Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

8月22日(月) 山添拓と萩生田光一

2022-08-22 15:31:16 | 日記

高速道路上での痛ましいバズ事故。亡くなられた方には心からご冥福を祈りたい。バスが中央分離帯に接触するなど、通常はあり得ないことだが、運転手の健康管理はどうなっていたのか。
15歳の少女による、理不尽な理由による殺害未遂事件。これまた、現代の子ども達の心の闇を垣間見るような事件です。被害に遭った親子の恐怖はいかばかりだっただろうかと思わずにはいられない。1日も早い恢復を願いたいものです。

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久しぶりになりました。今日は4回目のコロナ・ワクチン接種で、朝早く出かけました。それほど混んではいなかったので、約1時間ほどで終了。その後はとくに問題はないものの、しばらくはおとなしくしていようと思っています。午後からは畑に行っても構わないかな。
岸田さんも、ゴルフに出かけて、その仲間からウイルスをもらってきたのか、4回目の接種のすぐあとの発症だというから、用心に越したことはありません。

最近は、月2回の行革委員会本会議とその議事録づくり、同じく月2回の調整会議のために、何かに落ち着いて取り組むということがなかなかできず、つい問題意識も低下しがち。夕方からは畑に出かけて草取りをしてはいるものの全くはかどらず、そうこうするうちに昨夜の用に集中豪雨があったりすると、草たちはまたタップリと水分を吸収してのびのびと生育。イタチごっこもここまでくるともうウンザリです。

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次は、3日前(8月19日)に国会議員会館前で開かれた、安倍元首相国葬反対等を掲げた「8・19国会議員会館前行動」での山添拓参議院議員のスピーチです。言語明瞭、論旨明快、ものごとの本質を的確に取り出して、国民の多くが心の中で思っていることを言葉にして伝えてくれる希有な政治家の一人です。頼もしい。

山添拓議員のスピーチ

自民党のみなさんは話をしてほしいと言われたら、そんなにホイホイどこでも出かけていくんでしょうか。それなら皆さん、いま一番話をしなければいけないのは、国会を開いて国民に対して説明するということじゃないでしょうか。国会を開かずに、安倍元首相の国葬は粛々と強行していく、許されるはずがありません。
ウソとごまかしを重ね、政治を私物化し、立憲主義も民主主義も壊し、戦争する国づくりを進めてきたその政治まで美化し礼賛するかのような、そして弔いの意思を事実上強制してしまうような国葬を行うことは、やっぱり許してはいけないんじゃないでしょうか。・・・皆さん、声を上げることが必要だと思います。

さて、次は、統一協会が自民党幹部とどのように深くむずび付いていたかを示す戦慄すべき記録。自民党政調会長に就任した萩生田氏が旧統一協会八王子教会でどんな話をしていたかを暴露した元信者の証言です。(TBS 報道特集)
TBS報道特集を担当している金平キャスターの毅然とした姿勢には頭が下がる。これを含む8月20日当日の報道はTVerでも見ることができます。

自民党が政権取らないと、日本がもう滅ぶ的な話は、神様の計画で自民党が担っているみたいな感じで、それは教会長的な方が言うのですけれど。(萩生田氏は)それに便乗して、あなたたちの信仰で、日本の未来がかかっているから死ぬ気でこの自民党を復活させてほしいだとか、自民党を応援してほしいと言われていた。萩生田さんはその『ご父母様』と言うのですけれど、教祖のこと。私(萩生田氏)もご父母様の願いを果たせるように頑張るから、皆さんも一緒に頑張りましょう。一緒に日本を神様の国にしましょうみたいな、そういう風に言っているから、萩生田議員が政界に必要だと(信者は)思っている。そうやって言ってくれるから。自民党を応援するっていうよりは、神様の計画を達成するためにやりますという教会員が多かった。教会員はそのためにやっていたと思います。

萩生田氏自身は否定しているが、選挙応援に携わっていた何人もの元信者の証言もあるので、どんなに否定しようが、「一緒に神様の国にしましょう」と何の苦もなく言ってのけるその心性は、信者でないのだとすれば、もはや自己の目的(選挙、政策など)のためには手段を選ばない、安倍元首相と全く同類の倫理喪失状態以外の何ものでもないといえます。もちろん手段を選ばないだけではなく、反社会的カルト集団にいいように利用され、「神の国」への広告塔にされていることへの何らの自覚もためらいもない、いわば「共生関係」にあるわけですから、どちらかを切れば血を見ずには済まない。それが、ぶら下がり会見でも「手を切る」ではなく「適切に対応する」発言となった背景でしょう。

権力との政治的距離を縮めたNHKがまともな報道姿勢を放棄してしまった以上、権力の監視の役割を務めるのは誰なのか。
毎日新聞は、岸田政権の支持率が40%を切ったことを報じていましたが、では支持政党となるとどうか。統一協会とのつながりが立憲民主党にもおよび、野党共闘に対して公党としての約束事も守れないのでは、政権の受け皿もないわけですから、結局は権力を持つ政党に国民の意識をつなぎ止め、維新や参政等などというポピュリズム政党に目を奪われる現象を生み出す。これでは、現在の日本沈没の勢いは続き、「戦争」が国民の意識そらし、軍事による利益獲得を狙った唯一の解決策として現出する時期は遠くないように思えます。


8月15日(月) 父たちのアルバム

2022-08-15 22:02:29 | 日記

叔母の家の片付けをしているとき、膨大な写真帳などがそのままになっているのを見つけ、一抹の寂しさを感じてそのうちのいくつかを持ち帰りました。何人もの私の従兄弟、従姉妹たちが、この部屋を訪れて、これらの写真集を見ているだろうに、父母の生きた時代の姿などはもう関心の外ということなのか。

それらの一部が、上のかなりすり切れた古いアルバムです。右下が私の父の呉海兵団電練候補修業記念。その上が父の兄の呉海兵団四等航空兵修業記念。左が多分、祖父母が綴じた息子たちの写真です。
父の2人の兄は航空兵として出撃(おそらく)して戦死、生きた日の記憶を忘れないように祖父母が大事にとっておいたものでしょう。すべて戦争中の写真ばかりです。

父に連れられて祖父母の家に行った折、壁面には戦死した2人の写真が飾られてはいたものの、当然ながら私が生まれる前に戦死しているわけですから、写真でそんな伯父がいたことを知るのみ。

電練候補修業記念のアルバムの各ページの挿入紙には、次のような文字が躍る。
「見よ多くの中より選ばれた男の中の男、神州男子を陛下の股肱として召し出される栄誉に対し、我等の責務は重い」
「今や北中南支に我が先輩は新東亜建設に、破竹の進撃である。酷寒何者ぞ!先輩の武勲に遅れを取るものか、忠に凝り勇む我等敢へて水火も辞せず」

父がこの電練候補生になったのは昭和(1939)14年1月。父の誕生日は大正7年1月1日でしたから、このとき21歳だったはず。当時は日本の軍部が1937年の盧溝橋事件を口実に増派を決定、次々と戦火を中国各地に拡大、すでにこの年の半ばには上海での武力衝突があり、それを機に日中全面戦争に突入していきます。この年の終わりには、競って南京への侵略の手を伸ばし、悪名高い南京事件を引き起こします。1938年の終わりに、近衛首相は、これまた侵略合理化の身勝手な理屈「東亜新秩序声明」(=日本の目的は「東亜永遠の安定を確保すべき新秩序の建設に在り」)をつけて、さらに戦火を中国全土に広げ、泥沼の戦争状態に入っていきます。

先のアルバムの記述はそうした中国全土での抜き差しならない日中戦争の中で、訓練生達がどのような「教育」を受けていたのかを知るよい材料です。

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例の田母神俊雄元「第29代航空幕僚長」様は、ツイッターでこんなことを書いている。

日本はやらなくてもいい戦争、負けるとわかっていた戦争をした、中国大陸、朝鮮半島、東南アジアを侵略したとか、毎年8月15日が近づくとマスコミの日本批判が始まる。これらは嘘だ。日本のせいで戦争になったのではない。アジア諸国と戦ったのではない。これらを植民地にしていた白人国家と戦ったのだ

このお方は、私より2歳年下ですが、頭全体に戦前の軍部の情報のみをインプットされているらしく、史実とは正反対のデマを書き散らしている。歴史修正ではなく、完全な歴史否定、歴史ねつ造です。

まあ、鬱憤晴らしに書いている程度なら可愛いが、このような人でも利用価値があると思う方々が多いこの国では、便利な存在なのでしょうね。利用価値を見いだしている方々は、日本の民衆から収奪した金を韓国に貢いでいる団体でも、「勝共」「当選」のためならズブズブになっていくという議員たちでしょうから、そのレベルは推して知るべし。

このお方(名前を出すことすら憚られるが)を反面教師に、科学的・批判的に物事を見ること、歴史的・実証的に物事を見ることを忘れなければ、知性の劣化を防ぐことは出来ると思うのですが、どうでしょう。


8月13日(土) 盆の入り

2022-08-13 21:03:35 | 日記

子どもの頃、お盆といえば、まず13日の夕刻、小川にかかった橋の上に行き、木の削りくず(カンナくず」)を木枠で囲った約1メートルほどの招来棒(簡単なイラストを描いてみた)に火をつけ、「おしょうらい、おしょうらい」とかけ声を掛けながら振り回すというイベントが必ずありました。

Youtubeを検索してみると、富山での上記のような風習がまだ残っているらしいことがわかりました。迎え火の招来棒は、私の子どもの頃よりは随分とスリムになって、詰め物も細かい材質のものになっているようでした。

Youtube「お盆の迎え火 おしょうらい特集」

その土地その土地で、お先祖様の霊を呼ぶ習わしはいろいろなのでしょうが、火が用いられるのはおそらく共通なのではないでしょうか。不思議ですね。

こちらでは、お墓または玄関先で樺の皮を焼くという習わしがあるらしい。お店にはクルクル巻いた小さい樺の皮が売られていますから、結構まだのこっているのでしょうか。そういえば、草取りをしている最中、3年前に連れ合いを亡くされたすぐ近くの方が子どもを連れて、至近距離にあるお寺に「お迎えに行く」と言っていました。手にしていたのは樺だったのだろうか。、

わが家では、さすがに招来棒も樺の皮もなし。縁者の写真を並べてお供え物をし、帰省している長男と3人でお参りをしました。今年からは、ハルちゃんも仲間入り。どんどん増えていくのを見ながら、長男に、「今度は我々がここに飾られるから、よろしく」と伝えておきました。

朝は台風の影響か、雨がかなり降っていたけれど、午後になって晴れてきたので、3人で庭の草取り。ずっと気になりながらも出来なかったので、何とか南側だけはやっつけてサッパリしました。まだ玄関先から西側はドクダミの巣窟なので、除草剤で一気に退治しようと作戦を練っているところ。

畑仕事がなければ、隣のお家のように、1日庭仕事に精を出せるのでしょうが、ついつい農作業に色気が出てしまい、わが家のことは後回しに。気がつくと、お化け屋敷のようになっているという始末です。
悪循環をどう断つかは、先日書きましたから、ここでは省略。


8月8日(月) 人生、変わり目が大事

2022-08-08 14:38:43 | 日記

私も妻も、新型コロナでは外出制限を余儀なくされたものの、約10日経って二人とも何ともなく、妻は今日午前中はボーリングに、私は健康診断の結果を聞きに外出しました。
検診の結果は、本来なら1日に設定されたいたのですが、思わぬコロナ禍に巻き込まれて一週間延ばしになっていたもの。会場の保健センターに行くと、第4回目の接種で沢山の高齢者が集まっていました。
私は別会場で、担当者から説明を受けました。結果からいえば、蛋白質の消化能力に衰えがあるので、発酵食品をよく摂取するとよいというアドバイスのみ。あとは、これまでとほとんど変わっていないということで、まずは一安心。

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ブログの更新を怠っていたために、MNEMOさんからも「無事を確認できてよかった」とのコメントを頂き、全く恐縮しています。
今なお、ここに書くべきことが一体あるのかどうか、大いに迷っているのでありまして、そうこうしているうちに時間が経ってしまっているという状態なのです。

考えて見ると、月2回の行革委員会、同じだけの運営部会があり、委員会の場合は、直後から3,4日は議事録のための集中的な作業があり、加えてニュース作成などの事務作業が付いてくる。
最近の議論も、公共施設のあり方を検討するという、どちらかというと地味な話なので、行政の批判というより、よりよい方向を提示するという作業に傾いています。
勢い、論点を巡って何かを論じることもなく、淡々と毎日が過ぎて行き、最近の政治、経済の話題も単なる話題に過ぎなくなっている。数年間通っていた子ども塾も、行革委員会とバッティングすることが多く、全くご無沙汰。そんな状態なのです。

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様々な人々との結び付きが弱まると、何かをやろうとする意欲も衰え、勢い物事を考えることが少なくなる。
もちろん、考えていないわけではなく、多様な情報が頭の中を駆け回ってはいるのです。ウクライナの情勢も、台湾を巡る米中の対立も、保守右翼陣営と統一協会との癒着の関係も、核兵器禁止条約を巡る問題も、気候変動問題と最近の豪雨災害のことも、勿論沖縄のことも・・・気になることは山積みです。

一方で、次のような身の回りの問題がある。例えば、こんなことです。
畑を拡大し過ぎたことはこれまでも書いてきましたが、そのあおりを食って、わが家の庭は荒れ放題。どうしても後回しになってしまうのです。
それを解決するには、畑を極端に縮小して、こまめに手入れができるようにするか、または、根本的に庭を改造して、出来るだけ手入れをしなくても済むようにするか、そのどちらかです。
年々体力の衰えを実感するようになるわけですから、やはり「撤退」を視野に入れた方策を採るのが正しい。現在はそう思って、策を練っているわけです。

そんなことは、あくまで頭の中の問題ですから、このブログにあれこれ書く必要もない。やはり、気持ちだけが先に進んで、なかなか筆が進まないということになる。

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「撤退」というと、どこかマイナスのイメージがありますけれど、私の思いは戦略的撤退であり、決して後ろ向きで敗北的なものではありません。ある部分では、よりアグレッシブな生活を築くために、総体として生活を整理縮小し、簡素化し、空いた時間をより有効に、年相応に使おうというものです。断捨離もその一環です。ある意味では、最後の脱皮ですかね。おそらく、現在はその変わり目にいるのではないか。むしろ、その変わり目をうまく乗り越えることが大事ではないのか。そんな気がしています。

新たなことにも挑戦してみたい。その意味ではやる気十分なのです。
まあ、このブログ、あまり更新しなくても、気にせず、たまにのぞいて見て、何か書いてあれば無事でいるのだなと思って頂けると有り難いですね。

人生まだまだです。これからです。


8月3日(水) 撤退論

2022-08-03 09:08:23 | 日記

しばらくご無沙汰でした。
何かあったのではと思われた方もあったかもしれませんが、頭の中はともかく、健康状態は至って良好です。忙しすぎと暑さのせいで、なかなか近況報告もできない状態でした。

まず、最近では、コロナの濃厚接触者となり、一週間ほど自宅軟禁状態になっておりました。とくに何か症状が疑われるわけでもなかったので、畑に出かけて化け物のような夏草の茂みと格闘。帰るともう暑さでぐったり、頭の中は当然空っぽです。

行革委員会では、何となく便利屋的な役割を担わされて、議事録の原稿作成やらニュース原稿の作成まで、次々と仕事が押し寄せてきます。これは、公募委員に立候補した以上、やれるだけのことをやるというのは当然なので、あとしばらく我慢することにしましょう。

相続関係では、2日に土地代金が振り込まれ、1月以来の懸案にようやく決着がつきました。2日に不動産屋が池田町を訪問、銀行で振り込みの確認と、経費などの振り込みを行う約束だったのですが、コロナ騒ぎで実現できず、すべて電話で処理。領収書を送って一件落着となりました。
もっとも、税金対策が残っています。これは年度末に向けての仕事になるので、ほんのしばらくの間、「大金」を銀行口座で眠らせておきます。ここから諸経費を差し引き、相続人で分割すれば、一人当りの相続はわずかなもの。
それでも、三回忌を迎える故人に感謝しつつ、有効に使わせていただくことにします。

最後に、畑仕事ですが、例年とは様変わり。暑さのために、日中は全く仕事になりません。時々豪雨になり、湿度と高温で、一部の野菜(カボチャ、トウモロコシ)はほとんど全滅。草の勢いが例年とは比べものにならないほど強いので、草刈りをしても1週間もたてばもとに戻ってしまう。そのために、地面からあまり高くならない野菜類は埋もれてしまって、どこにあるのか分からない状態に。イチゴの苗などは、悲惨な状態になって、昨日ようやく150株ほどの苗をポットに移して、自宅に避難させました。

いろいろともっとやりたいことはあるのだけれど、体力も相当に落ちてきているし、時間にも限界がある。気候変動の影響もあるし、妻の労働力はほとんど期待できないので、来年は1日の仕事量も考えて、必要最小限に縮小しないといけません。
撤退戦略というのは決してマイナス思考ではない。元気なうちに攻勢的に撤退する、これって大変重要なことですよね。
撤退の時期と戦略を間違えると、どんなに上手に作戦を立てても、結局はどれもうまくいかないし、手痛い打撃を受けることになる。旧日本軍と一緒ってことです。

内田樹編「撤退論」、参考になるのかな。