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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

宇宙のマンホール

2012-12-14 | 日記
時々ふぅ~~とどうしようもないさみしさに襲われることがある。
それはもの凄く強力な波動で、もう何をする気も起きないぐらいにぐったりと人を疲れさせ、イライラというか、その目に見えないエネルギーに対して「もう!しつこいなぁ!!」と腹が立つぐらいの感じになる。

昨日もなぜか一日そんな感じだった。もしかしたら「新月」の引力とも関係していたのかもしれない。
それが何の波動か、誰の波動か、「ヒョウイ」のように?具体的に特定出来る時もあるし、また天変地変の影響?であることもあるが、そんなふうに外側にその原因を求める前に、まずそれは自分の中にそれと繋がるものがあるから、、と思う。
すなわち、自分の波動が知らないうちに落ちて?そういうネガティブ波動と共鳴してしまったのかもしれない。(もちろんどんなものにも意味があり、「さみしさ波動」が必ずしもネガティブと決めつけられないが)


それを仮に宇宙の「マンホール」に喩えるなら、日頃はマンホールになど気も止めずに道を歩いていて、ある日ふとマンホールの蓋が開いているのを見つけたようなものである。
その中を覗くとその下には深い暗い闇があり、汚水が流れていたりする。

その中にうっかり落ちないように、あわててそこを離れるのだが、実は誰の心の中にもそのようなマンホールがあって、そのことを忘れて、というか気付かぬふりでいろいろなことで気を紛らわせて日々を過ごしているのかもしれない。

そのようなことを思うと(何かこの話自体)暗い感じになって仕舞いそうだが、そんなことは無い。

なぜならそこにそのようなマンホールがあることには必ず意味があって、それは必要だからそこに存在しているのだろう。
それはそこに何か「浄化」するものがあり、そのような浄化のシステムが働いてくれていることに気付き、感謝を送る必要があることを教えてくれているのかもしれない。

さて、いきなり話は飛躍するが、今日は確か「赤穂浪士討ち入り」の日?だったと思う。
この史実は数多くのTVドラマや映画、舞台等々に取り上げられ、繰り返し上演されたりして、「なぜ日本人はかくもこの『物語』が好きなのか!?」というような研究さえあるぐらいだ。

そして今日、私はハタッとその理由に思い到った!のである。
これは「復讐劇」のように思われているが、実はそうでは無く、これこそ究極の「癒し」と「浄化」、そして
「愛とゆるし」のドラマなのではないかと、、。

いつもは気付かぬ足元のマンホール。
その下にあるもの(人間の心の奥底の暗い流れ)を一年に一度蓋を開けて見せてくれるのが、この「赤穂浪士の討ち入り」ドラマなのかもしれない。

そしてそれがかくまでも長きに渡って毎年話題になり、人気が続いているというのは、まだまだその「真の意味」が人々に伝わっていず、そこにある「愛」と「ゆるし」に人々が気付くまで、それは今後もすたれずに続いていくのではないかという気がする。

そういうものを必要としない若い人たち、新しく生まれてくる子どもたちは、すでにそれを「体現」しているからこそ、そのようなドラマにはあまり興味を示さないのではないだろうか。

彼らはマンホールでは無く、空の美しさに気が付き、UFOを探しながら歩くのかもしれない。
けれども彼らがマンホールに間違って落ちることは決して無いだろう。
なぜなら元々彼らはマンホールを必要とせず、クリーンな光の波動で自らを浄化し、きれいな透明な水を内外に循環させているだろうから、、。

純粋で高い波動を持った彼らの世界にはそのような闇は存在せず、全てが光に包まれているに違い無い。
だから「臭いものに蓋」では無く、全てがオープンになっても彼らが困ることは何一つ無いのだ。

さて、さて、いよいよ選挙の「フタ」が開く。
政治の「マンホール」に落ちる者は誰なのか?
それは明々白々。自らそのシステムを作ったもの、それを必要とする者に違い無い。

願わくはせめて女性は「マン」ホールならぬ「ウーマンホール」に落ちることがありませんように!
「未来の党」は堂々と上を見て、宇宙を見て歩いて欲しい。
ワナや落とし穴、そして原発は全て男性の作ったものなのだから、、。

これまでの女性は男性がそのようなマンホールに落ちないように、蓋を閉めることに追われていたかもしれないが、もうそんなことは止めて、原発好きの輩には自らその穴にどんどん落ちてもらいましょう!
そして私たちは「原発が無くても困らない☆光の世界」を作り上げていきましょう♪

「和」をもって尊しとして、日本国憲法の精神こそ地球人類の未来永劫の「理想」として世界中に広めていきましょう。
変えるべきは憲法では無く、「戦争好きの古い頭」の方なのだから!
(戦争は「天然自然」では無く「人間が作り出したもの」だから、止めようとすれば止められるのです)
TPPに反対し、自給率を上げるためにも家庭菜園に取り組んで、街を緑で埋めていきましょう。

子どもたちが「宇宙のマンホール」に落ちるのでは?という心配などは全くご無用♪
最近の子どもたち、新しく生まれて来る赤ちゃんたちは、(犬や猫以上に!)もっと賢いのである☆
そして女性も独特の鋭い直観で、偽の蓋と本物の蓋をしっかりと見分けることが出来るのだから、、。
大丈夫!

今こそ人は「何が最も大切なのか」を思い出す時なのだ。
その「目覚まし」を「今」という時に設定したのは、他ならぬ自分自身なのです★


追記:ところでこの「さみしさ波動」のおかげで、「瞑想」も出来たし、家中の掃除、洗面所の鏡磨き、おまけに風呂掃除まで出来てラッキーだった!

皆さんも何かネガティブ波動に襲われた時には、ぜひ試してみてください。
例えば引き出しの片付けとかに専念して、気持ちを「単純作業」(草抜きとか)に集中させ、「違った方向にエネルギーを導き流してしまう」といいかもしれない。
あるいは逃げずにその波動と静かに向き合い、じっくり「トコトン味わい尽くす」こともおすすめである。


下記は『ゴールデンエイジ』です。
(この絵は12月21日の展示会でご覧いただけます)




無断転載およびコピーはご遠慮ください。



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2012 AZUMIC ART in ENA

2012-12-12 | 「アズミックアート物語」21~ その後
12月21日の展示会までいよいよあと1週間余り。
準備もぼちぼち仕上げ段階になり、だんだんに実感が湧いて来ました。

ただ、今回に関しては(選挙情勢と一緒で?)どのぐらいのご来場者があるのか?さっぱり読めません(笑)。

お昼の「交流会」(正午~午後2時)の参加は(すでに締切って)ご予約者の数も前もってわかっているので、事前に用意がしやすいのですが、フリーで来られる方が果たしてどのぐらいおられるのか??

「自分予報」☆(自己流オーリングテスト)によれば、かなりの数になる模様!?ですが、交流会のご予約数から見てもその数は少し多過ぎる?気がするので、実際はその半分ぐらい?かもしれません。
それに雪とか、雨とか、寒さなど、天候にも左右されると思うので、私の入場予想も外れる可能性が高いです。

多い方がもちろん嬉しいのですが、お茶用の紙コップが足りるだろうか?とか、芳名帳も一冊でいいだろうか?など、いろいろ気にかかります。(少ない場合は大丈夫なんですが~笑)

今回はご来場記念として、ポストカード第1集(12枚入り/非売品)の中から各人1枚ずつお好きな絵を選んでいただき進呈する予定です。
どうぞお楽しみに♪

今のところ50枚ぐらいは余裕があるのですが、それ以上の人数になると当たらない人もいるかもしれませんので、せっかく遠いところお寒い中はるばると来ていただいて何も無いのは大変申し訳なく思えて、、、。
あれやこれや想像していると、今日はちょっと目が回りそうでした。

こんな時「たまわーるど」のたまさんのように、何でも前もってはっきりとわかる!?能力があるといいのですが(笑)私は絵を描いている時以外は、全く何もわからないのです。

いずれにしても、おだやかなあったかい天候になってくれることを何よりも願って、毎朝お祈りしています。
心から皆様方のお越しをお待ちしています。


追記:今回の展示会場では、「宇宙画」12点の他に原画(線描画)ファイルや、宇宙画が表紙や挿絵に使われている本&句集なども見ていただくつもりです。
相棒は今、BGMに使う予定のケーナ入り音楽(スピリットソング)の準備に奮闘中です♪



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私の「ヒモ」理論

2012-12-11 | 本の紹介
先日ご紹介した『人生を変える波動の法則』(ペニー・ピアース著/PHP研究所)を読んでいてこんな気付きがあった。
少し長くなるが(その話の前提として)下記引用する。(294P~295P)
……………………………………………………………………………………

また研究によれば、DNAの分子は「幻影または影のエネルギー」と呼ばれるエネルギーの場で囲まれています。
おもしろいことに、これはDNAが体から取り除かれた後も、1ケ月以上もそこに残っています。
このエネルギーはDNAが作られる前から存在し、実はDNAを作り出したのではないかと科学者たちは想像しています。

一体、これは何なのでしょうか。
あなたの内なる設計図の一部、あなたの波動、それともあなたの魂の波動なのでしょうか。

ハートマスの研究では、DNAは強い感情を浴びせられると、それに反応して形を変えるそうです。
感謝や愛を浴びると、DNAの糸はリラックスし、ほどけて長くなります。
怒りや怖れの場合は、DNAは緊張して短くなり、DNAのコードの多くが切断されるそうです。
慈愛に反応して、DNAは病気を超越するように進化するのかもしれません。

(以上引用終わり)
……………………………………………………………………………………

さて、この後半部分を読んで、私には深く納得することがあった。
実はテレパスアートを描いていて、時々手が勝手に奇妙な文字のような、糸のような?あるいは紐のようなグジャグジャ、くにゃくにゃっとした線描を描くことがあり、これは一体何なんだろう!?とずっと不思議に思っていた。

それを私は自分勝手に「宇宙文字」と名付けていたのだが、この本を読んで、初めてそれが、DNAの「なりそこない」?というか、いわゆるその切れ端のような、言わば「糸くず」であるということがわかった!

その糸(紐)は長~い時もあり、また点々ぐらいになってしまう時もある。
画面の中で、例えばそれがすご~く長く伸びていって、ある人やものや状況と結びつく時には、それは「運命の赤い糸」のようになったり、時にはぐるぐる巻の包帯や執着の鎖になったり、あるいは人と人をつないで「聖なる輪」になることもある。

反対に、切れ切れになって床に落ち散髪された髪の毛の切れ端の集まりのようになって、意味を成さず、乱雑で混乱している「現場」(現実)の状況を暗示していることもある。

もしも、人の人生が無限の宇宙の網の目に織り込まれ、縦糸や横糸となって宇宙を形成し、自分自身の人生をもその中に織り込んでいるとしたら、「うまく織り込めなかった」DNAの糸くずや、不必要なもの、余分なもの、等々もいっぱいあって?例えばそれがそのような煩雑な感じの「宇宙文字」や「宇宙ゴミ」!?として漂っているのかもしれない。

そんなふうに思うと非常に腑に落ちることがいっぱいある。
なぜなら(これは「後づけ」の理屈では無く)そのような「宇宙文字」を描く時には、その人の本来のあり方や意識では無く、何かそこに「解消すべきもの」があり、それを消去したり、状況を変えたりしたいと感じる時に、そのような「宇宙文字」を描くことが多かったからだ。
(それがそのままでオッケーで、人がそのありがままの姿でいい場合にはそのような切断されたコード〈宇宙コード?〉は描かれない気がする)

それを描いたからと言って、だからどうなるというものでは無いが、どうしてもそこにはそれが必要な感じで、手が勝手に動き、止らないのだから仕方が無い。
せっかくきれいに描けたと思えるような場合でも、最後の仕上げの段階でそのような「宇宙文字」がいっぱい描かれることも多い。

けれどもそれは決して「ネガティブ」なものでは無く、むしろその状況を「ポジティブ」で「意味のあるもの」に変換し、本来の意味で正しいもの(コードやバーコード)として読み取られるために、それはそこに存在しているのかもしれない。

「いろは文字」がばらばらであっても、うまく繋げられれば一つの意味のある言葉となり、メッセージともなるように。
あるいは床に落ちた一本の髪の毛からもその人のDNAが読み取られるように、、。

そしてそれを、より意味のあるものに「接続」し、「真の繋がり」や宇宙や人との絆を求め強めていくためにこそ、そのような「糸文字」(紐の切れ端)がそこに現れる必要があるのだということがよく解った。

そこに描かれた「宇宙文字」は、そこに「切断された宇宙コード」が存在していることに気付き、それを修復し回復することを、その人に示唆しているのかもしれない。

あるいは(切られた髪の毛のように)もう必要の無いものであるなら、早くそれを片付け掃除して床をきれいにし、自らの環境を美しく整備し直すことを求められているのかもしれない。
それに例えば切られた髪の毛(その人にはもう不要になったもの)であっても、それがカツラに使われたり、裁縫の「針刺し」になったり、何かの研究材料に使われたりして、他の人の役に立つこともあるに違いない。

ところで、強い緊張や怒りや衝撃のある人を描いていると、そのような糸くずにさえならず、もう全てが点々になってしまって、画紙を裏まで突き抜けるぐらい強い力で、点々ばかりを描き続けることもある。
だから(安いボールペンで描いているが)その一本のボールペンが一度でダメになってしまうこともよくある。実際に紙に穴が空いてしまったこともあった。
人の感情やエネルギー、波動というのはそこまで強いのである!
(自分を抑えている人ほどなおさら!?)


さて、さて、上記の本によると、(感謝や愛を浴びると)DNAの糸はリラックスし、ほどけて長くなるそうだが、これもなるほど!と思った。
例えばこどもは(いや大人もそうだが)そのようなことがそのまま体の反応としてもすぐに現れ、時々(長く伸び過ぎ、ほどけ過ぎて?)だらだらしたり、ぐったりしたりする。

そこで、ハッ!と気付いた私のもう一つの「ヒモ」理論。
そうか、そうだったのか。

男性が「紐」になってしまうのは、その相手の女性が彼を甘やかし過ぎ、その「バー」コードを読み間違えて?彼のあまりにも「だらしないコード」を延ばし(伸ばし)過ぎたのかも!?

はたまた「春」が長過ぎて?糸(=DNAの本来の意図)がもつれて混乱したり?
あるいは女性自身が自分の気持ちを大事にせずに感情をズタズタに切り刻んでしまって、その結果お互いの関係性をも切断し、だいなしにしてしまうのかも!?

全国のこれを読まれた女性の皆さん、男性を「ヒモ」にしないためには、どうかしっかりと財布も心も「引き締めて」!

リラックスさせるべきは、「相手」では決して無く、自分自身のDNAこそ「居心地よく」させてあげて、ぜひとものびのびと!
そして「魂の波動」で生きていきませう♪

そしたら「紐理論」で出来てる?かもしれない「宇宙」さんも、きっと喜ぶことでしょう☆
ちなみにこのページのタイトルには「慈愛は進化を促す力です」と書いてあった。

以上、「4歳児の『ヒモ』理論」でした。  
ご愛読ありがとうございます。




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街角のレストランで♪

2012-12-09 | 日記
つい最近のこと。たまたま一人でレストランに入り、注文の品が届くのをぼぉ~と待っていた時のこと。
「ねぇ、一人なの?」と隣の席から(仕切り越しに)突然に話しかけられたのである。

さらにたたみかけるように「どうして一人なの?」とニコニコしながら聞かれたので、内心ドッキリ!
顔を見ると食べてしまいたくなるようなかわゆぃ子!
「えぇえぇ、どうしてって、近くに用があって、、出て来たもんで、帰ってから食べてもいいんだけど、ここで食べて帰ろうかなと思って、、」とどぎまぎしながら答えたら、相手は納得したのかどうか「ふぅ~ん」だって!

その上、何と驚くべきことに、そのあと相手は大胆にも私の目の前の席に移動して来たのである。

まさか、まさか、この歳で街角でナンパされるなんて!!!とにんまり!?
いや、どうぞご心配無く。決して新手の勧誘詐欺などではありません。
だって、相手はたった4歳の子どもなんですから(笑)。

このあとひとしきりその子とお話していると、ママが呼びに来て、その可愛い女の子は風船を片手に、何度も振り返って手を振りながら、名残惜しそうにお店を出て行ったのである。

と、いうようなことがなぜか私の場合よくある。
例えば歩いていてふとすれ違ったり、ベビーカーに乗っている小さな子やお母さんにおんぶされていたり、抱っこされているような赤ちゃんが、私の顔をじ~と見つめたり、にっこりしたり、もう少し大きな子だとわざわざ寄って来て手を握りに来たりすることもあったりして驚く。

さっきの話の中の子も、その子の方から手を出してきて握手を求められたので、もみじのようなその手を握ったら、まるで大人のような冷静な声で「冷たいね」と静かに言われてしまった。

こんなことが急に起き出したのは、私が還暦を過ぎてからのことである。
それまではそんなことは全く無かったので、ほんとに不思議だ。
若い頃は保育士をしていたこともあるので、もちろん子どもは嫌いでは無いが、かと言ってどこかで見かけてもこちらから話しかけたり、ウインクしたり?などはしないし、格別その存在を意識したことも無かった。

歳を取って嬉しいことはこういう思いがけない出来事が起こることだ。
これは私の波動が上がったから、、ということでは無く、たぶん今生まれて来ている子どもたちは、魂のレベルで感じる力が凄いのでは?と思う。
どこか共通の「仲間意識」!?を感じているのかもしれない。

否、それよりも何よりの一番の理由は、おそらく私が外見とは違って「精神年齢」が実は4歳ぐらいだからかも!?
私が今受けているアドラー心理学のカウンセラーからも「4歳児が老後を考えるなんて可笑しいよ」と指摘されている(爆笑)。

そうか、彼らから見れば私は同年齢ぐらいの「子ども」に見えるのだなと深く納得。
子どもの目はごまかせないな~と脱帽したのである。
魂までも見通す鋭い洞察力を持った子どもたちに乾杯♪である。







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日本にもホメオパシーの普及を願う☆

2012-12-08 | 日記
以前からホメオパシーには興味を持っていたが、今日はたまたま「スピボイ」のインタビュー記事で(オランダでホメオパシー医療を行っておられるスタン・イエスミヤッツカ先生による)詳しい話を読むことが出来てとてもよかった。

それで益々興味が湧いたが、日本ではまだまだ普及していないようで、どこへ行けばそのような治療が受けられるのか?(どこでレメディを処方してもらえるのか)を詳しく知りたいが、そのことについては掲載されていなかったので少々残念だった。

いつだったか帯津良一先生の講演を聴いたことがあるが、埼玉県の川越市にある「帯津三敬病院」では「ホリスティック医学」が取り入れられていて、確かそこでは帯津先生自らホメオパシーをやっておられて、レメディも処方されているのではと思う。
(興味のある方はネットで検索してみてください)

その講演会で帯津先生の本を購入してサインをしていただいたが、とても有名な先生なのに全く偉ぶったところの無い明るく気さくな方だった。
直接お目にかかれておまけに握手までしていただきほんとうに嬉しかったことを、ふと思い出した。
ここから埼玉は遠いので、我が家の近くにもそんなところが出来ればいいなと願っている。

ところで、「スピボイ」の記事でとても印象に残ったのは、症状を改善するためだけの単なる処方としてのレメディでは無く、その人の「固有のエネルギー」を見て、その人がよりその人らしくなるためにというか、人生も含めてさらに良くなっていくためのレメディを選ぶという、イエスミヤッツカ先生の考え方だ。

つまり病気だけを治すのではなく、その人の人生全体が良くなるように、人間性そのものの向上をも目差すというところに、東洋医学とも共通するものを感じた。

またその症状を治すためにはそれを引き起こしたもの(毒)そのものを見附け出して、そのレメディを処方するというのも、非常に不思議かつ面白い感じで、一体それはどういうことなのだろう!?とワクワクしてしまうぐらいだ。

そしてまたその症状が、例えば一時的に良くなってもまた繰り返して起こるという場合は、自己治癒力や免疫力を上げていくということが大事ということもとても納得がいく。
特に感心したのは「その人固有のエネルギー」を見つけ出すということだ。

これは全くテレパスアートの原理も同じというか、(我田引水かもしれないが)ほんとによく似ていると感じた。
「正反対」のものを「統合」するというか、決して自分の「敵」を排除するということでは無いところに深く惹かれる。

例えばこの記事の中には、驚いたことにホルマリンで体を害した女性にホルマリンのレメディを処方をして治したという話も出て来るが、そんなふうにむしろその敵対するものや自分の体を害したものこそが自分を助けてくれるというのだから、ほんとに信じられないぐらい「神秘的」でスピリチュアルだ。

ただし、テレパスアートは医療的なことは専門外で、私はもちろん医師でも無いし、科学的な説明などは全く出来ないのだが、この記事に書いてあった話の全てがどれもとてつも無く面白くて、「あぁ、自分にもっと力があったら!」とか、あるいは今度生まれ替わったらぜひホメオパシーをやってみたい☆と深く感動してしまった。

実際にそれを自分自身がやってみるのでなくても、そういう「真理」の一端を知ることが出来ただけでも、人生観が変わるというか、とにかくこれまでの自分の考え方がそれでよかったのだとわかって嬉しくなった。

それまで私は「プラスマイナス零」という「人生観」を秘かに持っていたのだが、あまりにも「プラス思考」だけが唯一絶対のように蔓延しているような、いわゆる「精神世界」の中では、もしかしたら自分は少々異端ではないかと感じて、あまりそのようなことはおおっぴらには言ったことが無かったのだ。

自分のもっとも苦手とするところのものが一番自分を助けてくれる!なんて、なんて素敵なんだろう☆

ともかく、上記のような話に興味を持たれた方はぜひ一度「スピボイ」をご訪問ください♪


下記の絵は「サルー」です。




無断転載およびコピーはご遠慮ください。






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