Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

9月13日(金) 大浦湾、基地建設予定最深部でボーリング調査

2024-09-13 23:15:02 | 日記

沖縄辺野古で基地建設の推移を調査している北上田さんの情報によれば、これまで必要がないと頑なに拒否してきた、基地建設予定の大浦湾最深部90メートル地点でのボーリング調査を始めたという。(写真は北上田さんのブログより)

北上田さんは次のように指摘していました。

防衛局は、最も深刻な軟弱地盤の地点でボーリング調査を実施すると不都合なデーターが出ることを恐れて、離れた3地点のデーターで類推できるとして、ボーリング調査を拒否し続けてきた。そして、代執行で国が知事に代わって設計変更申請を承認するという強引な手法を採ったのだが、防衛局も、やはりボーリング調査でB27地点周辺の地盤の強度を確認しないと安定性に確信が持てないのだ。

この期に及んでボーリング調査をして、不都合なデータが出たとして、どうするのだでしょうか。「調査結果は公表しない」と強弁しているようですが、不具合があったとしても、何とか合理化して誤魔化し、設計変更を潜り込ませて工事を強行しようとするでしょう。
しかし、日本の国民には知らせなくても、アメリカからは進行状況を含めて全て報告が求められているはずですから、不具合について注文がついてくることは必至。おそらく深刻な懸念が内々に示されているのではないでしょうかね。そうなれば、いつまでも隠し通せるものではありません。

北上田さんが「再度の設計変更申請で済むことではなく、辺野古新基地建設事業が頓挫する可能性が高まってきたといる。少なくとも、今回のボーリング調査結果により護岸の安定性を照査するまで、大浦湾の全ての工事は中止するべきである」と書いている通り、何が起こっているのか、ボーリングの結果がどうなったのかを沖縄県民、国民に知らせるとともに、直ちに工事を中止することが必要です。

さらに、今日のブログでは、辺野古の埋め立て土砂の調達先として、沖縄南部の遺骨混じり土砂の搬入への批判が余りに強いことから、沖縄防衛局は奄美大島から運び込むことを計画。そのために、採石上の視察や特定外来生物の調査に入ると地元自治体に通達したのだといいます。

調査をいくらしたところで、大量の土砂が運び込まれたときに、どんな外来生物が紛れ込むかは全く予測することはできないばかりか、奄美の自然破壊を大規模に進めることにつながり、さらには、大浦湾の破壊をいっそう加速させるものです。
「本土側」で、何が起こっているのかが全く知らされていない状況をいいことに、無法なやり方を進めている政府・沖縄防衛局の暴挙を許していいものか。

自民党総裁選に出ている面々は程度の差はあっても、工事を強行しようとする姿勢では全く同じでしょう。アメリカと財界の顔色しか見ていないのですから、総選挙では全員ご退場いただかないと、沖縄はもちろん、この国は救われません。


9月10日(火) ワンちゃん空に飛び上がる

2024-09-10 23:16:23 | 日記

今日も午前中畑に出かけ、余りに暑いので休んでいる方が長かった気が。それでも、ようやく除草が終わり、あとは耕すだけにこぎ着けた。
このところの日照りで畑もすっかり乾燥してしまっていたので、夕方妻とポンプで水まきに。行きがけに、妻が空を見上げて「『神の手』が現れそうな雲だね」と言うので、まだあんな作りものの画像のことを思い出したのかとびっくり。もっとも雲はいろんないたずらをしますからね。

さて、畑に着いて灌水ポンプのエンジンを始動してまもなく、東南の方向からにわかに黒い雲が押し寄せ、たちまち土砂降りに。雨の中で散水をしているという、みっともないことになってしまいました。ずぶ濡れになりながら、這々の体で帰宅。
畑は家から数100メートルくらいしか離れていないにもかかわらず、家の近くではあまり降っていなかったようす。沖縄で言う「カタブイ」のような感じでした。

日が沈み雨もすっかり上がった頃、外を見たら西の空に不思議な雲が。一雨降ったあとに現れた大きな犬のような黒い雲。修正などは一切しておりません。ちょっと形が崩れてきたところですけど、なかなか見応えありましたね。下の光は、グランドの照明です。


9月9日(月) 市民活動へのかかわり方

2024-09-09 22:25:57 | 日記

松本を中心として活動する市民団体「反貧困ネット」の事務局から、生活支援物資の提供の依頼がありました。これまでも友人たちに呼びかけてお米の提供をしてもらってきたのですが、今年は誰に聞いても古米の在庫はほとんどないのだという。

しかし今日になって、ある方から、新米が採れ始めたので家で食べようと思っていたものが余ったから取りに来ていいよと声がけがあり、30キロを提供してもらうことができました。事務局でも、今年はなかなか集まらないので困っているという話があったばかりなので、これは本当に有り難かった。物価高やコメの価格高騰なども加わって生活に困っている人も大勢いるわけなので、少しでも力になれたらうれしいですね。

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池田町に移住してから、結構いろんな分野での住民活動にかかわってきました。しばらく前から公言しているように、あと1年と何ヶ月かで80という歳になって思うのは、身体も頭も今までのように動かないのは当然だし、どこかで活動に線引きをしなければならないだろうなということです。

様々な活動において、どちらかといえば縁の下の力持ち的な仕事を果たしてきましたが、もう古いタイプの活動では広がりを持ち得ない時代になってきているし、一方で、何かの仕事を引き受けると、どうしても請負やお任せという依存関係が深まってしまいます。
もちろん、このブログのように、日々の思いを伝えていくことは重要だろうし、決してその意義が薄くなっているとは思いません。
ただ、そうした個人的な活動と、町政刷新や9条改憲阻止の具体的運動などとは様相が異なります。住民運動は、できるだけ多くの人を結集して住民向けに情報を発信したり相手に対して要求を伝えていく組織的な活動を行わなければならないからです。

1960年代後半から1970年代は、私と同年代の方々は20歳から30歳くらいで、その当時は当たり前ですが若者だったのです。その当時は当然ながら、今のようにネットがあるわけでもスマホがあるわけでもありませんから、濃密な人間関係を築くことで様々な情報をゲットしていきました。
その世代の人間が、現在の若者を見て、違和感を覚えたとしても不思議ではありませんけれど、人間と人間の関係のあり方がかなり変わったこと以外は、どれほど変化しているとは思われません。

活動の担い手となる若い世代の方々を、こちらが指定する訳にはいかないのですから、私たちの世代が活動を始めたときのように、思いのある人々がそれぞれのやり方で社会への関わり方を模索してくれればよいと楽観しています。

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先日、池田9条の会の担い手が亡くなったために活動が休止状態になり、それをどう打開するのかという話し合いがありました。
私は、もしそれを担っていこうという人々がいるのであれば、協力することはやぶさかではないが、しかし、ここに集まっている人は高齢化しており、ただ必要だからというだけで続けることが果たしていいことなのか、活動を支えるには、それなりに力を注ぐ人材が必要なのだという趣旨の発言をしました。

最終的には、何人かが自主的に手を挙げて事務局を担当し活動を継続することになりましたが、現在運動を担っている人々の年齢を考えれば、早晩行き詰まることは必至。ダラダラと自然消滅するような組織運営は避けた方がよいと現在も考えています。

こうした市民運動の悩みは全国共通です。9条の会も担い手がいなくなり活動停止に追い込まれたところもあるように聞いています。
昨年、富山の友人たちが20年にわたって続けてきた「9条ファンクラブ」を解散する決議を行い、その記録集を私がCD化したことをここで紹介しました。
その運動は、私の尊敬する友人の手腕、力量に負うところが大きく、さらに事務局を担ってきた方々の何名かが鬼籍に入るという不幸も重なり事実上運営が出来なくなったのでした。
続けてくれる若い世代がいればよかったのでしょうが、残念ながら後継者もなく、結局解散を選択するということになってしまったのです。

その友人と何度か話をした際に、私は「運動には始めがあれば終わりもある。責任をもって運動を担うと決めた以上は、活動が出来なくなった場合にはきちんとけじめをつけることが大事だ。その運動がどうであったのかは、終わり方に現れる」と持論を述べたところ、彼も同じ考えであると答えてくれました。

もちろん、重要な活動から安易に手を引くことは慎重でなければならないし、独りよがりの結論であってはなりません。また、これはあくまで要求に基づく一般的な市民運動、住民活動についての考え方であり、例えば原爆被害者として裁判闘争を行うなどの特別な場合や、政党活動や宗教活動については必ずしも当てはまるわけではありません。
情報をしっかり整理し、神経を研ぎ澄まして問題の所在を明らかにし、可能なことには全力で取り組む・・・こうした生き方は何歳になろうと必要なことだと思っています。


9月8日(日) 畑仕事にかかりきり

2024-09-08 20:44:13 | 日記

まわりの田んぼでは、まだ稲刈りが本格的にはなっていません。台風10号の影響で相当ぬかるんでいつため、地面が乾くのをまっているのでしょう。14日あたりから稲刈りも本格的になりますね。
色づいた稲穂が一面に続く景観は、何ともいえず豊かな気持ちにさせてくれます。

稲だけではなく、いろんな野菜の栽培も含めて、私たちの食を支えるために土地を守ることは、私たちの生存の要。
自民党の総裁選挙や立憲民主党の代表選挙で、誰がそのことを重要過大として掲げているのでしょうね。海外に比べて実に貧困な農業政策。このままでは、都会から生活が崩れて行くのではないかと心の底から憂慮します。

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毎日、朝から畑で秋の野菜を植え付けるための作業にかかりきりに。
夏野菜の片付け、草刈り、耕運機での耕作、新しい畝をつくるための肥料まき、石ころの取り除きなどで、今日も9時頃から午後1時頃まで汗を流しました。

一旦家に戻りシャワーを浴びると、もう身体が言うことをきかなくなり、結局午後からはぐったりして2時間ほど仮眠。
そのあと、生徒のための教材づくりなどをやっていると1日がアッと言ういう間に過ぎていきます。
外にいると相当暑いので、かなり体力を消耗します。歳が歳だけに無理はできませんね。
よって、このブログもしばらくは、何日かおきになるかもしれません。あしからず。


9月5日(木) お隣の松川村の人口は増えている

2024-09-05 20:19:54 | 日記

午前、午後と畑で草刈りやトマト・キュウリの片付け、種を撒いた畝の散水などを行い、暑さも加わって今日はさすがに疲労困憊。一体どれだけ汗が出たのでしょうか。

午前中は、妻が医者に行っていたので1人の作業。カボチャを植えてあった広い土地は草が生い茂ってカボチャがどこにあるか分からない状態なので、足で探ってカボチャを探し出し、その上で草刈り機で刈るのですが、その作業はものすごい力作業。身の丈ほどの草が倒れているので、根本から刈り取るには相当な力がいるのです。しかも、ときどき、取り忘れのカボチャが出てくる。1/3位しか刈り取れなかった。

午後は妻と2人で3時頃から6時頃まで作業。妻は、小豆の収穫とサツマイモ周辺の整備。私は午前中の続きと、トマト・キュウリを支柱から外し支柱の紐を切り取る作業。さらに、遠くの用水から取水して、先日種を撒いた畝に散水。せっかく苗を起こして定植した白菜がかなり消滅してしまったので、予備の苗を植え込んでしっかり散水。片付けを終えてタマネギやニンニクの植え付けをする10月初めまで、同様の作業が延々と続きます。ふ~~。

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私は毎月ホームページで、池田町と松川村の人口の推移を調べているのですが、9月の池田町、松川村の人口(住基台帳)をみて驚いた。
池田町は「順調」に先月から20人減少しているのに、お隣の松川村は何と36人も増えているではありませんか。

2023年1月と比べてみると、池田町は237人も減少しているのに対し、松川村は16人増えているのです(下のグラフ参照)。おそらく、人口減少が続く他の市町村の中では、極めてまれな例になるでしょう。

グラフは2ヶ月刻みの統計なので概略しかつかめませんが、上の表で見ても池田町は年間130~140人の減少が続いており、最近その減少率が上がっているように見受けられます。
それに対して、松川村はこの1年半余り9600人程度をずっと維持しているのです。月ごとにみると、6月から7月にかけて一時若干減ったものの、7月から8月にかけてはそれを上回って盛り返し19人の増加、8月から9月にかけては17人の増加ですから、増加は一過性のものではなく、政策的な成果の現れとみることができます。

まだ、松川村の実態を十分つかんでいないので、その理由などはここでは書けませんけれど、今後、1つには20代、30代の人口の推移と転入・転出の動きを調べること、2つは年代別の人口構成と自然増減と社会増減の推移を調べること、3つには前村長と面会して政策のポイントを聞き、さらに職員の方から人口維持の要因などを聞き取りたいと思っています。