Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

12月31日(火) 息子夫婦、孫と年越し

2019-12-31 18:08:31 | 日記

昨日まで、子ども塾や仕事で終日外に出ていたために、家のことはほとんど何もできず。

今日は、ようやく年賀状を投函し、おせちの煮物を作り、息子と畑でネギを掘り出し・・・と家事をこなして、午後6時ごろようやく一息つきました。

このあとは、沖縄そばを食べながらゆっくり過ごす予定です。

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これまで忙しい仕事と同時進行で取り組んでいた、「財政白書」の新バージョンの原稿がようやく仕上がりました。過去のものよりページは薄くなりはしましたが、必要な最新情報はほぼ網羅し、町の財政の基本的なことはわかるようにしたつもり。例のハーブセンター問題も力点をおいて、問題点や今後の方向についての小論を収録。

ただ、いつもながら、かなり複雑なデータが満載なので、一般の方々からするととりつきにくく読んでもすぐには分からない。町民団体の中でじっくり検討を深めて、来年の4,5月には公開したいと考えています。

今回がVer.3、2012年に第1冊目を刊行してからずいぶん月日が流れました。よくまあ、しぶとくこうした面倒なことをやっていると我ながら呆れてしまいますが、多分これで最後になるでしょう。

前回は、本当に個人的な作業になったので、今回こそ集団的に討議し、発表には記者会見もやって、華々しく「散ろう」と。あとは、誰かが引き継いでくれるのを期待するのみ。少しは町の発展に貢献できるのではないかと思うのですが果たしてどうでしょうか・・・。


12月26日(木) アレフ

2019-12-27 00:02:48 | 日記

アレフといっても、オーム真理教派生の教団のことではありませんので、念のため。

中学や高校までに目にする「数」には自然数(N)、整数(Z)、有理数(Q)、無理数、実数(R)などがあります(括弧の中は集合の記号です)。有理数でない数を無理数といい、「有理数と無理数を合わせて実数という」と学びます。

もともと、数えるという操作は有限個のものの個数を操作することで、数え切れないものを数えるということはしません。できるはずもありませんから。
だから「自然数全体の個数は?」と聞かれれば「無限にきまっている」と答える他ありません。当然、「実数はどれだけの数から成っているのか」と聞かれても誰も答えられない。

ある有理数aと別の有理数bのど真ん中c=(a+b)÷2は有理数であり、aとcのど真ん中も有理数。こうしてどんどん操作を重ねていけば、どんな狭い有理数と有理数の間にも無数の有理数があるということになる。
それじゃ数直線上で0と1の間はいたるところ有理数となって、有理数で埋まってしまうのではないのか。だって、隙間があれば必ず有理数があるのだから。

いやいや、ちゃんと0と1の間には無理数も収まっていて、これまた無数の無理数が存在する。それじゃ、0と1の間の有理数と無理数はどっちが多いのか・・・だいたいこの辺で頭が混乱してきて、眠気が襲ってくるのですが・・。もうちょっと我慢して・・・

では、0と2の間、つまり長さでは0と1の2倍の線分ではどうか。「0と2の間の実数の方が0と1の間の実数よりも多いにきまっている。だって、完全に0と1の間を含んでいるし、あのユークリッド先生だって、第8公理で「全体は部分より大きい」と仰っているし・・・。

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私がこんな話に触れたのは多分高校2年生ぐらいのときでした。個人的に教えてもらっていた予備校教師M氏が、大学の数学として「無限を数える」(数えるというのはちょっと違いますが分かりやすく言うとそうなる)という話をし始めたのでした。その後、奇しくも彼と同じ大学の数学科に学ぶことになったのも、ひょっとしたらそのときの彼の話が引き金になったのかもしれません。

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モノの数というときには、私たちはだいたい数えられるものしか考えないし、数えるにしても1,2,3・・とカウントします。モノの数はカウントとは切り離せない。これが実生活での体験から来る「モノの数」です。英語ではcountableというし、uncountableとの区別ははっきりしています。

ところが、数学とくに集合論では、全く異なった見方をするのです。数えない。たとえば、学校の教室で生徒が全員いるかどうかは、「番号!」といって、その番号が終わりまでいくかどうか調べる必要は全くなくて、もし空いている席があれば全員いないというだけの話です。椅子と生徒との「1対1」対応で片がつくというわけです。
つまり、ある集合とある集合の要素の間に、もし完全に1:1の対応がつけば、同じ数だけの要素が含まれると考える。

この論法でいくと、どちらも無限に多いはずの「自然数全体の集合と有理数全体の集合には完全に1:1の対応がつく」ために、同じ数だけあるということになります。もっとも、「数だけある」というのは「数える」という操作を前提にしているので不正確な言い方で、数学では集合の濃さ=「濃度」という考え方をするのです。
すると「自然数全体は有理数全体と同じ濃度を持つ」ということになる。なぜなら完全に1:1の対応がつくからです。従って、濃度という概念を用いると、この場合にはユークリッドの第8公理は成立せずに部分は全体に一致するということになってしまいます。そこには矛盾はありません。

人間がモノの数を知る際に、1:1対応を使うのは別に新しいことではなく、原初の昔からあったと考えられます。なぜなら、数を知らない放牧民族が、放し飼いにしている動物が全部帰ってきたかどうかを見る際に、門のところにあらかじめ動物と同じだけの石ころを置き(動物が出て行ったときに同じ数だけの石をおいておけばよい)、石ころの数と同じなら動物はみな帰ってきたと考えたというのは有名な話です。

ところが話はこれで終わらないで、残念ながら実数全体は自然数全体と1:1対応がつかない。「実数は自然数(有理数)よりも濃い」ことが遠い昔に証明されているのです。
昔よく教室で生徒たちにたとえ話として言ったものでしたが、「数直線に有理数だけ並べて横から見ると一杯あるように見えて実は『スカスカ』で、そのスカスカの隙間を無理数がびっしりうめて、それで実数ができあがる。濃さから言えば無理数の濃さと実数の濃さは同じ。有理数の濃さなんて問題にもならないくらいなんだぞ!」・・・生徒たちはただキョトンとしているだけでしたが・・・。

自然数の濃度をアレフゼロ、実数の濃度をアレフというのは集合論の初歩なのですが、実数の連続性はこの濃度アレフに深く関係しているのです。(下は自然数濃度アレフゼロの記号)

          

ただ、先にも書いたように、数直線(実数)全体の濃度アレフは、そのほんの一部分である0と1の間の線分の濃度と同じとなり、ここでも部分は全体と一致する。いかなる長さの線分も数直線全体の濃度と同じになってしまう。

集合の濃度の間では演算ができて、アレフゼロとアレフを足すとアレフになり、アレフとアレフを掛けるとやはりアレフになる・・・。もう頭がヘンになりそうなのでおしまい。
こんな集合論はゲオルグ・カントールという人が創始した学問で、ヘンと言えばヘンですが、興味は尽きません。


12月23日(火) ユークリッド原論の「定義」

2019-12-24 07:31:27 | 日記

今日はまた夢の話。
「きっとそれは、ある大学でのある講義の最初の時間。学生たちが思い思いに教室に入っていって座っている。すでに課題が出されていて、出来た学生も出来なかった学生もその課題を前に神妙な顔で座っている・・・」
夢はたったそれだけ。

なぜそんなシーンがでてくるのか、わからない。しかし私には思い当たることがいくつもあるのです。

ある定義や概念が、一人の生徒(いやほとんどすべての生徒)には易々と理解することができても、別の生徒には理解できないことがいくらでもありうる。言い方を変えると、川にかかった橋が見える生徒と、見えない生徒がいるということ。

見える生徒は楽々と川を渡り次の地平に進むことができるのに、見えない生徒は、なぜ見えないのか、橋があることすら分からずに、もがき苦しむことになる。そして時間が立てば、同じスタートにいたのに、その間にはもう無限の距離が生じているのです。

そんな経験を私自身してきたからかもしれません。「解る」ことより「解らない」ことが分かっている人は、科学者より教師に向いているのは明らかです。私のようなできの悪い学生の場合は、とくにそうだったんでしょうね。

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ユークリッドの原論第1巻には定義がでてきます。有名ですが、たいていはあまり気にしない。なぜなら「常識」として知っているからです。

定義1-1 点とは部分をもたないものである。点には長さも幅も厚さもない。
定義1-2 線とは幅のない長さである。線には厚さもない。
定義1-3 線の端は点である。
定義1-4 直線とはその上にある点について一様に横たわる線である。(以下略)

おそらく99%の子どもは何だかよく分からないけれど、下のような図を想像して分かったつもりになる。

しかし、頭がいいとか悪いとかではなく、とにかく初めから躓く子がいても不思議ではありません。
上のような図を描いたところで、大きくすれば点は円板であり、線は細長い長方形。つぶつぶを考えてみたところで、細い針金を想像してみたところで、「長さも幅も厚さもない」ものなんて”ぜったいに”理解不能、です。もうその先には一歩も進めない。

ところが、あるとき、「針金ではなく、机や板のまっすぐな『ヘリ』を思い浮かべ、ヘリの終わりが点だと考えてごらん」と言われた子は、ひょっとしたら、見えなかった川を渡ることができるかもしれません。
もちろん、それもまた私の想像で、学校でもそんなことは問題にせずに、上のような丸薬と針金で通るし、それを点や線だとしても誰も不思議には思わないできたのです。これからもそうでしょう。

定義や公準ではなく証明の厳密さが魅力となって、平面幾何はユークリッドがいた紀元前から現代にいたるまで「頭のよさ」「論理の原型」を示す舞台として利用され続けてきました。ものごとにこだわる子なら絶対に理解不可能な「定義」からはじまるこのユークリッド幾何がですからね。「反社会的勢力」の定義どころの騒ぎではありません。

数学には、定義をめぐって結構そんなある人には見えない橋が現れるのです。それを渡れなければお仕舞い。軽々と渡っていく人間を指をくわえて見ながら、我と我が頭の出来を呪うこと以外にやることはないのです。

と、まあ、情けないことを書いてきましたが、苦しい思いをした若いときから何十年も経て、別の見方もできるようになったのは救いと言えば救い。

人間の脳の回路は無数に張り巡らされていて、AからBへ行く道は1つではないということ。ある子には、一瞬、最短で行くことができても、別の子にははるばると回り道をしないと行けないかもしれない。それでも、別の道をみつける手助けさえあれば、自分の力でその道を見つけることが必ずできるようになる。別の回路を新しくつくることさえ可能なのだから。

子どもの学びにとっては、一人で苦しむなんてさせちゃいけないのです・・・ということ。大人になってからだって、多分にそうなのだろうけれど。


12月23日(月) 長野市水害地域支援活動

2019-12-23 23:58:23 | 日記

昨日は帰りに千曲市の親戚宅に寄ってきたので、午後9時ごろ帰宅。さすがに疲れて、今朝は普通に起きたものの、その後も昼間でぐうたら横になっていました。

午後からは、軽トラの片付けや乱雑になっていた家の中を片付け、夜はまたこどもじゅくの個別指導のために松本まででかけていて、午後9時ごろようやくリラックスした時間を持つことができました。

     *   *   *

昨日は、午前7時にまず先発隊が池田町を出発。隊長以下3名が大きなランドクルーザーで被災地の1つである飯山市を目指しました。その3名が早く出たのは、飯山に切り餅200人分と義援金を届け、そのあと、もう一つの被災地である長野市穂保地区に向かうためです。

後発の私たちは、2台の軽トラで午前9時前に池田町を出発。一台は餅つきの道具一式(臼、杵、かまど、セイロなど)を積み、私の軽トラには切り餅150人分、米・餅米150キロ、計250キロを積み、一路長野道へ。これだけ積むと重い重い。それでも高速道路なので、割と順調に須坂インターを降りて被災地に向かうことができました。

その近くの千曲川沿いの河川敷は、木々がなぎ倒され泥まみれに。重い荷物を積んで長時間走るのは糸魚川にお米を満載して走ったとき以来です。


支援活動メインの餅つきの場が2転3転して、結局ボランティアの集結場所の「リンゴの里」が会場になりました。
到着したときは、ボランティアの皆さんはすでにそれぞれの持ち場に出かけていて閑散・寒々とした状態。そこにはもう先発隊も到着していて無事合流しました。

先発隊を率いた代表の話では、飯山市では市長も出迎えてくれて、予想もしない大歓迎だったとのこと。下は足立市長に義援金を渡したときの写真です。

代表がⅠヶ月ほどまえに食器を届けに来たときは、まだ泥があちこちにうずたかく積み上げられて、泥まみれの状態だったようでしたが、私たちが訪れた昨日は、道路にはほとんど泥はなく、そのかわり車が通る度に土埃が舞い上がって粉塵がすごい。
この地域は至る所にりんご園があるのですが、ボランティアの力でリンゴの木の周りだけ泥が掘り出されてあちこちに土の山ができ、そこに無数のリンゴが落ちていました。

会場では火が使えないので、ちょっと離れた空き地にかまどを据えて、餅米を蒸す準備に。メンバーの中にベテランがいて、素人の私などは見ていることしかできない。

当初は、被災地のみなさんについた餅を食べてもらう予定だったのですが、インフルエンザで会場が変わり、結局ついた餅は沢山来ているボランティアの方々を中心に食べてもらい、持って行った切り餅などは後日現地のボランティア組織を通して、被災者のみなさん個々に届けてもらうことにしました。

午後2時ごろから餅つき開始。ただ、ボランティアは午後の作業に出てほとんどいませんから、全くさみしい餅つき。私たちは軽トラの荷台も使って、ついた餅を食べてもらう場所を確保。あんこ、きな粉、大根おろしも用意して、いつでもどうぞという状態にして、みなさんの帰りを待ちました。

午後2時半頃にはボランティアが帰りはじめて、その頃から一気に忙しくなり、全体を見渡す余裕もないほど。
この日が今年最後のボランティア活動日の日曜日ということもあって、終結したボランティアは250名ほどということでした。狭い会場にそれだけ集まるとすごい混みよう。おなかを空かせた若い彼らですから、お餅はもちろん、隣で配っている豚汁なども瞬く間に胃袋の中に。あっというまに配布終了。

ボランティアは地元はもちろん、県内外から。若い人たちが大勢いて心強く思われました。かまどを据えたところには和歌山大学の学生達を乗せてきたバスが停車していました。学生の一人に聞くと、大学当局や授業とは関係なく自分たちの意志でやってきたとのことでした。

すべて作業を終えたあと、ボランティアの受付会場はこの日で一時撤収になるので、持ってきた餅や米を、地元のボランティア支援組織のテントに移動。持ってきた支援物資をすべて運びこみ、午後4時、すべての日程を終了しました。

 

これからは、支援活動を終えての感想です。

第1。現地の支援組織「穂保被災者支援チーム」の代表Oさんの話を聞くと、住民組織の役割がいかに重要かがよくわかりました。行政ではなかなか住民がそれぞれの生活点で何を要望しているのかを掴みきれず、きめ細かい支援活動(支援物資の提供や要望とのマッチング)が出来ないこと。ひどい場合は、遠くからはるばる届けてくれた支援物資を断ることさえ起こっているということでした。その点、地元の支援組織は、必要なものを把握し、素早く集めて提供できます。
これは、3.11直後の池田町や女川町での行政の対応を通して痛切に感じたことでもありました。行政は決して手をこまねいているわけではありませんが、行政の論理で動くために、住民の要求に弾力的に、臨機応変に対応できません。
その点、行政と住民組織がそれぞれの役割をしっかり果たしつつ、相互の乗り入れを柔軟にやれば、現在よりももっと弾力的な支援活動ができるはずなのです。

第2。ボランティアの受け入れや配置などは、どこでも社会福祉協議会がその中心になっています。穂保地区でも例外ではなく、やや広い老人福祉施設の敷地にテントがしつらえてあり、スコップや一輪車などの道具類とともに、支援物資の受け入れも行っていました。

脇にはトラックで運ぶような簡易トイレが5基と、簡易トイレともいえないようなカーテンで仕切っただけのようなトイレが2基。聞くと役場から配られたのが、そのひどい方のトイレだといいます。
水はⅠ本のホースで水道から引いているだけで、蛇口もなく全く不便。2か月たってもこの状態ですから、お粗末きわまりない。
県都長野市の被災地支援場所としては、いかにも貧困で、一体行政は何を準備していたのかと思わずにはいられませんでした。

現在もりんご園などの泥を掻き出したり、家々の掃除をしたりという要望は多く、それらはもっばらボランティアの役割になっています。そのことはやむを得ないとしても、行政が全国から集まるボランティアをどう受け入れ、どう対応するかは死活的に重要なことであって、テント、机、椅子、トイレ・簡易水道設備などの衛生設備、休憩所などは十分に用意すべきことです。

第3。現地で支援にあたる組織があるかないかでは、救援体制に雲泥の差ができるということ。3.11直後の東北地方では、町がほとんどまるごと破壊されましたから、現地で救援にあたるような組織は不可能でした。それでも、女川では高野さんのような議員が自ら被災者でありながら、私たちと住民の架け橋になり現地の要望を伝えてくれ、どう行動すればいいのかを示唆してくれました。
長野市の穂保地区では、Oさんを中心とする支援組織が活動を続け、それが行政・ボランティアと住民との架け橋になっているというのは1つの得がたい経験です。この活動から学ぶべきことが沢山あるのではないかと思わされました。いずれゆっくり話を聞く機会を持ちたいと思います。


12月21日(土) お互いさま

2019-12-21 10:37:18 | 日記

MNEMOさんが、私の被災地支援活動などをとりあげてくださいました。お褒めの言葉も有り余るほど。
ご自身を「ロクでもないヤツ」と卑下されていますが、彼をよく知っている私としては、「うんうんそうだね。おいらもいっしょだよ」と答えておきましょう。MNEMOさんの優れた芸術活動は、「ロクでもない」人間がなしうる1つの答えでもあるのですから。

私は多くの人たちに支えられて生かされてきた。生きろと励まされてきた。人間の人間(じんかん)である所以を無数にあびせかけられ受け止め(させられ)てきたから、いまとなっては、ただ受けとるだけではさすがに気が引ける。
かつての私と同じような思いをしている人たちに、少しでも役に立てることがあれば、それは私のつとめではないか。
私のやっていることはただそれだけなのです。


だから、ボランティアであるとか、誰かを助けるとかというものではサラサラない。悪行の罪滅ぼしの場違いな発揮である一面を持ちつつ、ただ「お互い様」の気持ちしかないのです。そんな気持ちに裏打ちされた「おせっかい」や「世話焼き」ってすごく大事なんじゃないだろうか。
子ども達に言うんです。いまは、いろいろ教えたりしているけれど、誰かが困ったことになったら手を差し伸べるのは君たちなんだぞと。それは私かもしれないしね、とも。

実は、いなかの共同体のなかでは、保守的な、守旧的な因習だとか考え方だとかは沢山あるけれど、助け合いの精神は深く根付いています。心を開いて援助を訴えれば、断る人はまずいない。米や餅米や野菜は本当に有り余るほど提供してもらえる。そして、それを何かしてあげるという押しつけがましい気持ちでやるのでは決してないのです。
政治的な変革への意識の高まりという点ではまだまだなのかもしれませんが、それも地道に粘り強く正論を対置し続ければ、どこかで必ず変化への手がかりをつかむことができる。

物理的に忙しくなる時間はあるものです。しかし、年がら年中忙しくては人間だめになってしまいすね。MNEMOさんが言うように「怠惰な日は絶対に必要で、過度にならない限り、気だるさの中、徒然に過ごす日を私はこよなく愛するものです。」という述懐は、私も同感です。年がら年中ではそれは「自堕落」というもので、何も生み出さない。

自分自身のここ数年の生活を振り返って、結構暇な時間が多いのです。むしろ意識的にそうしている。
逆に妻は年中忙しそうで「奥さん元気で留守がいい」状態。こっちの方がちょっと心配ですね。

最近、あることに気がついた。「ハーブセンター問題」でいろいろ調べたりそのまとめをしていたとき、3日間ほどはいままでにないくらいに、寝食を忘れるくらい集中していた。子ども塾があることすら忘れるくらい。その爆発的な集中力の出どころはいったいどこにあるのか、と考えると、やはり暇な時間の存在なのだろうと思うのです。暇なときにあれこれ思い巡らし、忘れ、また考える。忘れることもたくさんあるかわりに、突然何かが浮かぶこともがある。

時折あるその集中的な作業の結果は必ず何かの「形」で残しておくべきですね。さもないと次の仕事のときには何も出てこない。MNEMOさんにとってはそれは自らの創作の「形」(作品、音)なのでしょう。


そんな集中力を発揮することも、最近ではなかなかありません。加齢とともに必ず衰えていく。それでも、そうしていれば、今日この世を去ることがあっても、懸命に生きたといえると言えるんじゃないかなあ。