Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

12月31日(金) 1年を終えるにあたって

2021-12-31 21:52:55 | 日記

今年も残すところあと2、3時間。とはいえ、特別の感慨があるわけではありません。普通に暮らし、普通に去って行く1日。それでも、この1年はと聞かれれば、何と言ってもハルとの別れが辛かったと答えるでしょう。彼は私の分身だったのかもしれない。

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現在は、2年ぶりに息子だけが帰省。連れ合いと孫はどちらも受験生なので、正月返上で勉強中とのこと。
娘の家族は、北陸地方の大雪のため、こちらにくるのを2日に延期になってしまいました。

相当強い寒気のために、池田も数センチの積雪です。ほとんど北アルプスから漏れてくるという降り方なので、それほど積もらないけれど、気温が低いために道路は真っ白。外に出ることもなので、明日からの2、3日は閉じこもりの正月になりそうです。

今日は朝5時に松川村の道の駅まで、バスでこちらに来る息子を迎えに。その後、また一眠りして、午後からは正月の料理。私の担当は、恒例のお煮染めと白あえづくり。あとは、ポップコーンを大量に作って、おやつに。
年末年始は、とくに家族そろってテレビを見たり談笑したりということもありません。ま、飲まないことがその大きな理由かもしれませんね。妻も相手がいないので不満そうです。娘の家族が来るとそうでもないので、2日の夜は賑やかになるでしょう。

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これは、先日友人が沖縄から送ってくれた地元紙の一面トップ。全国紙でも報じられましたが、沖縄では他人事ではないだけに、危機感が違います。

台湾有事の際に、沖縄本島を含む島嶼部に、米軍の臨時の攻撃用軍事拠点を置くという計画で、作業開始にむけて日米で協議に入るというニュースです。要するに自衛隊基地を日米共同作戦の基地として提供しようとするもので、まさしく日本もその当事者となる戦争遂行計画に他なりません。この計画では「南西諸島」が軍事展開の拠点とされていますが、ここだけに留まるわけではないことは明らかで、日本本土全体が日米共同作戦の基地として自動的に軍事攻撃に組み込まれ、島嶼部はいわば本土の盾、捨て石として利用されるというものです。

庶民感覚で常識的に考えれば誰も戦争をしたいなどとは絶対に言わないし、実際したいわけではない。しかし、過去の歴史を見れば分かるとおり、軍事産業を中心に戦争をしたがる連中というのは必ずいて、分厚く幅広い利権の網の目をつくっている。多くの人々がそれに絡め取られている。日本の場合は、それに輪をかけてあの戦争から教訓を何も汲まず、パワーバランスのみにとらわれて、平和的・外交的手段で包括的な非戦の体制をつくろうなどとは考え得ない連中が土中から湧き出てくるゾンビのようにいたるところに繁殖している。
このゾンビは、普通の人と変わらない姿格好をしているものだから、心優しい人々は、決して悪いことをするなどとはつゆ疑わない。そして、気がついたときには後戻りできないところに連れ去れて途方に暮れる。

歴史を教えず、歴史から学ばず、世界の本流がなんであるのかを知ることもできないとすれば、この国の行く末は、あの戦争よりももっと悲惨な結末を迎えることになるでしょう。
私などは、その悲惨な結末よりもっと前にこの世からおさらばすることになるでしょうから、あの世からその姿に心を痛めることはあっても、自らに降りかかることはない。しかし、まだまだ未来のある若い世代はそうはいかない。ある意味で、自ら責任を負わなければならないことになる。

なぜ、あのとき自分はそのことに気がつかなかったのか、なぜ声を上げなかったのか。戦前とは訳が違います。情報はあふれ、警告もそうさせないための運動もあったはず。大人達は何をしていたのか、などというのは自分が何もしなかったことを免罪する口実に過ぎない。

私は年賀状にも書きましたが、2022年は、おそらくこれまでの世とこれからの世を分ける最大の分岐点になるのではないかと思われます。
今日の信濃毎日のコラムに、故中村哲さんのある言葉が紹介されていました。

憲法を100年生かせば、世界がその良さを認める。

コラムはこれを受けて、「国会が改憲の歩みを速めようとしている。学ばねば」と書いていました。学ぶだけでは足りません。考え、そしてどう行動するかでしょう。中村さんがやったように誰でも出来るわけではないけれど、自分にできる最大限のことをやろうとすれば、おそらく「なぜ、あのとき」という悔いは少なくとも軽減はされるはずです。


12月27日(月) 寒さがこたえる1日

2021-12-27 23:36:17 | 日記

今朝はマイナス10度くらいになったのだろうか、とにかくみな凍り付いています。日本海側は大変な雪のようですが、幸い池田町はうっすらと雪がある程度で、北アルプスがブロックしてくれていることがよくわかります。

昨日まで、木曜日の会議の文字起こしをしていて、午後には役場にゲラを送付。これまでで最速でした。事務局にも、速攻で委員に校正を依頼してほしいと頼んでおいたら、今日夕方には全員に届いていました。余りの速さにみんなビックリしたんではないでしょうか。集中すれば、このくらい迅速に仕事ができるということです。

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朝、知人から電話で起こされ、パソコン修理に出かけたのが1日の始まり。プリンターを買いにでかけて年賀状を印刷、その後、家の片付けに取りかかり、「断捨離」の第1歩。途中、資本論の勉強会があるはずなので、出かけてみると誰もいない。私ともう一人が休みになっていたことを知らず(連絡がなかった)、空振りで舞い戻り、少しおしゃべりをして帰り、また片付け。午後11時少し前に、ようやく一段落しました。一体1日何をしていたのでしょうか。訳の分からない1日でした。

10年近くの間、戸棚の中に何でも詰め込んでそのままにしていたものを出してみると、結局ゴミの山。よくまあ、ため込んだものだと感心します。今日の分はまだ氷山の一角。いつ何があってもいいように、身辺整理をしっかりしておかなければと思うこの頃。とはいえ、捨てられずまたしまい込んでしまうものもあり、2,3年後にはもう一度、今度は心を鬼にして捨てなければなりませんね。

何が残るかというと、本とパソコン。パソコンの周辺機器が中心です。何もならないのに、いつか何かに役に立つのではないかという淡い期待・・・というか、着慣れた服みたいなもので、自分の過去がしみこんでいるのです。
この頃ようやく20年前のマックと手を切れそう。プリンターがほとんど役に立たなくなってしまい、マシンを起動するだけでは役に立たないことになったからです。

あと数日。バタバタと日が過ぎて行きそうです。


12月24日(金) 町長の財政運営に関する問題提起

2021-12-24 23:21:26 | 池田町行財政改革委員会2021

昨日の行財政改革推進委員会で、議事の終わり、5時に近くなってからですが、私からの問題提起を行うために多少時間をとってもらいました。
問題提起とは、12月議会一般質問(13日、14日)で町長が述べた「池田町は財政の危機的状況は脱した」発言に対する見解を委員会に示し、委員会としての共同のアクションを求めたものです。次のとおりです。

問題提起 町長の議会答弁の意味するもの 

合わせて、私とMさんの2人政策による財政チラシ第2号も参考資料として配付しました。

これは、署名を消してありますので、町民向けに自由に使って頂いて構いません。

問題提起の内容は、この文書で全てを尽くしていますし、ブログでは12月15日にその概要は記していますから、詳しくはここでは書きません。

しかし、町のリーダーである町長の認識がなぜここまで狂ってしまっているのか。多分、虚心坦懐に物事を見ることが出来る人ならば、こんな認識には絶対にならない。だとすれば、場合によっては、この町には近い将来、もっと別の重大な問題が発生する危険がある。そんな予感がします。もちろん財政問題が中心ですが、町の職員の間でののっぴきならない問題が発生してもおかしくありません。町民との深刻なトラブルもあり得る。
財政のかじ取りの誤りは、どれほど大きな問題に発展するものか、トップには何も分かっていないのでしょう。
本当に心配です。


12月24日(金) クリスマス・イヴと文字起こし

2021-12-24 23:00:22 | 日記

妻が、夕食にちらし寿司をつくってくれました。「私ビールを飲むわ」と大きな缶をあけて美味そうに飲んでいました。そういえば、クリスマス・イヴだった。

いまから70年ほど前、私の父母は眠りについた私や弟妹の枕元に、ボロい毛糸の靴下にお菓子や小学○○年生という雑誌を置いてくれたものでした。どこにそれを隠したものか、苦労したという話を、大きくなってから聞かされたものでした。

今では、靴下にも入らない豪華なプレゼントに変わっているのかもしれませんが、私には敗戦から10年も経たない日常に、サンタの贈り物があったという不思議が今にして実に驚くべきことだったように思えてなりません。鬼畜米英から10年、激変があったとはいえ、当時の社会はその片鱗さえ残さず、子ども達もまたそれに何の違和感もなく、本当に普通の生活の一コマだったのですから。
父母の願いが、70年を経て、私の中に息づき、よみがえってくるのを感じています。

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さて、私は昨日の行革委員会の文字起こしをやっている最中で、長く画面に向かっていて、目がおかしくなって困っています。どうやら効き目だけで文字を見ているからなのでしょう。来年度予算の査定の時期で、多忙を極める役場担当課のみなさんを思えば、多少は手伝いもしなければと再開したのです。

約4時間の会議の文字起こしをするというのは並大抵のことではありません。はっきりくっきり発言している人だけならいいのですが、だいたい日本人のしゃべり言葉というのは、曖昧、飛躍、ぶつ切りが特徴で、しかも大きく口を開けないので、聞き取ることは至難の業なのです。何度もやっていて、慣れているとはいえ、1日1時間分くらいのペースでも相当に神経を使います。
発言を曲解したり歪曲したりするわけにはいかない、しかも、そのままを収録しても何を言っているのかがわからない。やったことがある人でなければ分からないでしょうね。

英語圏や他の言語では、どうなのでしょうか。
日本人の通常の会話では、かなり訓練されている人(アナウンサーなど)でも、普段の会話になるとやはり違っているものなのか。

どのように他人に話をするのかは、私の若い頃からの1つの大きな悩みでした。ときどき、頭が真っ白になって、何を言いたかったのか全く思い出せなくなってしまうこともしばしば。これは大変な緊張です。
とにかく、自分で自分の言っていることに納得できなくて自己嫌悪に陥るのです。人に話をする場合に、それを録音してあとから聞いてみるのが一番です。

あるときから、私が自分に課したのは、発言するときは必ず要点や柱立てを紙に書いておくということでした。第1は~~、第2は~~というように。すると安心して話をすることができます。要は柱立てができているということです。
しかし、実際には、いま文字起こしをやりながら自分の発言を聞いていても、そのまま文章にはできない。話し言葉と書き言葉の違いを考慮してもです。

ところが、世の中には、原稿を見ずに話したことをそのまま文字にしても十分に通用する、そんな話し方ができる人がいるんですね。若い頃に、たった1人だけですが、そんな人に出会った衝撃を今でも忘れることができません。日本語の性格の問題ではない、ということなのか。主語、述語の関係などといった文章の成り立ちの問題とも関係がないのか。

作文をそのまま読んでも、感動を伝えることはできない。話し言葉には、話し言葉の語順やイントネーション、強調、省略などのポイントがあるわけで、それが相手の言語や感情の世界と共振したときに感動を与えるのでしょう。そんなテクニックは何度生まれ変わっても身につけることはできないとは思うものの、自分の考えを相手に正確に伝える努力だけは続けたいと願う。これなら訓練によって、磨くことができるからです。

とはいえ、これから何回も行われる行革委員会で、私も発言を続けなければならない。臨機応変に議事に切り込まなければならないので、準備が大変です。その際に私が心がけていることは1つ。「文字にしたときに、ちゃんと文章になっているかどうか」。毎回、これが試されているのです。エライことです。


12月23日(木) 行財政改革推進委員会の存在意義が問われている

2021-12-23 12:05:13 | 日記

知人から、池田町のホームページに「まちづくり懇談会」のまとめがアップされたから見て欲しいという電話がありました。
その方や私が発言した最もかんじんな部分がすべてネグレクトされているという指摘でした。

見てみると、確かにアップされ、「意見」と「回答」が載せてはあったものの、「かんじんな部分」がやはりほとんど抜け落ちていましたね。
この懇談会は、来年度の予算編成にあたっての町長の方針説明と、改訂された財政シミュレーションの説明が中心の話題であるため、当然現在問題となっている財政状況に対する質問や回答が主なものになるはずでした。

ところが、補足的に説明された「会染西部ほ場整備非農用地」の活用についての質問と回答が異様に多い。財政については、職員給与の削減に対する質問と回答が散見される程度で、財政危機に対する認識、経常経費の削減が急務であることの指摘などは一切無視されています。私の質問も町長の回答もものすごく簡略化され、たいしたことがないように触れられていました。

改めて、私の質問と町長の回答をリンクしておきます。
私の質問で、最も重要な点は、財政危機に対する認識を問うたのに対して、「表向き財政危機は脱したと感じている」という町長発言でした。ここでは根拠は明確に示しませんでしたが、後に議会において、その根拠を6点挙げたことはすでに触れたとおりです。

さて、一体なぜこのようなことになったのか。理由ははっきりしています。
1つは、都合の悪いことは極力町民の目から遠ざけたいという意識的あるいは無意識的な行政の保身が働いたこと。
2つは、何がこの懇談会の目的であり焦点は何かを事務局が捉えていないこと。
3つは、それらの背景に、現在の財政状況が一年前よりははるかに改善し、町長発言と同じ「もはや危機的状況ではない」という認識になってしまっていること。

事務局は、「いやいや、基本部分は載せてあるじゃないか」と言うかもしれませんね。しかし、全体をよく見てほしい。整理も何もなく、ただ意見が羅列されているだけで、この懇談会が何のために開かれ、どんな問題点が指摘され、どう町が答えたかが何も浮かんでこないではありませんか。ただ、意見を羅列すれば報告になると本気で考えているなら、それは行政の怠慢です。

私は、今日開かれる行財政改革委員会で、ある問題提起をしようと文書をつくり、すでに他の委員に送付してあります。
その中身の中心は、町長の「財政危機は脱した」発言にあります。

もし、危機を脱したという認識に立てば、第1に、委員会の「財政危機の最中にある、非常事態である」という認識と真っ向から対立します。第2に、昨年度町がそのような認識に立ち、議会でのやりとりもあって設置された行財政改革推進委員会も同様に認識に立って議論を始めたわけですから、その議論の前提が崩れることになります。つまり、平常時に移行したわけですから、委員会の任務は終了したということになってしまいます。
議論の前提がない以上、さらに何を議論するのか、私にはまるでわかりません。

町長がそのような認識に立つのであれば、今次委員会は第1次、もしくは第2次答申をもって解散し、改めて町長の現在の認識にもとづく委員会を立ち上げ、答申を求めるべきでしょう。
そのくらいの大きな問題だと言うことに気がついているのか、いないのか。