Mooの雑記帳

日々の感想などを書いていきます。

3月29日(日) 大雪

2020-03-29 11:13:00 | 日記

朝起きてびっくり。予想はしていたものの、夜の間にこんなに積雪があるなどとは思いもしなかった。
10センチ以上積もって、咲き始めたレンギョウが玄関の通路に覆い被さり、あちこちの木々の枝が重く垂れ下がっている。
もうすっかり北陸の冬景色です。午前10時現在、まだ降り続いているので除雪もできません。

新型コロナ感染が重大局面に入って、ロックダウン(首都封鎖)といういままで聞いたこともないおどろおどろしい言葉が現実味を帯びて語られるこの頃。おそらく今後予想もできないような事態が起こるのではないかと思われてなりません。
昨日、今日の信濃毎日新聞に辺見庸さんが「新型コロナと人類」というテーマで一文を寄せていました。

昨日の論考では、”我々の最新鋭の技術にもとづく価値観は、現代科学の粋を集めたミサイルを価値の最上位におき、防衛的なマスクなどは軟弱な表象として下位のもとして受け入れてきた”とのべて、果たしてそれでよかったのか、とまず問いかけています。
それに続いて、「新型コロナの災禍はこれまで全く疑いもしなかった概念の一切を土台から揺さぶっている」といいつつ、果たして「土台」というものがあったのだろうかとも自問する。そして「世界の底」が抜け落ちてしまっていないかと問い直し、「この新型コロナ禍はそこ(核爆弾の過剰とマスクの過少ーが絶望的に併存する風景)に生じた断裂の暗がりに音もなく忍び込んできた歴史の警告」ではないかと述べる。

今日はまた、まず今日のコロナ渦の背景には、ブリューゲルの「死の勝利」を彷彿とさせる古典的災厄と、それらと全く異なる豪華クルーズ船や最先端軍事システムの「じつに驚愕すべき混在」があると述べて、当時ペスト渦の欧州で言い習わされた警句「メメント・モリ(死を想え)」の声が時空を超えて全世界にとどろき渡っているようだと慨嘆。
後半では、歴史はただ前進していくだけのものか、「ただ進だけではなく後戻りしたり反復したりするものではないか」と問い、さまざまな歴史家、思想家、作家などの言葉を引いています。
「半世紀以上前に月面着陸をなしとげ、火星をもうかがおうという人類が、ファシズムや人種差別を駆逐する”ワクチン”さえいまだにもちあわせていないというのである。新型コロナウイルスの災厄はそのことを痛苦な現実として晒してみせている」

フランスなどの国では、アジア蔑視の差別的言動が噴き出していると今朝のテレビは現地在住者の報告を流していました。潜在化していた精神内のウイルスが顕在化したとでもいうべきか。
文明論的にはまさにそうであろうし、そのことに全く異論はありません。辺見さんの独特の語り口で、現在の局面を鋭く切り取っている。だが、辺見さんの寄稿された論考はそこで止まっていて、ではどうするのかについては語っていません。私たちが批判的精神を持ち続け、知恵を絞らなければならないのは、その先のことです。

新型コロナは大きな禍をもたらしつつも、いずれは収束する。収束するが、今度はさらに脅威を強めてパンデミックが起こりうる。人類は果たしてそれに立ち向かえるのか。ここまでくるともはや映画のタイトルに近いものになってしまいますが、今回の事態はそれが現実の問題なのだということを教えてくれているのでしょう。
それでも、世界は争い続け、軍備を強化しなければならないのか。国家権力の強権にたよりたくなる心性(これを奇貨として強化を狙うものもいる)にどう歯止めをかけるのか。
これは、単なる価値観の転換、心のもちようの問題ではなく、優れて政治的な課題であり政治の転換を必要とする問題なのだと言わざるを得ません。

ところで、私はいま、もう一つ別のことをしきりに考えているのです。
こんなときに大地震が襲ってきたらどうなるのだろうか。マスメディアは新型コロナの報道であふれていますが、つい先日までは首都直下型地震や東南海地震の切迫度について警鐘を鳴らし続けていたのです。
複合災害こそ、最も恐れなければならないことであるし、感染症と同時対応していかなければならない課題なのだと私自身はいまかなり緊張しつつ身構えているのです。


3月27日(金) ついついご無沙汰

2020-03-27 21:22:32 | 日記

日本での感染者数は、こんなものではないだろうというのが私の周りの人たちの意見。だいたい検査数が少なすぎるのだから。
木曜日、真っ青な青空の広がったバラ園で作業をしていると、新型コロナのことなどどこの話かと思うような錯覚に陥りますが、早々に作業を終えてお茶会になるとほとんどコロナの話ばかり。会員の中に遺伝子工学の権威がいるので、いろいろ話を聞くことができてためになります。
都会で家に閉じこもらざるを得ない子ども達には、バラ園に来て作業したり農作業したりすればストレスも解消するのにとつい思ってしまいます。

海外のニュースを見ていると、強権的な外出制限や商店の閉鎖などで雇用を失ったり収入の道を断たれたりという無数の人たちがあふれています。感染者が中国を上回ったアメリカではとくにひどい。

日本はそれほどでもないように思えるのですが、感染者数の発表にはどうしても政策誘導の臭いがつきまとって気持ちがわるい。東京での感染者数を近いある日一気に伸ばして緊急事態宣言というシナリオかとつい勘ぐってしまいたくなる。アベ=小池ラインの考えそうなことではないだろうか。ドイツが圧倒的な数のウイルス検査を行い感染初期から対応を徹底しているのを見ると、日本は完全にその対極にある。しかも、もし爆発的な感染拡大が起こったときに、検査態勢も病院での収容体制もまだ全く整ってはいないのですから、全くお手上げになってしまうでしょう。

私の全くの妄想的仮説ですが、中国からの感染が早かった日本ではまだウイルスが弱かったけれど、イタリアやアメリカでは強力に変異したウイルスが蔓延しつつあるのではないのだろうか。それが最近になって逆輸入されていますから、今度は強力な感染力と威力を持ったウイルスがはびこる危険がある。・・・そんなことは想像したくはないのですが、現在の政府の対応を見ていると、経済対策は思いつき、ウイルス対策も常に後追いの様子見でしかないので、大変怖いのです。

先日東京に単身赴任している息子にマスクやらレトルトやら、いろいろ送りました。息子からの返事では、ひょっとしたらオンラインでの在宅勤務になるかもしれないと話していたそう(妻に)。何事もなく過ぎ去って、早く感染が収まってほしいものです。


3月21日(土) 富山へ

2020-03-21 20:54:44 | 日記

昨日から今日にかけて、大学に合格した孫のお祝いを目的に妻と富山に出かけました。
あいにく強風と雪模様の天気で白馬付近は真っ白。幸い路上には雪はなかったのと、新型コロナの影響なのか比較的道も空いていたので、問題なく車を進めることができました。

途中、妹夫婦の家により、中国から避難している姪と二人の子達の顔も見ようと暫く立ち寄りました。姪の夫はアメリカ人の大使館職員。現在、彼はまだ仕事があるというので、単身中国に残っているのです。

二人の男の子は、ハキハキとした元気一杯の様子で、物怖じせずおしゃべりを楽しんでいるようでした。二人で会話するときは英語だと言いますが、祖父母と話すときはチャンネルが完全に切り替わるようで全く英語は混じらないのだとか。姪はしかっりとした日本語が身につくように努力してきたらしく、この後は東京でアメリカンスクールに通わせるのだそう。姪は子どもの頃から海外で様々な活動をしていたこともあって、大抵のことにはへこたれない。バイタリティの固まりのような女性です。久しぶりに会うことができて楽しかった。

私も妻も、妹夫婦もこの子どもたちの前では霞んでしまいそう。別れ際にコロナもどこ吹く風で、しっかりとハグしてくれました。妻は初めてのことでドギマギしつつも嬉しそうでしたね。

娘の家にはちょっと早めに着いたので、私はさっそく散髪をしてもらいました。いつもしっかり丁寧にやってもらえるので髪が長持ち。
一人で美容院を開いている娘は、予約が満杯だといって遅くまで仕事。一方その夫と父母は実家で理容室を開いているので、やはり8時ごろまで片付けやら明日の準備やらで、食事はみんなバラバラ。想像以上に時間の管理が大変そうです。
娘のたっての頼みで、大学に合格した孫と、中2の孫の二人を連れてファミレスに食事に。
お肉をしっかり食べてそれぞれ満足して帰ってきました。

孫はまもなくいろいろな手続きのために一足先に東京に出かけ、その後月末には娘夫婦と一緒に引っ越し。いよいよ一人暮らしが始まります。
ところが、大学からは新型コロナの影響で、講義ができるかどうかわからないというので、ネットでの授業もあり得るという連絡があり、その内容の確認やらパソコンの設定やらで昨日は夜遅くまで娘と準備に追われていたようでした。

大学で何をやりたいのかいまいちはっきり分かりませんが、大いなるカルチャーショックを覚悟しておきなさいと話して、私が10数年前に入手していた(昔の)東大教養学部のテキスト「知の技法」など知の三部作をプレゼントしてきました。相当古いものだけれど、当時の大学教授達の意気込みは今も色あせてはいませんから。どんな風に読んでくれるか。

私が数学でお手伝いできたのはここまで。あとは自分の力でやっていくしかありませんからね。
中2の孫に、この春休み長野に合宿に来るかと誘ってみると、絶対にいやだと恐怖におののいていました。こっちの方は勉強よりゲームの方が楽しいようで、さてさてどうなることか。

以上で、ジジババの出る幕は終了。これからは長野での畑仕事などに精を出さなければなりません。


3月12日(木) いよいよ野良仕事が本格化

2020-03-12 20:56:40 | 日記

午前中はバラの会の作業、午後は畑に出て耕運機の操作+レタスの植え付け、と今日は外での1日仕事になりました。
天気はよく、北アルプスも一望できて4月終わり頃の陽気です。太陽熱の温水器も50度近くまで上がって熱いくらいに。
1日外にいると、身体がまだ慣れないので、帰って入浴したあとはぐったり。作り置きの手料理を手早く食べてしばらくゴロゴロしておりました。

3月20日頃からはにわかに畑仕事が忙しくなります。それまでに土を耕し肥料をやって畝の準備をしなければならないのですが、なかなかはかどらない。そうこうしているうちに草がどんどん伸びて始末に負えなくなってしまいます。
一番伸びるのは「ナズナ」。葉物野菜が不足するこの頃には、この新芽が味噌汁の具になったり、ごま和えにはちょうどよいので、刈ってしまうのは惜しいと放っておいたら、大変な勢いではびこっています。そろそろ全部耕してしまわないといけません。

***********************

新型コロナの世界的感染拡大でパンデミック宣言だとか。ある遺伝子工学の専門家の話では、ウイルスの構造は遺伝子レベルで完全に分かっていて、随分種類があるのだとか。日本には検査を拡大したくても機械のオペレータが少ないとも語り、中国からオペレーターを招請した方がいいかもと言っていました。そこまでいくとなかなか難しいのかもしれませんが、感染研究所の予算を削減して人員を減らしてきたのは安倍政権ですから、その付けは随分高くついているようですね。

産業の土台も経済の土台もあまりに脆弱。大企業は下請け中小零細企業に単価切り下げなどを押しつけ、うまくいかなくなると中国やアジア各国の安い労働力を求めて海外進出。もともと強かった電気・電子産業も今では見る影もなく、ドル箱だった車さえその技術は海外に先を越されていますし、何よりエネルギー政策は完全にガラパゴス化。株安で年金財政にドデカい穴を開けて、さて、これからどのようにこの国の財政の舵取りをしようというのでしょうか。
ウイルス禍はそんな簡単には収束しない。コロナ恐慌が目前という気がします。その被害はこの国では桁違いに大きくなる。そのときに、アベノミクスだ何だと持ち上げていた連中や、アベの支持率を維持してきた方々はどう言い訳をするのでしょう。

***********************

いま池田町は町長選挙の真っ最中。3人の候補者が立って遅くまで選挙カーを走らせています。
一人は現職。何期か町議を経験しこの前の選挙で当選した人です。
もう一人は同じ集落の女性で池田町に越してきてまもない方。もとCAという異色の経歴で、教育問題を中心に訴えています。
あと一人は、前町長。酒が好きで在職中に飲酒運転をして任期途中で辞めた人。まだやることがあるのだそうで、前回も立候補を模索していましたが、辞めてすぐはさすがに批判が強く断念。今回も一度は断念したようでしたが思い直して立候補。
私などは、最後の人が当選すると面白いねと冗談半分、本気半分で公言しています。私たちが押した優れた人材を押しのけて2期目の当選を果たしたほどですから、池田町にはひょっとしたらふさわしいのかも、というのが理由(ちょっときわどいジョークですが)。
ま、いずれにしても、お三方の政策を見比べても全然パッとしない。私たちが支持する候補を出さずして、あれこれ批判するのも大人げないのでこのくらいにしておきますが、いずれ政策も人柄も優れたリーダーを生み出せるようにこれから努力するほかありません。

その池田町の財政はいったいどうなっているのか、実はいま大変な問題が1つ起きているのです。私としては、現在町政白書のVer3.0を準備中で、その中で町の財政全体を俯瞰できるようにしようと努力中。夏前には詳しく報告できると思いますが、簡単にいえば、トップの統制が効かない穴の空いたざるのような状態になっているということです。
財政の危機的な一面が露わになっているにもかかわらず、一向に危機感がない。財政がわかる一部の職員にはそれがあるのかもしれませんが、役場全体の意識になっているとは到底思われません。
一歩ずつでも真面目な努力を重ねて心ある人々のネットワークを広げていく以外にないのでしょうね


3月10日(火) 孫の合格

2020-03-10 15:41:33 | 日記

さきほど娘から弾んだ声で「合格したよ」と電話。一浪した甲斐あって、孫が無事大学生になることができるようで喜ばしい。
「むしろこれからが大事だよ」と伝えて電話を切りました。
いま、大学での学びがどうなっているのかさっぱり分かりませんが、文系学部がひと頃から見れば随分軽視され、学びへの門戸となり得ているのかどうか。

人生の終盤に近い私などが心配するほどのこともないのかもしれませんが、合格したからよかったというレベルでとどまっていてほしくないという気持ちだけは強烈にある。今日の知のあり方が現実に生起する様々な現象に切り結ぶことができず、無力なまま空中でさまよっているようなものであってほしくないからです。
何のための学びなのか。もっと深く問えば何のために生きるのかということになる。

先ほど薬局に行って消毒薬がないかどうか聞きました。
薬局「全然ないんですよ、これまで注文しなかったような所にまで出しているんですけどねえ」
私「どこに行っちゃったんですかね。マスクは中国からたくさん来ていたものが止まっているからという理由で少ないのは分かるけれど、エタノールなんていくらでも生産できるんじゃないんですかねえ」
薬局「ホントにそうですね。店に置いてあるお客さん用のアルコールももう残り少なくてどうしようか困っているんですよ」
私「誰か買い占めて高く売ろうとでもしてるんですかねえ」
薬局「本当に不思議ですよね」
これがいま現実に起こっていること。この国の経済はアメリカ・中国にあまりにも依存しているために、脆弱の度合いは2,30年前とくらべても桁違いに大きい。だから、アベの焦りは手に取るようにわかります。
アベが新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正で緊急事態宣言を出したがっているのは、1つには自分のイニシアチブで収束できれば「強い政権」を内外にアピールできると考えているのでしょう。2つには憲法改正への大きな一歩と考えるからであることは間違いない。
だが、足下からそれは崩れようとしている。経済はガタガタだし、自民党内での安倍政権への求心力も風前の灯火。最近の極端な株安でも打つべき手がもはや何もない。だからこそ、ますます強権的にそれを突破しなければならないと考えているはずです。危険性はこの上ない。

大学での学問がこのような現実の世界の出来事に直接的に関係があるとは言わない。むしろそれから離れて純粋に知の論理に従うことも必要でしょう。だが、やはりそれだけでは足りない。現実世界からの絶え間ない問いかけが学問の立ち位置を絶えず洗っているからです。世界の矛盾が深ければ深いほどその問いかけは鋭く、知の枠組みそのものをさえ変えてしまいかねません。

つまり、その現実世界からの問いかけにどれほど学問がその世界のなかで関わっていけるのかと言う意味で、現在は大きな転換点にあるように私は思うのです。
若い世代が、その若い感性で、今日の世界が問いかける様々な問題にどう立ち向かっていくのか。それは、若者自身が答えを出さなければならない問いかけなのでしょう。