Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

4月18日(日) 人生、あと10年になったなあ

2021-04-18 15:36:56 | 日記

1昨日から昨日にかけて降り続いた雨もようやく止んで、ちょっとだけ日差しが戻ってきました。しかし、まだ天候はかなり不安定なようで、風が強く雲の動きが速い。
雨で庭の桃の花も半分ほど散って寂しくなってきました。

ところで、縁側に出てみると、先日からやや大きめの鳥がやってきては桃の花をついばんでいる。のんびりした風景の一コマなんですが・・・問題はそこから。

その鳥の名前を思い出そうとして昨日から考え続けていたのですが、出て来ない!!よく知っている鳥なのにです。2,3年前には野菜の名前がどうしても出てこないので焦ったことがありました。これもよく知っているハズの植物なのに、です。ちなみに、鳥の名はヒヨドリ。植物の名はモロヘイヤです!

う~~ん。これは、かなり重症だなとガッカリしつつ、まあ、よくあることかと思ってはみても、頭の衰えはどうしようもない。チョロギを沢山食べて老化防止というわけにもいかないし。
思い煩ってもロクなことはないので、あまり考えないようにはしているのですが、さてと、私は一体このあとどのくらい「まともに」社会活動ができるのだろうかと思わないわけにはいかない。

今の社会の平均寿命、家族の生存年月(父67、弟55、母86で死亡)、私の健康状態を考えると、せいぜいあと10年が限度。今はまだ「こどもじゅく」やバラ園や町の財政問題であれこれ「あたり前」のように活動をしていても、15年前の私ではありません。とすると、このあとの10年をどう過ごすのかが大変重要になる。

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この歳月は、「地球環境を救う10年」という年月とピッタリいっしょですね。
私の見通しでは、残念ながら人類は2030年に+1.5度というレベルで抑えることに成功しません。当然ながら「恐ろしいことに、2030年以降、我々はプロセスへの影響力を失い、その後は何をやっても大して意味はない。(地球環境)は完全に制御不能に陥り、どんな手段を使っても無駄ということになります」(クリスティアナ・フィゲレス前国連気候変動枠組条約事務局長)という発言を地で行くことになる。

米中の対決姿勢は当然関連諸国を巻き込んで軍拡競争を増大させ、また低開発国は自国の経済成長のために森林資源を削って作物栽培に血道を上げざるを得ない。独裁的な国家が増え「グローバル・コモンズ」などという考えなど顧みる余裕もなく、また温暖化対策を行う経済的余地もない。
地球への負荷を極大化させている深奥の駆動力はグローバル・キャピタリズムつまり利潤のためには「後は野となれ山となれ」の飽くなき資本主義です。だれか特別な独裁者の悪行がそうさせているわけではありません。

閾値を超えるということがどんなことなのかを人類はまだ経験していませんからね。しかも、アメリカや日本、中国、ロシアといった国々の指導者たちも、まともに向き合う知力も意欲も欠いており、メディアもまた愚劣な番組を垂れ流すだけで真剣にはこの問題に向き合おうとはしていませんから、たいていの人はこの先何十年も同じように生活できるものとばかり思っているはずです。

それが、実はそうではないと実感するときというのは、もはや手遅れになったときです。今度直面する手遅れは、地球環境にとっての手遅れであり、もはや止める手立てがない状態ですから、ジタバタしたところでどうしようもない。暴動を起こそうが、閉じ籠もろうが、救いはない。人類は年中大災害に怯え、食糧危機に見舞われ、生存の危機にさらされ続けることになる。人間は歴史上何度も破局的な局面をくぐり抜けてきましたが、それは多かれ少なかれ局地的な問題で済みました。しかし、次の破局はそうではない。

万が一、それを食い止めることができるとすれば、奇跡的なことではあれ、国の権力そのものを環境危機を理解し方針をもつ人々の権力に取り替えることに成功したときだけでしょう。一国だけではなく、主要な国すべてでです。ヨーロッパ諸国だけは、資本主義の枠内でも、高度な意識と技術力で危機を回避する力を持ちつつありますが、その他はおしなべて無理。とくに日本は絶望的です。

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考え、行動する。
多少物覚えが悪くなろうが、行動力が減退しようが、頭と身体が動く限りは、年相応にやれる限りのことをやる。それにつきます。欲張ってもいいことは1つもないので、生きている限りは楽しみも半分、残りは次世代のためにやれることをやるという人生もまたいいのではないか。

多分、今年と来年は、池田町の財政問題、広い意味では環境に負荷をかけない町づくりを考える年になるでしょう。その後は身体が続く限り食糧増産に励むこと、環境問題を考え続けること。
そのうち、ポックリ逝くこともあるかもしれないが、そうなればそうなったとき。よく生きたといえる人生になるのではないでしょうか。