨年末から一念発起して始めた脳活的ピアノ。1月初めには「暮れまでにソナチネに挑戦できればいいんだけど」と書いていましたが、何とかなりましたよ。でも、余りに難しいので、最初の1曲だけでその他は来年に。ちょっとだけ易しい曲に取り組んでいるところです。続いているのが何よりです。改めての決意ですが、5年間は続けたいですね。

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年明けから3月までは行財政改革推進委員会の締めくくりでいろいろ大変だったことを思い返します。新年早々には町のロードマップが示されたものの、調査するとか検討するという言葉が並び、町の姿勢が全く見えず、取材した地元紙ですら「答申が理解されていない」という委員の声を載せざるを得ないほど。

2月頃からは、同じ委員のMさんとの共著でまとめの冊子を作ろうということになり、最終答申と同時並行でその作業にあたっていました。冊子は最終答申提出日の3月20日に完成。そのため、この年の4月頃までは財政付けの毎日でした。

3月下旬からは気温がどんどん上昇し、高温状態が結構続いた記憶があります。
そういえば、4月には1週間ほど妻の母の三回忌を兼ねて沖縄に出かけたのでした。あまりに短い滞在だったので、妻の友人巡りをしているうちに終わったという印象。
いろんな仕事が重なり、そのうえ腰の痛みが続いたために、畑仕事が滞り、年間を通してみると、雑な仕事になった一年でした。

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4月中下旬には町議選挙。定数11に対して現職8名に新人5人、とくに30代、50代の立候補者もいて活気を感じさせる久しぶりの選挙戦になりました。若い女性の候補者は高得票を得て当選、今年一年を通しても議会に新風を吹き込んでくれました。ただ、こうした世代の台頭へのやっかみや活動スタイルへの抵抗から、古い世代の議員との軋轢も見られ、周りでサポートする態勢がどうしても必要になります。

夏以降には、富山の友人の活動をまとめたCDづくりに専念。これは、20年にわたる全国的にもまれな本格的な県レベルでの憲法擁護のとりくみで、記録が散逸するにまかせるわけにはいかないという思いで、真剣に記録を作りました。どこかで必ず役に立つはずです。

私としては、今年の後半はそれを意識した町政刷新のとりくみや、保育園問題での取り組みに注力し、最近のブログでも書いたように、条例は通ったものの、署名活動を通してめざましい運動の広がりを作ることにつながりました。

「こんなことをやったらいいね」までは誰でも言えるけれど、じゃ誰がどのようにやるのかとなるとなかなか先に進めない。おそらく私たちの世代が引退するあと数年後には大変難しくなるんじゃないかな。どのように呼びかけ、どのように組織するのかを体験として身に刻んでおく必要がある。私がずっと思い続けて実践してきたことなのですが、どこまで伝わったか。もう本当に若い世代のみなさんの時代になっているのです。

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今年は、夏に鼻腔拡大の手術と整形の治療で、断続的に医者通いが続いた年でもありましたね。おかげで鼻の通りはよくなり、寝ている間に息ができなくなることはなくなったので、これは助かった。しかし、腰は依然としてダメ。年越しです。
妻も昨年8月には虚血性大腸炎で入院。二人とも歳ですから、これからも同様なことが起こるかもしれませんね。

心残りだったのは、本職(?)の数学については、何一つできなかったこと。4月末に思い出したようにガウス記号について書き、7月末に「かけ算の意味」について書いたっきりで、あとは頭の中は空白。
来年は、もう少し感覚を研ぎ澄ますためにも、最初から丁寧におさらいをしないといけませんね。これも来年にむけての決意の1つです。

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さて、とりとめもなく振り返っておりましたが、この拙いブログでも70人くらいの皆さんが常に気にかけて下さって見ていただいています。たまに突然増えることはありますけれど、毎日というわけではないので、多分70人くらいのお友達がアクセスして下さっている。本当に有り難いことです。

ああ、もう辞めたいなあと思うことがしばしばあるのですが、たとえば保育園問題や財政問題のようにどうしても書かなければならない局面になると、ブログっていうのは結構役立つんですね。いつも長すぎるのが玉(?)に瑕ですけど。
どこまで続くかわかりませんが、思い出したときに見ていただく程度で、たまにお立ち寄りくださいね。