Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

12月31日(土) 大晦日雑感

2022-12-31 17:33:33 | 日記

お天気は穏やかで、青空のもと山々の雪化粧も真冬の装いです。前に積もった雪はここ数日の晴天でかなりとけて地肌も見えるところがでてきました。

雪の白さは、前にも触れたとおり相変わらずそのままです。子どもの頃、よく庭から茶碗にすくってきた雪をかき氷にして食べていたものでしたが、いまはそのままかき氷というわけにはいかないかもしれませんね。綺麗だとはいえ、何が含まれているのかわからない。
一見美しい雪に、戦場の硝煙や原発の放射能などが大量に含まれて降り注ぐなどということは決してあってはなりません。かき氷にして雪を楽しめるほどの綺麗な環境を何としても取り戻したい。

***

今年は娘や息子はこちらに来ないので2人だけの年末年始です。それでも、それなりの正月料理をというので、2人で手分けをしてあれこれ準備をしていました。2人で食べるには相当な量なので、三日三晩同じ物を食べて、食っちゃ寝の生活になりそうです。

来年早々に私は喜寿を迎えます。身体の衰えは仕方がない面があり、あちこちの痛みと付き合っていかなければなりませんが、身体の衰えは精神的なそれとは必ずしも比例しない。とはいえ、身体あっての精神ですから、何とか健康年齢を延ばすことは考えないといけませんね。

平均的な寿命から考えると、そろそろ店じまいのモードに入る時期。健康年齢をあと10年と見てやるべきことを設定し、その上であとは成り行きですね。

***

MNEMOさんがご自身のブログへの訪問者の少なさに、アップした新曲を数時間もたずに撤去、訪問者数は長期低落傾向にあり、「潮時なのかも」と書いていらっしゃいました。
MNEMOさんは、ここずっと自身のブログを発表の場としていらっしゃいましたから、それだけでは限界もあったのだろうと推察します。今後はYouTubeでチャンネルでの発表という挑戦も実現すると語っていらっしゃいましたから、大いに期待しましょう。年一回ぐらいのライブなども実現できると嬉しいですね。

翻って、私のブログは、訪問者数など全く気にすることなく、コメントも拒否してただ書き連ねているだけ。久しぶりに30日の訪問者数を見たら33名(UU数、PVは44)、28日、29日はUU数が70ほどになっていました。いやいや、30名から70名もの方にブログを見て頂いているというのは嬉しい限りです。きっとMNEMOさんのコメントなどをきっかけに訪問されている方もいるのでしょうから、感謝あるのみです。
来年は、もう少しまともなことが書けるように努力してみますね。ご覧になった方、出来ればメールなどで交流ができると嬉しいです。


12月28日(水) 「戦争ではなく平和の準備を」

2022-12-28 13:43:21 | 日記

時事通信社が27日に配信したニュースに、防衛省が来年度予算に与那国島へのミサイル部隊配備のための土地取得、庁舎、火薬庫などの建設費を盛り込む方針であるとの記事があった。

下は2011年に与那国島を訪問した際の写真。このときにはまだ自衛隊の配備は行われていなかった。

YouTubeには、日本テレビ系のニュースがアップされており、その下には
「基地があってもなくても攻撃は起こる」「最前線には抑止力となる基地は必要」「攻められたらどうするか」「基地反対派を最前線に」などというコメントがズラズラと津習っている。批判的な意見はほとんど見られない。

それらを見ると、現在の中国の軍備増強と台湾情勢への覇権的・強権的な対応に対して、与那国島が攻められる危険は高まっており、自衛隊のミサイル部隊配備は緊急課題になっているという錯覚にとらわれるかもしれない。軍拡や他国への排外的な世論形成にはこうした無数の声が必要だということがよく分かる。

しかし、よくよく考えて見ると、「護憲勢力」に投げつけられる右からの「平和ボケ」という悪罵が、そのまま彼らにブーメランとなって戻っていることが分かる。要するに、戦争を誰がなぜどのように引き起こすのか、他国を侵略するということはどのようなことなのかを一切を無視し、しかも国民的な熟議を一切欠いたまま、目の前の「脅威」に軍備拡大をもって備えるという発想なのだ。つまり、80年近く前の日本の侵略戦争の経験、ロシアによるウクライナ侵略の経過や結末から何も学んでいないこと、つまり平和ボケ、ゲーム脳に陥っていることを問わず語りに示している。

第1。攻撃がなぜ起こるのか、その前提がすべて欠落している。
戦争は政治の延長、破局なのであって、何もない状態で突然ある国が他国に攻めてきたり占領することが起こるわけではない。中国の台湾に対する対応も「台湾独立」への方向が明確になった場合は座視しないということであって無条件ではない。

第2。ミサイル基地はどのような状況のために配備されるのかを見ていない。
明らかに台湾有事のためであり、米軍の行動と連動している。つまり、アメリカと関わりなく与那国島が攻撃されたり占領されたりすることはあり得ない。

第3。コメントに見る配備賛成の意見は、中国の脅威・攻撃・占領に対抗するためには軍備は必要であり、それ以外の選択肢はないというもので、極めて近視眼的、短絡的、ゲーム感覚的。
島民の安全を守るのは軍隊だという論理だから、簡単に果てしない軍拡につながっていく。当然、シェルターも必要になるし、ミサイル部隊も無数に必要になる。果ては、軍港、戦闘機の発着場なども求められる。

第4。他国へ侵攻し占領するには、とくに陸続きでない限りは、輸送、兵站などの手段が欠かせない。それだけの準備をあえて行うには、それに見合う利益がなければならない。
絶対国防圏を確保するとして南方の島々に兵士を送り込み、果ては無惨な死に追いやったかつての日本軍のように兵站を無視する愚を中国が行うだろうか。
むしろ、周辺事態法によって米軍と共同行動する自衛隊に反撃し、与那国島を攻撃するのであれば、「攻めてくる」などというよりも、ミサイルでの攻撃で基地を無力化し、制海、制空権を完全に取った上で少人数で確保するのは当然の成り行き。その際には、島民はすべて犠牲にされる。その責任はすべてそうした事態を招いた日本の政府にあることになるのではないのか。

第5。アメリカの極東戦略の動向とそれと一体化している自衛隊の現在を全く見ていない。このことは過去に繰り返し指摘してきたことで、危機が一般的に生じているわけではない。

第6。軍備を行わなくても島民の安全を守る方法があるという選択肢は、そもそもカヤの外に置かれてしまっている。下の平和構想提言会議の提言がその選択肢を示している。

結論として、このミサイル配備の論理は、果てしない軍拡と日本を戦争に巻き込む更なる一歩だということを、私は強調しておきたい。

参考:平和構想提言会議 戦争ではなく平和の準備をー”抑止力”で戦争は防げないー


12月28日(水) 相変わらず寒い

2022-12-28 10:34:56 | 日記

冬型の気圧配置が緩んだ今朝は深い霧。霧は晴天の前触れですから、時間が経てばきれいに晴れ上がってくるはず。と、思って時々外をのぞいていると、今日はまた景色がめまぐるしく変わってなかなか見応えがありました。

午前9時頃までは、西の北アルプス方面は全く見えなかったのですが、それから間もなく霧が晴れてきてぼんやりと山々の峰が浮かび上がり、ほどなくしてまたすべて霧の中に。10時過ぎには、昨日のようなすがすがしい山の全景が目の前に広がりました。

日の光が雪に反射してキラキラと美しい。都市部では車の排ガスや土で黒く汚くなりがちですが、こちらは全く違っていつまでも白いまま。どの方向から見てもキラキラが見えるので、その正体を探ってみると、3日前までに降った雪の表面が一度溶け、夜の余りに冷え込みに再結晶した氷が無数にできていて乱反射しているのだとわかった。自然の造形は何とも言えず美しいものですね。


12月27日(火) 政権交代しかありません

2022-12-27 20:39:54 | 日記

今朝の北アルプス。朝早く山裾の松川村に霧がたなびき、時間とともに霧が深くなって、やがてアルプス山頂付近まで見えなくなるほどに。さらに日が高くなると、霧は消えて山並みの全容が浮かび上がってくる。この季節のお決まりの光景です。下は朝8時頃の北アルプス。

夜は相変わらず冷え込んで、今朝はマイナス9°Cだったらしい。これからずっとこんな調子かと思うとうんざりします。

年末の仕事はすべて終わって、今日から3日ほどは年末の大掃除やおせちの準備。来年にかけては息子や娘たちは来る予定がないので、2人でゆっくりとした年末年始になります。

***

秋葉賢也復興相と杉田水脈総務政務官の更迭が発表されたという今日のニュース、驚くにはあたらないが、あまりにもレベルの低い内閣=岸田政権はもう総辞職しかないのではないか。それを迫らない野党は野党ではないだろう。

女性や性的少数者、他民族に対する差別発言を平然と繰り返す杉田を岸田首相は「職責を果たすだけの能力を持った人物と判断した」と最後まで擁護し続けたのだから、さてその始末をどうつけるのか。辞表を受け取ってハイ終わりでよいはずはないでしょう。

今日の彼女のツイッターの一文には「国会議員として、皆さんの思いを実現する為、信念を持って精進して参ります」とあった。ーー”信念”ときましたか。
辞表を出した理由を記者に問われ、差別発言を「拙い表現」のために真意が伝わらなかったのだといい「内閣の一員として迷惑をかけるわけにはいかない」と、あくまで過去の発言を反省した気配はない。むしろ支持してくれる有権者がいると開き直っている。

日本人信者から金を巻き上げて韓国教団に貢がせる統一協会の実相はすでに多方面から明らかにされているが、自民党はいまだに完全に手を切ることができないでいる。たとえば、高知県議会で統一協会との断絶と被害者救済を求める意見書を接点のあった議員を含めた自民・公明などが否決したという話はそのほんの一例。

杉田さん、「要するに岸田内閣のレベルはこの程度だ」ということを国の内外(とくに海外)に知らしめた”功績”は大きいですよ。政権交代もできないのであれば、ついでに、我々もまた同類ということになりますかね。


12月26日(月) 夢の中での再会

2022-12-26 18:35:39 | 日記

よくある冬型の気圧配置になってきたために、池田町は割と日差しが届くようになりました。夕方まで道は融けた雪でぐじゃぐじゃ。スーパーに買い物に行く程度しか車は運転しませんが、それでも日陰は凍り付いていて、日が当たる場所との違いが大きすぎる。とにかくスリップしないように常時4WDで運転。その点、軽トラは便利です。

下は、わが家の前から見た夕方4時頃の西と東。西は雪雲が北アルプスを越えて吹き出しています。東はきれいに晴れて明るい。

今年もあと5日。22日には第5回目の新型コロナ・ワクチン接種を終えて、まず一安心というところ。もっともほとんど家から出ないので感染の恐れはありませんけれど。

新型コロナよりも、この1年間寝付きがよくないために睡眠の質が悪くなり、ここ半年ほど常習性のない睡眠導入剤を処方してもらっていたのです。
ところが、あくまで導入剤であるために、1時間半か2時間もすると目が覚めて、その後はウトウト状態。夢ばかり見ているので、昼になるとまた眠くなる。

最近は、どうもこの睡眠導入剤もあまり効き目がなくなってきたようなので、思い切って止めることにしました。もちろん、できるだけ昼は昼寝をしないようにして。すると、思いの他よく眠れるようになったのです。歳のせいか、それほどぐっすりというわけにはいきませんが、この分だと眠剤を使わなくてもよさそう。

しかし、朝方にはよく夢なのか妄想なのかわからない状態になることがあり、記録しようと思っているのですが、たいてい何かを書こうとする頃には忘れてしまう。ただ、考え事をすることと夢うつつの状態とが重なる時があり、結構面白いテーマをもらうことがあるのです。

今朝などは「私を作った人々」ーいい意味でも悪い意味でもですがーというテーマで、中学から高校時代に接した教師たちについていろいろと思い出されることがあり、様々なシーンの再現、なつかしい教師たちとの再会を試みていたのでした。

***

私にとって、心に残る教師たち、交流があった教師たちは、何故か多くの生徒からどちらかというと変人扱いされていた「はみ出し」的なタイプでした。敗戦から10数年の頃には、中学教師は本当にいろんな人たちが混在しており、明らかに教師になるべきではないような人物もいたほどです。

音楽教師Kは、小柄で吹けば飛ぶようななよなよとした女性。しかし、音楽大学出身というだけあってピアノは抜群にうまかったが、教え方という点ではそれほど上手ということではなかったように思いますが、私が理解している音楽理論はその先生に教えられたものがすべて。私は何故か、その教師の音楽への情熱やピアノの技倆に惹かれていて、家まで遊びに押しかけたことがありました。一人暮らしをしていたその人の家の前の様子が何故か焼き付いているのです。
私の母親も音楽教師でしたけれど、残念ながら家にはキーボードに類するようなものすらない。当時、もしピアノがあったなら、多分その先生を頼って指南を乞うたかもしれません。
その音楽教師がある日、私に「チェロを弾いてみませんか」と言ってくれたのですが、楽器といえばハーモニカくらいしか無かった家庭でしたから、そのままになってしまいましたけれど、もっともっと音楽について教えてもらいたかった教師の1人です。

もう1人は、中3図工の教師S。身体が大きくいかつい顔の男性教師で、それだけで生徒達を怯えさせていたほどでした。体系的に何かを教えるというより、一つのことに集中するように仕向けていたのでしょう。その教師もまた絵画については抜群の専門知識を持っていました。もちろん、決して表には出さなかった。その教師が、ある日のことエッチングの課題を生徒に与えたのでした。こまかい作業が必要になるので、本気で取り組もうとすると猛烈に時間がかかる。私は、提出日よりもかなり後れたものの、必死で作成した作品を廊下で出会ったその教師に手渡したのです。その作品を見つめたあと黙って受け取ってくれたのでした。仕上げるのにどれだけの時間をかけたのかを瞬時に理解してくれたのでしょう、ニッコリ微笑んでくれたと私には思えた。たったそれだけのことでしたが、その瞬間のことがいつまでも私の頭から消えないのは何故なんでしょうね。

学校の教師ではないけれど、小学校から高校まで通い続けていた書道の指導者Nさんもまた、ある意味ちょっと変わっていた。自信家で他の指導者をクソミソに貶すところは小さい私にも大変な違和感でしたけれど、子どもたちに接する姿勢は大変真面目で真剣だった。県下でも何人かしかいない日展作家であり、大勢いる大人の弟子たちからみれば神様のような存在だったでしょうね。中高生だった私にはそんなことはあまり関係なく、同学年の塾仲間のオヤジだったので、かなり楽に接していても、別に腹を立てるわけでもなく、本当に熱心に教えてくれた。当時でもタダみたいな費用で、惜しみなく書の技術やそのこころを伝えようとしてくれたわけで、これまた感謝しかありません。その書体には今なお深く影響を受けています。(前にも書いたことありましたね)

中学まで母親に深く依存していた「模範的」生徒であった私がなぜ英語・数学・国語などの5教科ではなく、芸術関係の教師たちに惹かれていたのか。しかも、ぜんぜん「模範的」ではない教師、指導者にです。勿論「はみ出し」だから惹かれたわけではない。それらの教師や指導者は間違いなく本物のワザを持っていたことは、すべて共通しているのです。

***

いまの子ども達が、教師たちとどんな感覚で接しているのかを考えると、暗澹たる気持ちになります。まして、新型コロナの影響で広がるネットでの授業などが当たり前のように進んでいけば、生徒が生身の教師の集団と交わり、その生き方から何かを引き出して受け取る経験を積むということは当然ながら失われていく。思いもかけぬ人間的な接触、そこで回路の火花などが発生するような教育は、今日のような管理された教育の中ではまず生じないでしょうね。