Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

11月26日(火) 髪は少なくてもすぐ伸びる

2019-11-26 20:04:32 | 日記

畑仕事する際には、何はともあれ帽子が必要ですが、暑い日などは帽子をかぶると髪の毛がぐじゃぐじゃになる。髪がやわらかいので、作業が終わった後などは本当に惨めな姿に。

そこで、散髪にいったときには「できるだけ短く」と言うのですが、これまたすぐに伸びてしまう。てっぺんは薄いのに耳の上あたりの髪はやたらと伸びが速いのです。

というわけで、今日散髪にいったときに「横を特に短く」と注文をつけました。店主は「冬は寒くなるよ」と言いながら、多少短くしてくれたようでした。

しかし、どうもこの理容店(ずっと行きつけの店で、店主がタバコ好き)は、注文を聞くフリををして早くまた散髪に来させようと企んでいるのではないかと、私は常々疑っているのです。

ちなみに、娘の嫁ぎ先では、それこそ丁寧にやってくれて全く伸びが違う。そんなこと強調するわけにもいかず、それでも長い付き合いと今日もまた店の戸をくぐったことでした。午前中はこれで終わり。

       *   *   *

午後からは、近くの精米所で籾殻を軽トラで畑に2回運んだあと、西山(北アルプス側)山ろく線沿いにある、ある堆肥工場に軽トラ一杯の堆肥を買いに出かけました。

工場に行くと、ドデカい重機で軽トラに、作り置きの黒い堆肥をどか~んと一杯に積んでくれるのです。そのために事前にタイヤの空気圧は最大にして出かけることに。

値段はというと、今日は軽トラ一台分が2000円。「今日は」というのも、昨年は3000円。今年の春に行ったときには梱包したものすごい重いものが一袋1000円。今日買ったものの1.5倍くらいの量があった(はず)。

この会社、堆肥の値段は一体どうなっているのか、私にはさっぱりわからない。作業をしてくれたお兄さんに聞いても首をかしげているだけ。ともかく出かけて安ければラッキーという変な会社なのです。

さて、畑まで慎重に運んで、粉塵を吸い込まないように注意しながら軽トラから降ろすのですが、軽そうに見えて実に重量感がある。軽トラの重量オーバーすれすれかもしれません。

今日の分はわが家の堆肥にするつもりですが、明日はMさんと二人でもう一度この会社にでかけ、チョロギの会の分を買ってきて来年用の用地に撒くつもり。

収穫と同時に来春の準備も欠かせません。肥料も安全で安いものを選ばねばならず、お小遣い稼ぎも楽じゃない。


11月25日(月) 沖縄3大テーゲー言葉 

2019-11-25 15:12:05 | 沖縄

今日も朝からチョロギの収穫。今にも雨が落ちそうなどんよりとした曇り空、強い北風の中で作業を続けました。
「他の人が見たら何をしているんだろうと思うだろうね」と言いながら、手と口をいっしょに動かしている女性軍。7人のメンバーのうち3人が沖縄出身者なので、いきおい沖縄の話題も多くなります。

チョロギ研究会の元締めも沖縄出身者。足は私と同じで短いが、いかにもウチナーンチュという風貌で逞しい。その彼が、沖縄には次の3つの「いい加減コトバ」があるが知っているかという。

・であるわけさぁ。
・だからよー(だからさぁー)
・なんでかねぇ

これらの使い方は沖縄出身者または長く沖縄で生活した人でないとなかなか分かりづらいところがありますが、たとえばこうです。

アベちゃんに習って、とある高級ホテルで会費5000円でパーティーを行ったのが仮に沖縄出身者だとします。(沖縄出身者を侮蔑する意図は全くありません)

記 者「高級ホテルで会費5000円で本当にパーティーをやったんですか」
主催者「であるわけさぁ」
記 者「何言ってんですか。とんでもなく安いんじゃありませんか」
主催者「だからよー」
記 者「どうしてそう安く出来るのかを聞いているんです」
主催者「なんでかねぇ」

ネット上には、3大テーゲー言葉とか、無責任言葉とかという表現で紹介されていますね。義母も「だからよー」(「から」が高くなる)はよく使いますし、「なんでかねぇ」も時々耳にします。私はこれらの言葉結構好きですよ。集まったウチナーンチュたちも「大らかでいいねえ」ともっぱらの評価。実際の使い方はこちらにも(ちょっと若向きか・・・)。
3大無責任言葉とは朝ドラ「ちゅらさん」の藤木勇人さんの命名らしいのですが、争いを避ける県民性がよく表れた言葉として今では有名で、「無責任」というより対人関係を傷つけない優しい心根のあふれた言葉として大切にしたいと私などは思うのです。

神奈ココさんによれば、「だからよ~」は沖縄最強の言葉なのだとか。なぜなら、「話を強制終了させてしまう、とんでもない力を持った言葉」なのだから。その例文を見るとよくわかります。以下はココさんの引用。

例①  「今日は天気悪いね~。」 
    「だからよ~。」…はい、終了。(・ω・)/

例②  「なんで遅れたの?」
    「だからよ~。」…はい、終了。(o^-')b

例③  「これ、間違ってるよね?」
    「だからよ~。」…はい、終了。(^-^)/

例④  「俺のこと、どう思ってる?もしよかったら…」
    「だからよ~。」…はい、お気の毒さま。(/_;)/~~

ココさんの説明では、「更にこの言葉の後に『なんでかね~。』をくっつけると、沖縄てーげー言葉の最終形態になります。話が終了するだけでなく、思考回路そのものがストップとなります」と書かれておりました。これらの使い方をよく知ると、ウチナーグチがとても楽しく思え、沖縄の人たちがさらに好きになりますね。


11月24日 フラシスコ教皇のメッセージ

2019-11-25 07:51:27 | 日記

今は亡き経済学者の宇沢弘文さんが、内橋克人さんとの対談「始まっている未来」(岩波書店、2009年)の中で、興味深い体験を語っていらっしゃいました。

宇沢さんは、自分の一生で最も感動したこととして、ローマ法王(現在は教皇の呼称で統一)ヨハネ・パウロⅡ世から回勅への協力依頼があり、そのテーマについて提言を行ったことや、その後バチカンで回勅作成のお手伝いをしたことをあげていました。

バチカンの動向についてはほとんど関心のなかった私には、「回勅」などという言葉自体も意識の外にあり、その意味を考え始めたのはつい最近のことでした。

昨日からのフランシスコ教皇来日に関して、この回勅ということばが新聞紙上でも見られますが、宇沢さんの解説によれば、「新しいこと」という意味のラテン語エンシクリカル(Encyclicae)の訳で、ローマ法王が在位中に必ず一つは出されるものだといいます。

「そのときどきの世界が直面する重要な問題について深く考察し、ローマ教会の正式なドキュメントとして全世界のビショップに配布されるもの」と述べられていました。同文通達ともいい、カトリックでは「革命」と訳されているとも。すごい文書なんですね。

1981年にレオⅢ世によって出された回勅は『レールム・ノヴァルム』といい、「資本主義の弊害と社会主義の幻想」なる副題がついていたそうです。
20世紀に入って、世界人口の3/1が社会主義圏に入ったことをポーーランド生まれのヨハネ・パウロⅡ世が非常に憂慮し、1981年から100年を迎えるのを記念して「新しいレールム・ノヴァルム」をつくることとし、宇沢さんにその協力依頼の手紙を出したというのです。

宇沢さんはすぐに返事を書き、その回勅の主題として「社会主義の弊害と資本主義の幻想」を提案、法王から大変喜ばれて「その後バチカンでしばらくお手伝いをすることになった」というのです。
当時は、社会主義と言えばスターリン独裁とその後のソ連を指していましたし、ポーランドもソ連の衛星国家でしたから、特別な意味を込めて新しい回勅を起草されたのでしょう。

宇沢さんは1981年に来日したヨハネ・パウロⅡ世が、小石川での野外ミサの中で「平和は人類にとっていちばん大切な共通の財産であり、日本の平和憲法は社会にとっての共通の財産である」と語りそれを守ることの意味を強調された、と感慨深く記していました。

     *   *  *

昨日、私は午前中は自主防災会の勉強会、その後はすぐに塩尻での仕事があり、夕方まで全くテレビなどに向き合う余裕がなく、疲れて帰ってパソコンの修復に向かっていましたから、フランシスコ教皇来日と広島・長崎訪問のニュースには触れずじまい。
今朝早くに新聞でニュースを知り、広島・長崎でのメッセージ全文を読みました。

久々に心洗われるような深い響きのある呼びかけに接したが気がしました。神への願い・誓いという部分を除けば、地上に生きるすべての人々への現代最高の倫理・道徳の有り様を示すとともに、単に祈るだけではなく希望への実行を迫る優れて実践的なメッセージです。
それが最も明瞭に現れているのは広島での訴えにある「記憶し、共に歩み、守ること。この3つは倫理的命令です」という一文でしょう。「命令」という極めて強い表現をとっていることに教皇の激しい決意を見ることができます。

「紛争の正当な解決策であるとして、核戦争の脅威で威嚇することに頼りながらどうして平和を提案できるか」という真っ当なものいいが、今日ではかえって鮮烈に響きます。深窓にたたずんでただ祈るのではなく「共通の未来のために責任をもって闘う」ことを呼びかけるその厳しくも開かれた姿勢が、人々に深い感銘を与えるのでしょう。

そしてまた、教皇の行動とメッセージは、倫理的にも最低・最悪水準にあるアベ政権を直撃していますから、彼はさぞ苦々しく聞いていることでしょう。
アベ首相と余りに対照的なフランシスコ教皇。アベの立ち位置を照らし出して余りあります。


11月22日(金) パソコン不調

2019-11-22 10:58:17 | 日記

午前6時ごろに突然防災無線から「火災速報」が入って目が覚めた。外を見ると深い霧で遠くを見通すこともできず、番地から見て遠いのだろうと考えていたら間もなく鎮火したという放送。また寝るわけにもいかず、昨夜から取り組んでいるパソコンの修復にとりかかりました。

先日も触れたように、Windows10になってAdobeのイラストレータの重要な機能が働くなり、このままではニュース作成などに支障をきたす(すでに来している)ことになるので、新しいハードディスクにWindows7をインストールすることにしたのでした。

ところが、古い2,5inchのハードディスクではアクセス速度が極端に遅いうえに、エラーばかり。どうしようもなく、SSDの安いドライブを購入、到着を待ってから改めてインストールしなおしていたのです。SSDは旧式のHDDとは異なってアクセス・スピードがけた違いに速いので、割とスムーズに作業完了。ところが、作業の途中で、バックアップ用のHDDをひっくり返して壊してしまい大損害。結局、いいことは全然ありません。

いつも使っているメインマシンはWindows10ですが、もう一台のサブマシンには起動ディスクが都合3つできたことになります。

一つはWindows10のバックアップ用ディスク、もう一つはUbuntu専用ディスク、そしてもう一つが今日インストールしたWindows7のディスク。ハードディスクだけを差し替えながら使っているというわけなのです。苦肉の策ですが、結構便利ですよ。
Windows7はまもなくサポート終了になりますが、古いアプリを使い続けるならこれも仕方がありませんね。イラストレータ専用マシンにして、これからはしばらくこれでチラシやニュースを作成していくのですが、うまくいくのかどうか。

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昨日の午前中は、チョロギ収穫の3日目。今回はフルメンバー7人が集まって、午前10時から午後1時過ぎまでひたすらチョロギ回収に精を出しました。朝はバリバリに凍り付いていましたが、それも放射冷却のため。天気はすこぶるよくて、気持ちのよい秋晴れ。風もそれほどなかったので、作業能率も上がって37kgもの収穫でした。3日間の合計は約89kgになりました。

チョロギというのは土に埋まっていて、掘ればいくらでも出てくるので、採ったと思って後ろをみるとまだ残っている。なかなか前進しないのです。前を見れば、植えた面積のまだ半分も来ていない。
「先を見るな、後ろも見るな」といいながら目の前の掘り起こした土からチョロギを拾い出すのです。それでも、たくさん出てくるので「一粒10円」とつぶやきながら手を動かす。

おしゃべりしながらの作業ですから、結構楽しくできます。お年寄りの格好のバイトになりますかね。
「町おこしの素材になるのかも」という話も。「しかしそれにしてもチョロギという名前がイマイチだね、もっと可愛いネーミングがないもんか」という意見も。
全部終われば、盛大に打ち上げをやって、それぞれに利益を還元することにしましょう。

   

   

   


11月21日(木) 今年一番の冷え込み

2019-11-21 07:47:28 | 日記

昨夜自主防災会の会議に出ようと午後6時半頃外に出たら、車の窓が凍り付いてワイパーも動かない。仕方なく妻にお湯をもってきてもらい、ぶっかけて暫く室内が暖かくなるまでエンジンをかけて待機。

1、2月ならまだ分かりますが、この時期夕方すでに零下というのは余りに早い寒気の到来です。あとしばらくするとまた暖かくなるという天気予報ですから、まだしばらくは冬タイヤにしなくてもいいのかな。ただし、寒さだけではなく暖房費が老いた身にはこたえる。

明けて今朝は、予想通り今までよりも広範囲に霜がびっしり。車も真っ白。
毎週月曜日、木曜日の午前中をチョロギの収穫日に決めたので、今日は畑の日。「あ~~、今日は寒いのかなあ」と妻。「日が昇れば暖かさは戻ってくるので、風さえなければそう心配しなくてもいいんじゃないの」となだめて、昨晩は床についたことでした。

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早稲田大学教授の水島朝穂さんが、安倍内閣の統治手法を「①情報隠し、②争点ぼかし、③論点ずらし、④友だち重視、⑤異論つぶし」と特徴付け、「その全体を貫いているのが『前提くずし』」と書いていたことは以前も触れたことがありました。「ルールなんて屁とも思わない」とも。
国会で連日野党から追及されている「桜を見る会」問題ではその極致に達していると思わされます。

経済学者の金子勝教授は、安倍政権の性格を「人々を煽る扇動型ではなく、人々を諦めさせる黙従型の衆愚政治」と述べ、「安倍首相は人々を煽り動員する演説の能力を持たないがゆえに、人々が仕方がないと諦めさせるように動いている」とのべ、その裏で「三権の民主主義的基盤をつぎつぎと破壊」し、「官僚制を実質的に壊し」「投票も議会も事実上必要ないことに人々を慣らしていくプロセス」が進行していると書いていました。(岩波新書「平成経済衰退の本質」)

安倍政治が歴代最長となったことを、閣僚たちは手放しで礼賛、無残な姿をさらしていましたが、メディアはそれを無批判に垂れ流すだけ。

問題は、安倍政権の政治手法のどんな現れにも敏感にならないといけませんね。「桜を見る会」にしても、ちょっとは悪いことをしたという顔をしてもよさそうなのに、シレッとした顔で無責任を決め込む。そのうち国民は全部忘れるだろうという魂胆見え見えです。

つい先日、二人の閣僚が辞任に追い込まれたとき、「ご本人が説明責任を果たす」といいながら辞めれば一切が免罪されたかのように説明は一切なし。アメリカとの経済交渉の結果についても、屈辱的な取り決めを「ウインウイン」と強弁してウソを垂れ流す。
問題は、単に政治手法の悪質さにあるのではありません。それが何をもたらしているのかであり、その裏で何が起こっているのかです。

つい先日、銀行に口座を持っている人に口座維持手数料を取る可能性があるというニュースがありました。日銀のゼロ金利、マイナス金利政策のもとで銀行は生き残りをかけてどんな手でも使ってくるという異常事態ということです。

何らかの引き金によって一旦金融危機が起これば、金利機能は麻痺しているので大変なことになりそう。ネット上では、その「防衛対策」なるものが結構アップされていましたっけ。問題はそんなところにはないでしょうに。

「自己責任論」は影を潜めているかのようですが、その実「自己責任」を感じる余裕もないほどに人々は生活苦に追い込まれている。とりわけ若い層の労働者たちは。それを覆い隠すかのように、ボランティアの美徳だけがことさらに強調されていくのです。

金子さんに言わせれば、「状況はしだいに敗戦濃厚な戦時経済と似てきており、日本の経済と社会を破滅に追い込んでいく危険性が高まっている」「アベノミクスは『終わりの始まり』である。われわれに残された時間は多くない」ということになる。

さて、お金のない私たちはどうしましょう。