Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

10月31日 バラ園 今年最後の作業

2019-10-31 15:16:45 | 日記

バラ園の定例作業日。来週は打ち上げでBBQの予定なので、作業としては今日が最後の日。

穏やかに晴れて、大天井岳や燕岳の山頂は白く雪化粧。紅葉もかなり下まで降りてきていますから、安曇野一帯もまもなく霜の季節となるのでしょう。

それでも、今年はまだバラがずいぶんきれいに咲いていて、目を楽しませてくれます。おまけに、名前のわからないキノコが続々。食べられるなら嬉しいのですが、多分ダメでしょうね。

初めの頃は2,3人でしたが、三々五々集まって結局全部で10人を超えるメンバーが集結。おしゃべり半分、園内を掃除したり、選定したり、草取りをしたりと作業半分。その後は、いつものようにお茶とお菓子を囲んでおしゃべりに花。

園内には柿の木があって、一本は干し柿にしたりアルコールで渋抜きをするとなかなか美味しい。採った柿をお土産に今年度の作業を終えました。みなさん、お疲れさま。

           

           

           

            


10月31日 首里城の焼失

2019-10-31 14:26:57 | 日記

映画でなら「首里城炎上」なんてタイトルがあるかもしれないけれど、それが現実のものとなるなんて信じられない。

今朝テレビで首里城が消失したというニュースに絶句。

沖縄戦で失われたものを復元したとはいえ、専門家の総力をあげて建設された琉球王朝時代の建物ですから、いわば沖縄戦からの立ち直りを象徴するような建物です。その地下にはまだ日本軍の地下豪が残っているのです。

上の写真はいずれも2011年に訪問した時の写真、下は正殿内部にある国王の「玉座」(御差床=うさすか)です。

            

            

沖縄三山を統一した尚巴志の子が尚布里。下の写真は、妻の実家に代々伝わる家系図で、その尚布里からはじまり妻の両親にいたるまで延々とつづいています。よくまあ、残っているもので、さすが沖縄です。妻は尚布里の時代から20代ちょっとの世代にあたるようです(公開は了解を得ていないので、問題のない最初のページしか紹介できません)。

              

             

ねずみ算よりもっと激しい幾何級数的な子孫の繁栄があったでしょうから、何だか沖縄中がその子孫のような気もしますが、いずれにしても結構な人々が琉球王朝と関係があるのは間違いない(と独り合点)。

そんな家系図をみると、余計に今回の消失がショックで悲しい。何とか知恵と力を集めて早く復元してほしいものです。


10月29日 許せない文科省の「身の丈」発言

2019-10-29 15:05:53 | 日記

こどもじゅくでも個人的にも大学受験生と接する機会の多い私としては、萩生田文科省大臣の「身の丈」発言は許しがたい。

萩生田大臣の発言は今月24日のBSフジの番組内でのこと。
2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される英語の民間試験について、「裕福な家庭の子どもが回数を受けてウォーミングアップできるというようなことがあるかもしれないが、自分の身の丈に合わせて2回をきちんと選んで頑張ってもらえれば」とのべたことを指します。

そもそも、大学入試共通テストで英語の民間試験を利用することの是非が問われます。
①それぞれの民間試験は目的も基準も異なる、②大学ごとに使用する、しないがわかれ、使用しない大学が4割におよぶ、③実施日や試験会場、実施要項が未だに不明確、④都市部でしか行われない試験もあるため居住する地域や家庭の収入などで著しい不公平が生じるなど、大きな問題点が山積みです。

にも関わらず、不公平問題について問われて次のように答えたのです(LITERAによる)。


「あの、そういう議論もね、正直あります。ありますけれど、じゃあそれ言ったら、『あいつ予備校通っててずるいよな』って言うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭が回数受けて、ウォーミングアップできるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の、あの、私は身の丈に合わせて、2回を選んで、きちんと勝負してがんばってもらえば」
「人生のうち、自分の志で1回や2回は故郷から出てね、試験を受けるとか、そういう緊張感も大事かなと思うんで」

今年6月には大学教員らが英語の民間試験の利用中止を求める請願を国会に提出し、7月にはTOEICが試験団体から撤退、9月には全国高校長協会が英語の民間利用の延期をと制度見直しを求める要望書を文科省に提出。

英語4技能検定の延期及び制度の見直しを求める要望書

高校生の切実な声を背景に提出されたこの文書の重みを萩生田大臣は一顧だにしていない。その挙げ句のこの発言ですから、もはや大臣としての資格はないというべきでしょうね。


10月29日 大事なことを忘れ始めたらアウトですね

2019-10-29 14:23:22 | 地方自治

ここ数日は、ハーブセンター問題で一定の問題提起をしようと考えて、資料集めと素案づくり、およびそのブラッシュアップに没頭していました。おかげで、土曜日にはこどもじゅくがあることをすっかり忘れ、妻に「これからこんなことがしばしば起こるから気をつけなさい」と釘を刺されてしまった。

町民の一人としては、10年前にパブリックコメントを出して以来、ハーブセンター問題というより、町づくりという視点でつねづね注意を払ってきました。バラ園もこのパブリックコメントに一つの誘因があったことは前回書いたとおり。

池田町では、ハーブセンター、美術館、創造館といった公営の施設がバブル期の終わりに続々と建設され、現在そのつけがまわってきているという状態です。

ハーブセンターというのは、当時の町長が池田町を「花とハーブの里」にするというコンセプトのもと、その「拠点施設」にするために建設したものです。この建物があるエリアは現在では道の駅になっており、県道をはさんで西側に土産物や野菜などの販売施設、東側に温室と農場、駐車場などがあります。
今から10年前に公益法人の見直しの機運の中で販売施設を指定管理制度に移行することを決め、農場も一体のものとしてある団体に管理委託しました。
その後はずっとこの団体に公募ではなく指名で管理委託してきたのですが、同じ敷地内にあるレストランと農産物加工施設に指定管理制度の導入することや農場の運営の切り離して町が直営にするという問題が浮上してきたために、来年度からあらためて管理者を公募で選定することになったのです。

指定管理に移行してから、このエリアはどうなったのか。私の提出したパブリックコメントを読み直しても、10年前と何も変わっていないのは驚くほど。

 2009年 パブリックコメント

その間、多額の公費が投入され、細々とした施策は打ち出されてはきましたが、見るべき改善点はない。その結果、またまた仕切り直しというのが、現在の「到達点」なのです。
何よりも、ハーブセンターという名前を冠しながら、販売施設は物品販売だけでハーブのセンターでは全くないし、農場もハーブのセンターとはほど遠い現状。そこに足湯を作ってみたところで、場違いな印象を与えるだけで、魅力的な場とは縁遠いエリアになってしまっています。

町はこのエリアのそれぞれの管理を指名にすると言ってみたり、議会の議論を経て指定管理にすると変わったりで方針は定まらず、町民からも疑問の声が上がっていました。
結局、販売エリアは指定管理者の公募、農場エリアは町の直営ということに現在は鳴っている様子です。

問題点はいろいろありますが、最も大きな問題は、町がこのエリアへの構想を描いておらず、場当たり的な運営になっていることでしょうね。
そもそも、過去の総括がないために、何が問題であり、それをどのように解決するのかの全体的な構想も年次計画も描けないのです。
議会でも、議員からのこの点の追及は極めて少なく、また抜本的でもありません。もっともっと具体的にデータを示して町の責任を問い、今後の展望を町民に示すことができるように努力してほしいものです。


10月26日 リンク欄をつくりたいのに

2019-10-26 11:01:18 | 日記

雨はあがったものの、曇り空で肌寒い。
これまで自分でやりたいようにホームページを作ってきましたから、このブログの自由度のなさにはいささか困っています。リンク欄を設けてそこから他のサイトに行きたいのに、それができない。また大きなデータを貼り付けたいと思ってもこれも無理。


ブログは簡易日記というだけに、書きたいことを写真や動画とともにサラリと綴っていくのには適していても、ちょっと複雑なことをやろうとすると無理ですね。

前のサイトから撤退したのは、いろいろ事情はありましたが、その1つにはhtmlの仕様がいささか古くなっていることと、スマホに対応するようにはつくっていないこと。始めた頃にはスマホなんてありませんでしたからね。

そこで、苦肉の策として、当面これまでのサーバーを「物置」にして、そこに大きなデータを置き、リンクを張る。これなら何とかしのげそう。得策とはいえませんが、もう少し研究してPCでスマホ用にページをつくることができるようになれば、もとのサーバーから発信するということも可能になるでしょう。そのときまでいのちがあるかどうか。

ところで、我がPCもこれまで何台も換えてきたために、昔のデータがどこにいったのかわからなくなったものが出てきた。

池田町ハーブセンターが指定管理制度に移行するにあたって町が意見公募したことがあり、その際に私はパブリックコメントを出したのですが、そのファイルがどうしても見つからない。

昨日から探し続けて、ようやく妻用に提供した前のメインマシンに残っていることが判明、今日そこから引き出すことができました。ちゃんとバックアップしておけばよかったのに・・・。物忘れが激しくなっています。

そのパブリックコメント、ちょうど今から10年前のものですが、いやいやなかなかスゴいことを書いていますね。これが自分かと思うほど。多少の気負いはあるものの、今読んでも色あせていません。そういえば、公募された数々の意見の中に私の意見をみつけて、「このように考えている人が池田町にいる」と驚いて私に連絡してくれ、それ以来深いつながりができた人がいたのでした。

このコメントが町によって全く顧みられなかったために、翌年仲間たちとバラ園の開設に踏み切ったという思い出の詰まった意見でもありました。いずれ紹介することもあるかもしれません。