Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

12月31日(木) 年末雑感

2020-12-31 15:57:36 | 日記

東京で新規感染者が1300人超という速報。29日に指摘していたように、陽性率が不変なら検査数が増えれば陽性者が増えるのは当然の理屈。検査数が2万人くらいにのぼったということなのでしょう。その意味では驚くことはありません。

問題なのは、面として感染を抑える戦略を持てるのかどうなのか。それには検査にハードルを設けることではなく、病院や医療従事者への十分な予算措置を講じながら、症状がなくても無料でPCR検査が受けられる体制をいかに早くつくるのかしかありません。こんなことはいつから指摘され続けているのでしょうか。にもかかわらずガースー政権支持率が10%台、20%台に落ちないのが不思議で仕方がない。

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2か月ほど前から友人のために統計学の勉強会をやっています。多変量解析まで行くのは、数学から長い間離れていた50代、60代ともなると相当にハードルが高い。やむなく、2,3日前から「統計学のための線形代数=ベクトルと行列=」という25ページほどの自前のテキストを作成。昨日遅くにようやく完成しました。
統計を学ぶのに最低限必要な知識をまとめたのですが、それでもやっているのといないのとではエクセルなどで分析を始めても相当に理解度が違うはず。年明けは10日から勉強再開なので、あらかじめ渡しておいて予習をしてもらうことにしました。

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ところで、このテキストも昔々の愛機 PowerMac G3 MTでつくっていたのですが、ハルちゃんがどうしてもキーボードの近くで寝ていたいと往復。ネコってのは邪魔しにくるのが仕事らしい。古いマックの電源はキーボードにあるため、せっかく苦労してつくったファイルがフリーズしてパーに。怒るわけにもいかず、その日は諦めて次の日にまた続きをやりました。するとまたお邪魔虫がやってくる。

鼻の頭がほとんど陥没して真ん中に深い溝ができて惨めな姿に変身してしまったハルちゃん。どんな姿になっても、かわいい息子ですから邪険にはできません。私に対するベタベタが最近はかなり激しくなっているのでありがた迷惑ではありますが。
定期的に獣医に診てもらってはいるのですが、抗生剤の注射以外には如何ともしがたいというので、結局症状が進むのを手をこまねいてみているしかない。
動物は本当に我慢強いというか、痛さを表現できないので、じっと耐えているしかないのでしょうね。最近は比較的落ち着いて食欲もあるので、このまま悪い部位が剥げ落ちて何とか快方に向かって欲しいと願うばかりです。

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さて、大晦日。だいたい大掃除も終わって、あとはゆっくりです。
MNEMOさんから、またまた過分の評価をいただき恐縮しています。
先日、これまで私を中心に作成した「財政白書」(計5冊)をお送りしたのでした。プロのミュージシャンである彼にはほとんど役に立たないしろものですけれど、ある意味で私の「生きた証」のようなもの。MNEMOさんの音楽のようなものかな。私の仕事の実物を知って欲しかったということと、いつかどこかで何かの役に立つかもしれないと考えてお送りしたのでした。
今日書いていただいたコメントに「作品」という言葉がありました。さすがご自身の作品を生み出す努力を知っていらっしゃるMNEMOさんです。私にとっては、やはりそれなりの苦しみをともなう「作品」づくりなのですから、そのように指摘していただいて大変嬉しかったのです。

このあと、続きが作れるのかどうか、今の私には全くわかりません。ひょっとしたら別の角度での提言集みたいなものに変わるのかもしれません。あるいは、何も出来ないのかも。それはともかく、体調や頭の次第で「やれるだけのことをやる」ということでしょう。

新しい年がみなさんにとって生きていてよかったと思える年になりますように。またそう思えるように力を合わせましょう。

 


12月29日(火) 池田町の財産を切り売り?

2020-12-29 19:13:21 | 日記

夕食時に妻が「池田町は美術館を売るって言っているらしいけど知ってた?Kさんの話で今日の新聞に出てたって」という。そんなこともあり得るのではないかというウワサは聞いたことがあったものの、新聞にペラペラしゃべるなんてあり得ないことだと思い、すぐにコンビニへ。

確かに一面にデカデカと掲載されていた。それが下の記事。

「あくまで選択肢の1つとして」というのは当然だろうが、町民への説明以前に新聞の取材に対していとも簡単に売却を口にするなどと言うのは本来あってはならないことだし、町民の共有財産ですから、いかに町長と言っても断じて許しがたい。もはやご乱心としか言い様のないデタラメさです。

自ら招いた財政危機を解決するための方策として売却を考えていると言うことなのだろうけれど、手順も考え方も支離滅裂。

美術館が池田町の財政にとって重荷になっているというのは、出来たときから分かっていたこと。苦し紛れに指定管理にうつしたものの、一向にさえない運営で3年間で1億円という町への負担は今も昔も変わっていない。

私自身は、過大な施設をつくり町民文化への貢献よりも負担増にあえぐ構造をつくってきた過去の町政を厳しく問いながらも、この施設をどのように生かすのかを考えぬいて、ある1つの構想にたどりつきました。何人かからは熱烈な支持を得てはいても、まだ公表する段階ではないだろうと思い、この10年ほどはずっと暖めてきました。が、ことここに至っては、1つの試案として公然と押し出して行かなければならないのかもしれないと、この記事を読みながら考えておりました。

近く、分かりやすいプレゼン資料にして、何らかの形で町民に示そうかなと思っているところです。

 


12月29日(火) 羽田雄一郎氏 急逝

2020-12-29 13:24:46 | 日記

参議院長野選挙区で昨年野党統一候補として当選した羽田雄一郎氏が急逝、その原因が新型コロナ感染症だったことがわかって、全国に衝撃が広がった。
昨年の参議院選挙の際に松本駅前で演説会があった折には私も聞きにいっており、野党統一で出馬する意義について語っていた彼の元気が顔が思い出されます。圧倒的な差で野党統一候補が勝ったことは長野の誇りでもあり、これからその活躍が期待されていただけに本当に残念でなりません。

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東京では、感染者が急増して1日1000人に迫る勢い。PCR検査は増えているとはいえ、外国に比べれば東京で1日1万人強というレベルではとても面として感染を把握することはできません。おそらくやればやるだけの陽性者が出るでしょうから、怖くて出来ないのかもしれません。2万人に引き上げて感染率7%なら1400人ですからね。10万人検査をすれば7000人の陽性者。重症がそれほどではないのは今のところ幸いなのかもしれませんが、これから遺伝子タイプの異なるウイルスがはびこったらどうなるのか。
さらにはピント外れの対策で国と都とがなすりあいをやっている限りでは、自衛にも限度がある。何処にも出かけず、ひっそりと閉じこもっている他に対策はないのですかね。

医療現場と検査の最前線の場を守り、高齢者の介護現場を守るために思い切った財政出動をすべき時に、補正予算は実にお寒い限り。この際、オリンピックにしがみつくのはやめて、さっさと中止の決断をすべき時でしょう。政権政治家のみなさんの緩みっぱなしの行状を見せつけられて、一体この怒りを何処にぶつけたらいいのか。この国の政治の何処がゆがみ、どこが壊れているのかを、今見つめて処置しなければ、私たちの未来は真っ暗です。

友人から届いた沖縄タイムス12月22日付けによると、辺野古基地周辺の送電線鉄塔の高さが米軍の飛行高度基準を超えているために、送電線を地中に埋めるのだそうです。そのための予算に防衛省は56億円の要求。ところが鉄塔と同様に55メートルを超える建物はすぐ近くの沖縄工業高専やその他の建物があり、ダブルスタンダードだと批判が上がっているとのこと。
そもそも高度基準をクリアできなければ飛行場そのものが建設できないわけで、そんなことは初めから分かっていたこと。矛盾を少しでも糊塗するために56億円もの国費を使う無神経さ。

無神経でめちゃくちゃな予算の使い方は最近目に余るようになってきています。
ある人がツイッターで指摘していましたが、東京五輪組織委員会の役員報酬は年2400万円。ところがオリンピック期間中に5000人もの医療従事者を金がないと言って無償で奉仕させようとしてきた経過がありました。。もっとも厳しい批判に晒されてどうやら方針転換して一定の手当の措置をするということらしいが、そもそもは「無償の協力要請」だった事実には変わりがない。
大体選手自体まだかなり決まっていないわけだし、コロナ対策でどれだけのお金を使うのか想像もできない。やっぱりこんなオリンピックはやめましょうや。


12月27日(日) 信濃毎日の記事

2020-12-27 23:04:51 | 日記

記事が前後してしまいましたが、昨日の信濃毎日新聞が朝刊のローカルのページに、でかでかと池田町の財政問題を特集しました。おかげで大北地域だけではなく、全県に池田町の様子が知れ渡ったというわけですね。その中で、町民の名前が出てくるのは私だけというのはどうしたことか。岡田君!

財政危機の問題は、決して財政調整基金枯渇だけの問題ではなく、公債費の増大やこれを含めた経常的経費の異常な膨らみが大きな問題なのであって、構造的なものなのですから、記事の中ではもう少し突っ込んだ分析をしてほしかったと思わされています。ともあれ、これだけの記事が載ったのですから、町も覚悟を決めて対応に当たらなければならないでしょう。年明けの対応が注目されます。


12月27日(日) 薔薇雨

2020-12-27 22:50:04 | 日記

先日、松本に住むTさんから「財政白書」を入手したいという電話があって、土曜日に「こどもじゅく」で会って渡すことにしました。
昨日会場に行くと、もうすでにその方は到着していて、マネージャーのKさんと何事か話し合っている。はじめはそれと気付かずに部屋の準備をはじめたところ、近づいてきた彼が自己紹介をして始めてその方だとわかりました。
その方も松本で数年前に「市民のつくる財政白書」を仲間とともに刊行し、現在第2号を準備中なのだとか。長い間公民館主事として仕事をするかたわら住民運動にも関わってきたのだそう。
お互いに冊子を交換していたら、彼が一冊の本を取り出してぜひ読んで欲しいという。その本のタイトルは「薔薇雨(ばらう)」。サブタイトルが「樺美智子との出会い・共闘・論争そして訣別」という、大変興味をそそるものでした。MNEMOさんなら「そうびう」と読むのでしょうか。

連絡をくれたTさんは、樺美智子と同じ年1957年に東大文Ⅱに入学した同期の間柄。いただいた「薔薇雨」には、安保闘争の渦中で過ごした東大進学から卒業までの記録が克明に記録されていました。当時の東大の学生たちの意識の変遷や安保闘争へのかかわりが、学生らしい生硬な議論を忠実に再現することで実に見事に描き出されており、なぜ彼女が死ななければならなかったのか、当時その場にいた人間ならではの生々しさで表現されていました。文章や構成も洗練されてみずみずしく、文学の素養も並のものではないと感じされられました。Tさんとは袂を別ちブント活動家として極左的な国会突入戦術を選んでしまった彼女ではあっても、少し前までは同志としてともに活動していた彼女でしたから、この本全体に深い哀惜の情があふれ、彼女への鎮魂歌の趣すらありました。そして、ルポルタージュとしても大変優れた一冊となっています。

1960年(S35)6月末だったか7月はじめだったか、私は中学3年生で、東京に修学旅行に行きました。安保闘争直後で、すでに静けさを取り戻した国会とその周辺の様子を見てきたことを思い出します。その頃はもちろん高校生になっても政治的な意識は全くなかったとはいえ、白黒テレビが普及し始めた画面に映る三池炭鉱闘争や安保闘争の画面は強烈な印象を残しました。
そして、Tさんからは7年遅れて1964年大学に入学した私は、すぐに教育系のサークルに入るのですが、Tさんも入学早々からセツルメント活動に加わり地域で子ども会活動にとりくみ、実践を踏まえての理論という私とよく似た活動履歴の持ち主であることもわかりました。その彼が、私と同じように地域活動をすすめ、財政白書にも取り組んでいるというというのは何という奇遇。今度お会いしたら、もっと当時のことも含め、いろいろお聞きしたいものです。