よくある冬型の気圧配置になってきたために、池田町は割と日差しが届くようになりました。夕方まで道は融けた雪でぐじゃぐじゃ。スーパーに買い物に行く程度しか車は運転しませんが、それでも日陰は凍り付いていて、日が当たる場所との違いが大きすぎる。とにかくスリップしないように常時4WDで運転。その点、軽トラは便利です。
下は、わが家の前から見た夕方4時頃の西と東。西は雪雲が北アルプスを越えて吹き出しています。東はきれいに晴れて明るい。
今年もあと5日。22日には第5回目の新型コロナ・ワクチン接種を終えて、まず一安心というところ。もっともほとんど家から出ないので感染の恐れはありませんけれど。
新型コロナよりも、この1年間寝付きがよくないために睡眠の質が悪くなり、ここ半年ほど常習性のない睡眠導入剤を処方してもらっていたのです。
ところが、あくまで導入剤であるために、1時間半か2時間もすると目が覚めて、その後はウトウト状態。夢ばかり見ているので、昼になるとまた眠くなる。
最近は、どうもこの睡眠導入剤もあまり効き目がなくなってきたようなので、思い切って止めることにしました。もちろん、できるだけ昼は昼寝をしないようにして。すると、思いの他よく眠れるようになったのです。歳のせいか、それほどぐっすりというわけにはいきませんが、この分だと眠剤を使わなくてもよさそう。
しかし、朝方にはよく夢なのか妄想なのかわからない状態になることがあり、記録しようと思っているのですが、たいてい何かを書こうとする頃には忘れてしまう。ただ、考え事をすることと夢うつつの状態とが重なる時があり、結構面白いテーマをもらうことがあるのです。
今朝などは「私を作った人々」ーいい意味でも悪い意味でもですがーというテーマで、中学から高校時代に接した教師たちについていろいろと思い出されることがあり、様々なシーンの再現、なつかしい教師たちとの再会を試みていたのでした。
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私にとって、心に残る教師たち、交流があった教師たちは、何故か多くの生徒からどちらかというと変人扱いされていた「はみ出し」的なタイプでした。敗戦から10数年の頃には、中学教師は本当にいろんな人たちが混在しており、明らかに教師になるべきではないような人物もいたほどです。
音楽教師Kは、小柄で吹けば飛ぶようななよなよとした女性。しかし、音楽大学出身というだけあってピアノは抜群にうまかったが、教え方という点ではそれほど上手ということではなかったように思いますが、私が理解している音楽理論はその先生に教えられたものがすべて。私は何故か、その教師の音楽への情熱やピアノの技倆に惹かれていて、家まで遊びに押しかけたことがありました。一人暮らしをしていたその人の家の前の様子が何故か焼き付いているのです。
私の母親も音楽教師でしたけれど、残念ながら家にはキーボードに類するようなものすらない。当時、もしピアノがあったなら、多分その先生を頼って指南を乞うたかもしれません。
その音楽教師がある日、私に「チェロを弾いてみませんか」と言ってくれたのですが、楽器といえばハーモニカくらいしか無かった家庭でしたから、そのままになってしまいましたけれど、もっともっと音楽について教えてもらいたかった教師の1人です。
もう1人は、中3図工の教師S。身体が大きくいかつい顔の男性教師で、それだけで生徒達を怯えさせていたほどでした。体系的に何かを教えるというより、一つのことに集中するように仕向けていたのでしょう。その教師もまた絵画については抜群の専門知識を持っていました。もちろん、決して表には出さなかった。その教師が、ある日のことエッチングの課題を生徒に与えたのでした。こまかい作業が必要になるので、本気で取り組もうとすると猛烈に時間がかかる。私は、提出日よりもかなり後れたものの、必死で作成した作品を廊下で出会ったその教師に手渡したのです。その作品を見つめたあと黙って受け取ってくれたのでした。仕上げるのにどれだけの時間をかけたのかを瞬時に理解してくれたのでしょう、ニッコリ微笑んでくれたと私には思えた。たったそれだけのことでしたが、その瞬間のことがいつまでも私の頭から消えないのは何故なんでしょうね。
学校の教師ではないけれど、小学校から高校まで通い続けていた書道の指導者Nさんもまた、ある意味ちょっと変わっていた。自信家で他の指導者をクソミソに貶すところは小さい私にも大変な違和感でしたけれど、子どもたちに接する姿勢は大変真面目で真剣だった。県下でも何人かしかいない日展作家であり、大勢いる大人の弟子たちからみれば神様のような存在だったでしょうね。中高生だった私にはそんなことはあまり関係なく、同学年の塾仲間のオヤジだったので、かなり楽に接していても、別に腹を立てるわけでもなく、本当に熱心に教えてくれた。当時でもタダみたいな費用で、惜しみなく書の技術やそのこころを伝えようとしてくれたわけで、これまた感謝しかありません。その書体には今なお深く影響を受けています。(前にも書いたことありましたね)
中学まで母親に深く依存していた「模範的」生徒であった私がなぜ英語・数学・国語などの5教科ではなく、芸術関係の教師たちに惹かれていたのか。しかも、ぜんぜん「模範的」ではない教師、指導者にです。勿論「はみ出し」だから惹かれたわけではない。それらの教師や指導者は間違いなく本物のワザを持っていたことは、すべて共通しているのです。
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いまの子ども達が、教師たちとどんな感覚で接しているのかを考えると、暗澹たる気持ちになります。まして、新型コロナの影響で広がるネットでの授業などが当たり前のように進んでいけば、生徒が生身の教師の集団と交わり、その生き方から何かを引き出して受け取る経験を積むということは当然ながら失われていく。思いもかけぬ人間的な接触、そこで回路の火花などが発生するような教育は、今日のような管理された教育の中ではまず生じないでしょうね。