Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

6月24日(月) ホタルの季節

2024-06-24 21:06:01 | 日記

朝はそうでもなかったけれど、昼前から湿度が高く蒸し暑い1日。多分33度くらいになったのでは?
午前中は、「未来を考える会」として新町長との懇談会。町政をめぐるさまざまな問題について、率直な意見交換を行いました。
過去の二人の町長とは異なって、議員時代から災害支援をはじめ、様々な課題でいっしょに取り組んできた経過もありますから、私たちの意見を聞く姿勢は前向きで、今後も話し合いを続けていくことになりました。

多少気温が下がった夕方、1時間ほど家の前の法面の草刈り。今日で3日目です。前は2日ほどで終わっていたのに、体力が落ちているせいか3日かかってもまだ終わらない。あと少しなんだけど。

夜暗くなってから、外に出てみたら、用水路脇でホタルが2匹ピカピカしていた。引き返そうとしたら、わが家の庭先を風に乗って素早い動きでもう1匹飛んでいた。これから10日ほど、ホタルの季節です。歩いて5分ほどの水路でホタルを育てているので、観光客が沢山やってきますが、わが家の前ではそこから遠征してくるホタルたちがいつも数匹から10匹ほど見られるので、わざわざ隣の集落までいく必要がない。わが家のすぐ前の道を挟んだベンチに腰を掛けてゆっくりホタルの観賞ができます。

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昨日は、沖縄慰霊の日。記念式典を中継で見ていましたが、言っていることとやっていることが正反対ですから、岸田の挨拶の何と空々しいこと。
沖縄2紙や地方紙では、近年の基地強化、ミサイル配備など軍備増強が県民の戦争への不安をかき立てていると書いておりました。確かに沖縄戦を体験したり親から戦争の悲惨さを聞き取っている世代であれば、迫り来る戦争を実感できるのかもしれませんけれど、政府の中国・北挑戦脅威論の前では、県議選の結果に見るように若い世代や40代、50代ともなれば政治選択はかなりねじれている。
基地機能の強化や敵国を攻撃できるミサイル基地などを容認している訳ではないのでしょうが、政党選択となれば本土資本と結託している企業の影響は決して無視できないし、辺野古新基地建設をめぐっても法的にも負け続けている敗北感が沈殿しているように思えてなりません。

戦争は平時に周到に準備され、気がついたときにはもう引き返すことができないし、軍隊は住民を守らないという歴史の教訓を繰り返し学び直し、草の根からの反戦・非戦の運動を広げていくしかないのでしょう。諦めない不屈のたたかいの中から、瀬長亀次郎や阿波根昌鴻のようなリーダーを生み出していく。これまた歴史が教えることです。


6月22日(土) 入梅

2024-06-22 21:45:16 | 日記

予報通り、夜9時近くから小雨が降り始めた。入梅宣言も出たようだし、鬱陶しい日が続くのだろうか。雨ともなれば畑仕事はお休みになるので、多少無理して雑草取りをし、新たな畝を起こして大きくなったレタス苗を40株植え込みました。

さらに、友人から依頼されたバジルなどの苗も植えて、これでほぼ植え付けはすべて完了。今日は友人がマルチがけや植え付けに協力してくれて随分助かりました。ありがとうございました。

あとは、収穫にむけて、ツルを支柱に結わえたり、脇目を摘んだりする作業のみ。キュウリやピーマン、インゲンなどは毎日みないとアッという間にお化けになってしまいます。トマトがそろそろ色づき始めたので初物が楽しみです。

終日の労働で相当に腰に負担がかかり、今日はさすがに疲れた。風呂に入って少し横になってみたものの、あまり疲れは取れていないみたい。明日はゆっくり休養をとることにしましょう。
かなり激しい労働をしていても、立っているうちはあまり膝の痛みは感じないんですね。ところが、夜横になると途端に痛みが出てくるので本当にやっかいです。手術でよくなってくれるといいのですが。

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明日は沖縄の慰霊の日。政府・沖縄省は、沖縄南部の遺骨混じりの土砂を辺野古の埋め立てに使う計画を捨ててはいません。遺骨収集を続けて来たガマフヤーの代表・具志堅隆松さんを始めとする3名が「沖縄南部地区の遺骨混りの土砂で基地を造るな!」と訴えてハンガーストライキに突入したことが北上田さんのブログに載っていました。
20日から22日までは県庁前で、明日23日は平和祈念公園で続けるのだそう。写真は北上田さんのブログより。

こちらが入梅となれば、沖縄は梅雨明け。それを待っていたように、今日は沖縄の妻の友人から大きなパイナップルが届きました。7月に入ればパイナップルに加えてマンゴーの季節。
暑い日が続きますけれど、美味しいものが沢山あるので、また夏に行ってみたいなあ。

早速、収穫した野菜とパイナップルを息子や娘に発送しました。お裾分けです。


6月21日(金) 子どものころに憧れたスイス・アルプス

2024-06-21 22:33:50 | 日記

私が中学生の頃の憧れはスイス・アルプスの山々とその麓の美しい景観でした。
それは、父に連れられて中1から毎年北アルプス登山に出かけていた影響もあったのだろうし、当時父が読んでいた唯一の雑誌である山岳雑誌に載っていた写真の影響もあったのでしょう。
マッターホルン、モンブラン、ユングフラウ、アイガーなどの山々の写真は、幼い私の胸を熱くし、それらを集めたり穴の開くほど眺め、そして、いつか必ずアルプスを訪れると誓ったものでした。なぜこれほどまで夢中になれたのか、今にして思えば不思議なほどです。

つい先日、NHKBSで2回連続で、「体感!夏のスイス・アルプス」(再放送)が放映されました。
グリンデルワルトからアイガー、メンヒ、ユングフラウ3山とアレッチ氷河を望むという超有名な場所。2001年には世界遺産に登録され、観光客も多いところです。
映像を見ながら、子どもの頃に夢中になった理由が分かった気がしましたよ。この世にこれくらい美しいところが他にあるかと目を疑うような絶景がこれでもかと眼前に広がるんですから。

実は、1988年の夏に、私はこの同じ場所に旅行で行ったことがあるのです。
しかしですね、行ったことは覚えているんですが、頭を振っても、登山電車の窓からの村々や牧場の景色、アイガー北壁、ユングフラウ・ヨッホ山頂から見たアレッチ氷河というくらいしか出てこないのです。当時の写真を探したのですが、これまた散逸して一部しか見つかりませんでした。当時から、今みたいに記録し整理しておく習慣でもあったならば、もっと鮮烈に記憶していたはずなのにと悔やまれます。

それでも、上に上げたいくつかの景観は強烈で、NHKの番組の映像の助けを借りて、頭に埋もれていた記憶を少しは復活させることができたように思えます。この番組をみながら、子どもの頃の憧憬、若い頃の旅行などをつい思い出してしまったのでした。(写真上から、①グリンデルワルトからヴェッターホルンを望む、②ラウターブルンネン渓谷、③グリンデルワルトから見たアイガー北壁、④ユングフラウ山頂から見下ろすアレッチ氷河=若い私が邪魔です)

番組では、アレッチ氷河が1年で数メートルも薄くなり、今世紀末には完全に消滅してしまうのではないかというガイドの話がありました。北極や南極の氷が地球環境の変化=気温上昇によって急速に融けている話はよく話題に上りますが、厚さ300メートル(最大900メートル)全長20キロというアルプス最大の氷河が、急速に融けて後退していることは、日常あまり話題とはならない。
地球上の様々な美しい景観は、ひとりスイスの人々だけのものではなく、地球上に住むすべての人間の貴重な財産なのですから、これから何世紀にもわたって残していく手立てを本気で考えなければならないと、多分誰しもが思うでしょうが、さて、その手立てとは。


6月18日(火) 破戒

2024-06-18 20:41:47 | 日記

先日、大町のツタヤに入る機会があって、店内を見渡すと数年前までDVDや音楽CDなどが並んでいた広いコーナーはすでになく、100円ショップのコーナーに替わっていました。とっくの昔にDVDレンタルは廃れ、ネットでの映像配信に変わってしまったのでしょうか。
将来は毎日録画ビデオでも観ながらゆっくり過ごそうとビデオを撮りため、その後はDVDを集めていたあの頃の「努力」は一体なんだったのか。結構な費用をかけたんですけどね。まあ、先見の明がなかったというだけのことですかね。

現在ではNetflixやAmazonのPrimeVideoでは、娯楽映画も多いけれど、結構話題作もアップしていて、その気になりさえすれば(=お金を払うこと)観ることができます。果たしてこれがいいことなのかどうか、売り手の思惑にどっぷりと浸かってしまう危険性の方が高いと思うのは私だけでしょうか。

今から2年前に公開された「破戒」がPrimeVideoにアップされています。
このタイトルを観る度に、高校生のときのテストで「部落差別を扱った島崎藤村の小説の題名は何か」という質問に「破壊」と答えた恥ずかしい記憶がよみがえってくるのはなぜでしょう。
高3生になっても当時はこの小説を読んだこともなく、聞き覚えの受験知識しかなかったためで、私が岩波文庫のこの小説を入手したのは大学1年の頃だったらしい。書庫から引っ張り出してみると、奥付には昭和39年とありましたから。

この最新版映画の映像は美しく、間宮祥太朗の演技には好感が持てるものの、全体としては部落差別の捉え方の甘さが目立ち、とりわけ最後のシーンは原作とも異なって大甘。
それはともかくとして、被差別部落の住民をエタ、ヨツと呼んで蔑み排除し非人間扱いするこの国の封建的な意識は本当に消えてしまったのだろうか。人種差別、国籍や民族による差別、性差別、職業差別などと同様に、意識の深いところにはまだ根深く潜んでいるように思えてなりません。

いま、こうした映画を身近に観ることができる意義は大きく、また公開は嬉しい限りですが、願うべくは若い人たちがあたかもどこかの世界の話であり過去の問題なのだとみるのではなく、この国の深部にまだしみこんでいつでも頭をもたげる意識なのだということを、こうした映画からつかみ取ってほしいし、近・現代史の諸相を深く理解し生きる指針として欲しいものです。


6月17日(月) 戦前の意識との連続性

2024-06-17 23:05:06 | 日記

何度も書いてきたことだが、戦争とは人を殺すことである。しかも大量に。
そして、とくに日本では、戦争が起こるのは「本土」から遠く離れた地であり、しかも戦闘を実行するのは自分ではないと思っている。自衛隊員、米軍が戦争の当事者となり、我々を守ってくれる、と。北アルプスの山塊に守られ、自衛隊の駐屯地はあっても基地のない、また米軍の基地も近くにはない長野県北安曇郡では、戦争を想像することはおよそ不可能だ。
しかし、沖縄であれ安曇野であれ、一旦何か不足の事態が生じて自らに不都合が生じた場合には、誰かの責任にするに違いない。戦争を準備してきたのは自分とは関わりのない誰かだし、それに承認を与えた覚えはない、と。

今からわずか80年前、アジア・太平洋戦争末期、この戦争が侵略戦争であり覇権と資源獲得を最大の動機としてアジア支配をもくろむ帝国主義戦争であったことを喝破し反対していたのは、極々わずかな人々であり、しかも大半は牢獄に閉じ込められていた。
だから、敗戦によってアメリカの支配下に入っても、この戦争がどのような性格であり、なぜ日本が負けたのかを正確に理解し、新しい世の中を再建する道筋を理解する人々もまたごく少数であった。
その負の遺産は、遺産としてではなく「生きた意識」として、いまなお拡大再生産され続けている。

徹底した皇民化教育が貫かれた沖縄では、伝統的な地域共同体の中で、保守的な意識は戦後も根強く生き続け、農村部や離島などでは、「本土」では想像もできないほどの保守的な意識が根付いている。沖縄の住民でも那覇や中部の基地周辺の自治体の人々ですら、他の自治体の実情や意識との乖離に戸惑うことが多いのではないだろうか。

本土であれ沖縄であれ、あの戦争の性格=日本の絶対主義的な天皇制と結びついた帝国主義的な侵略戦争=を、自分たちの抵抗闘争の中で打ち破った経験を持っておらず、むしろ、その意識のまま戦後を形作ってきたことに、今日の矛盾の根源がある。私はそう思っている。

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大企業を中心とした企業別労組の集合体である「連合」が、反共主義と労使一体化をいっそう強めて小池知事を支持すると打ち出しているのも、別に不思議でも何でもない。連合が形成される際に、大企業の経営者が労組を子飼いの組織とするためにインフォーマル組織をつくり、闘う労組を切り崩してきたか、労働組合運動の歴史をひもとけば明らかだ。労使協調どころか労使一体化の極みだが、個別の労組から不満や批判が表にでてくることはまずない。

ここにも、歴史認識の欠如、世界の労働組合運動の歴史や、そもそも労働組合とは何なのかについての無知が見て取れる。労組ならば、最低でも資本から独立し、賃上げを勝ち取るために必要な要求を掲げてストも辞さない構えでたたかうものだ。ナショナルセンターも企業別ではなく産別に組織すべきであり、活動の原則は「資本からの独立、政党からの独立、一致する要求でのたたかい」であることは、労働組合の歴史を学ぶならば常識だ。が、連合はこのどれも当てはまらない。そんなことを連想参加の若い組合員は聞いたこともないだろう。

沖縄の県議選の結果を見ながら暗澹たる気持ちになるけれど、考えてみれば沖縄県は翁長知事の前は自民党県政だったのだから、痛い目にあうことになれば意識がどう変わるか分からない。まだ漠然とした戦争の不安はあっても、米軍や自衛隊の存在が自分たちの保険だと考えれば、地上戦のあった80年近く前のような自分の命にかかわる事態だとは思われないのも無理はない。要するに、戦争もまた依然として他人事なのだ。

同時に、現在は80年前とは比較にならないほどの批判勢力が存在しており、態勢として自公維勢力が凌駕しているように見えるけれど、永久に続くわけではない。どうすれば歴史を前に進ませることが出来るか考え続け、学び合い、語り合い続けるならば、かならず活路は開ける・・・と、まあ私は楽観しているんですけどね。