今日5月3日は憲法記念日☆ ですね。
安倍首相はきなくさいこの時期に国民の危機感を高めてそれでもって憲法改悪をもくろんでいるようですが、決して騙されないようにしたいものです。
むしろ私たちはこれまでこの平和憲法を十分に活用しきれていないのではないでしょうか。
この憲法によって、一見最低限の言論の自由や文化的生活が保証されていると思われる社会の中で、今春、私の若い知人は自死しました。
元の職場の同僚女性ですが、生活苦があり、それは鬱によるものでしたが、生活保護をもらう前に「餓死」したのです!!
死後何日か経って身内が訪ねて発見されたそうですが、食べ物を買うお金もその身内が渡していたにも関わらず、自ら拒否して、遺書を残していたそうです。
独身で20年も正職員として働いていたのですが、あまりにも職場が厳しく、仕事がハードで、その疲れから鬱になったようです。
私も以前同じ職場でしたが、その階段の踊り場には、競馬レースにたとえられた職員が馬として描かれ、各人の成績が棒グラフで貼り出されていました。
私はその頃パートだったので、それほど責任感は無かったですが、レジ打ちの時に各自の名前が打ち込まれ、それによってボーナス(という名目では無くほんのちょっぴりの一時金ですが)に差が出るので、
要領の好い人はレジ打ちを独占し、接客も、バックヤードの片付けも、掃除も何もしないで、好いとこ取りをして、成績を上げていました。
私はそういうことがもっとも苦手な人間で、そういう競争が嫌いなため、自分一人の小さな部署でかなり自由にやらせてもらい、いろいろ工夫して店長から褒められるぐらいの売り上げ成績をあげたこともあったのですが、ある時、ある人がその部署を替わって欲しいと懇願したので、替わってあげたりもしました。
私よりももっとその人は弱い人だと思ったからですが、実は後になってずっとその人の方が「要領のいい人だった」とわかったりしました。
でも、それもその人にとってはそのような熾烈な職場で自分が「生き延びていく」ための必死の手段だったのかもしれません。
誰もがそのような競争に耐えることはほんとうに「非人間的なこと」だったからです。
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そのような職場だったので、阪神淡路大震災が起きたとき、私はそれをきっかけにして辞めることが出来てほんとうによかったと今でも思っています。
もしも震災が無ければその後も(食べていくために仕方無く)その職場で働き続けていたことでしょう。。
その歳下の元同僚は正規職員だったため、震災後も(職場の復旧を待って)そのまま働き続け、真面目な誠実な人だっただけに、相当な心労と忙しさが続いたこととほんとうに心が痛みます。
(正規職員には店舗復旧までの「休業補償」があり、私たちパートには一切何も、退職金も見舞金も何も無く、それどころか早期退職を勧められたぐらいでしたが、、)
2年前に20年ぶりに彼女と再会して、その時、鬱を煩っていることを初めて知ったのですが、そこまで深刻とは氣づけなかったことが無念です。
それなりに給料はもらっていても、医療費もかかり、何よりも家賃が負担になって、また働ける日数が少ないために、十分な生活をするだけのお金を稼ぐことが出来なかったようです。
それよりも何よりもそのような職場での「孤独感」が大きかったのではないかと私は思っているのですが、果たしてどうでしょうか。
しっかりと病氣を治すまで、仕事を休むことが出来、その間だけでも、生活費が十分にもらえればいいのですが、それを現行憲法は保証してくれている筈ですが、ちゃんと履行出来ていないのは、どうしてでしょうか。
憲法を変えて戦争の出来る憲法にして、それで生活が楽になるのでしょうか!?
否、むしろ今の憲法をしっかりと読んで、それをみんなが実行していくことだと私は信じています。
「平和憲法」は「理想」だからこそ、その理想を現実にしていく必要があるのです。
戦争が終わっていたのに解放されず、獄中で囚われたまま病死した三木清は、「理想こそが現実を変える」と書き残しています。
アドラー心理学で人氣の岸見一郎さんが三木清の「人生論ノート」について解説されていますが、今の時代は戦争に向かっていた時代とそっくりだそうです。
共謀罪ではありませんが、このようにブログを自由に書けるのも現行憲法があればこそ!!!
憲法を変えるのでは無く、むしろもっと憲法を知り、しっかりと読んで、それを実行するよう、私たちの誰もが幸せな生活が出来るよう、最低限の「文化的生活」が誰にも保証されるよう、
もっと声をあげていきたいですね♪
亡くなった知人も何よりもそれを望んでいると思います。
とても勇氣のある生き方だったと私は彼女を誇りに思いたいです。
自由を何よりも願っていた人だったからです!!!
「希望」があれば、人は生きることが出来るのです。
彼女を死に追いやったのは未来への「絶望」だったのではないでしょうか。
いくら病氣(鬱)であっても、生活の不安が無ければ、死ぬことなく安心して完治するまでゆっくりと治療を受けることが出来るのですから。。
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「別れ」というのは、どんな別れ方であれ、いつでも私たちに多くのことを学ばせてくれるものですね。
昨夜、古い絵のお客さまからのメールを読みながらさまざまなことを想いました。
その方は「還暦になったらまた絵を頼みたい」とわざわざ書いてくださって、まだ何年も先のことなのに、ほんとうにうれしくありがたいことでした。
今はまだまだ未熟な発展途上の私なので、いろいろ至らぬことも多いですが、せめて十年後にはもう少し絵もうまくなって、さらに深い絵が描けるように、これからも長生きして精進し続けたいと思います。
長い間応援してくださったその方をはじめ、たくさんの方々に助けられて今の私があります。
ほんとうに感謝以外ありません。
私自身はたった一人の親しい知人のいのちさえ助けることさえ出来なかったこと(本人から頼まれれば絵を描くことも出来たのですが、、)に忸怩たる想いがあります。
それはその人の選択を尊重してのことではありましたが、他に何か出来ることは無かったか?と今も思っています。
3月末の出来事(知ったのは4月初め)でしたが、それ以来私自身も衝撃のあまりに、人に対して心開くことが出来無い不信感に覆われて内心鬱々としていました。
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何せその人は20年間も正職員で働いていたのですから!!!
それでなぜ死ななければならなかったのか。。 しかも餓死しなければならない程、生活に困窮するなんて。。
ほんとうにショックでした。
今この国では貧しい人はそこまで追い込まれているのです。
お金優先の社会、エゴと競争のこの社会、もう少し愛や優しさがあったなら、そして若さや美しさや、独身に対する偏見や、、さまざまな女性差別が無ければ、、たとえ50歳を過ぎていても、未来に希望が持てたかもしれません。
年齢制限にしても、何歳であれ、働く意欲があり、その能力があれば、働ける社会であれば、もう少し安心感も持てたかもしれません。
また若くても仕事が無かったり、働け無い人に対して、もっと学びの機会や、癒しの機会、さまざまな手当があれば、どれだけたくさんのいのちが助かることでしょうか。。
自死する人は年々減っているとはいえ、交通事故よりもずっと多くの人が毎年毎年死んでいっているこの社会は、どこか異常!!!です。
あまりにも歪んでいます。 社会の仕組みも人の考え方も。。どこかおかしくなっている氣がします。
私にもし他の生活手段があれば、無料で絵を描いてでも鬱の人を助ける手伝いが少しでも出来たかも、、と思いますが、私自身がぎりぎりの生活ではそれも叶いません。
絵を押し付けることは出来無いけれど、あの時、もっと彼女の話を黙って聴いてあげればよかったかもしれないと心から思います。
たとえ遠く離れていても、自分のことをほんとうに想ってくれるたった一人の人がいれば、人は必ず救われると信じています。
私自身も何度か鬱を経験し、死にたくなった時、親友の顔がふと浮かび「死なないで!」と彼女が私に呼びかけてくれている氣がして、その彼女の心からの「愛」によって救われました。
人のいのちを救うのは「お金」では無く、まさに「愛」ではないでしょうか!!!
なぜなら人の本質は「肉体」(物質)では無く、「魂」の存在だからです。
年齢がいったからといって人は賢い判断が出来るとは限りませんが、せめてもう少し成長して、私自身も人を助けることの出来るような、もう少しまともな人間になりたいと願っています。
今はまだまだ自分のことで精一杯でほんとうに力足り無いことが情けなくくやしいです。
たとえ失敗はあってもそれは失敗では無く、「ただ未熟なだけ」という、はせくらみゆきさんの言葉通り、少しでも今よりは成熟していきたいです。
至らぬところが多々あり、出逢いもたくさんある一方、人との別れも多い私ですが、これからも長生きして、また絵を頼んでくださる方々のためにも、より一層の成長をしたいと思います。
どうぞ今後共によろしくお付き合いをお願い致します。
長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
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ゴダイゴの皆さんは、グループ解散後、それぞれの道を行き、中には牧師さんになった人もあるそうで、ほんとうに別れもまた成長の一つの証しなのかもしれません。
そしてその彼等の誰もが幸せになっているところが、素晴らしいですね!!!
解散してもまた再会して仲良く出来ているところもとっても尊敬しています。
私と恵那の彼も今でも仲良くしていますが、音楽もあきらめたわけでは無く、もしかしたら80歳!?には成功しているかもしれません。
何が成功であるのか? それはその人によってそれぞれ違うと思いますが、私の場合、自分自身の「納得」です☆
納得のいく絵が描けたときが最もうれしい時であり、それを人がどう受け止めるかはその人の問題ではありますが、それでもやっぱり人にもお役に立ち、こころから喜んでいただけるようなそんな存在でありたいと思います。
人からどう評価されようが関係無く、自分の納得のいくところを目指して、これからも「こつこつ ゆっくり」描き続けます。
♯ 憲法記念日が「テレパスアート」記念日でよかったです!!!
本日も遊びに来てくださってありがとうございました。
また明日も。。そして十年後も来ていただけたらうれしいです♡
下記は宇宙画『 スペースハーモニー 』です。
安倍首相はきなくさいこの時期に国民の危機感を高めてそれでもって憲法改悪をもくろんでいるようですが、決して騙されないようにしたいものです。
むしろ私たちはこれまでこの平和憲法を十分に活用しきれていないのではないでしょうか。
この憲法によって、一見最低限の言論の自由や文化的生活が保証されていると思われる社会の中で、今春、私の若い知人は自死しました。
元の職場の同僚女性ですが、生活苦があり、それは鬱によるものでしたが、生活保護をもらう前に「餓死」したのです!!
死後何日か経って身内が訪ねて発見されたそうですが、食べ物を買うお金もその身内が渡していたにも関わらず、自ら拒否して、遺書を残していたそうです。
独身で20年も正職員として働いていたのですが、あまりにも職場が厳しく、仕事がハードで、その疲れから鬱になったようです。
私も以前同じ職場でしたが、その階段の踊り場には、競馬レースにたとえられた職員が馬として描かれ、各人の成績が棒グラフで貼り出されていました。
私はその頃パートだったので、それほど責任感は無かったですが、レジ打ちの時に各自の名前が打ち込まれ、それによってボーナス(という名目では無くほんのちょっぴりの一時金ですが)に差が出るので、
要領の好い人はレジ打ちを独占し、接客も、バックヤードの片付けも、掃除も何もしないで、好いとこ取りをして、成績を上げていました。
私はそういうことがもっとも苦手な人間で、そういう競争が嫌いなため、自分一人の小さな部署でかなり自由にやらせてもらい、いろいろ工夫して店長から褒められるぐらいの売り上げ成績をあげたこともあったのですが、ある時、ある人がその部署を替わって欲しいと懇願したので、替わってあげたりもしました。
私よりももっとその人は弱い人だと思ったからですが、実は後になってずっとその人の方が「要領のいい人だった」とわかったりしました。
でも、それもその人にとってはそのような熾烈な職場で自分が「生き延びていく」ための必死の手段だったのかもしれません。
誰もがそのような競争に耐えることはほんとうに「非人間的なこと」だったからです。
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そのような職場だったので、阪神淡路大震災が起きたとき、私はそれをきっかけにして辞めることが出来てほんとうによかったと今でも思っています。
もしも震災が無ければその後も(食べていくために仕方無く)その職場で働き続けていたことでしょう。。
その歳下の元同僚は正規職員だったため、震災後も(職場の復旧を待って)そのまま働き続け、真面目な誠実な人だっただけに、相当な心労と忙しさが続いたこととほんとうに心が痛みます。
(正規職員には店舗復旧までの「休業補償」があり、私たちパートには一切何も、退職金も見舞金も何も無く、それどころか早期退職を勧められたぐらいでしたが、、)
2年前に20年ぶりに彼女と再会して、その時、鬱を煩っていることを初めて知ったのですが、そこまで深刻とは氣づけなかったことが無念です。
それなりに給料はもらっていても、医療費もかかり、何よりも家賃が負担になって、また働ける日数が少ないために、十分な生活をするだけのお金を稼ぐことが出来なかったようです。
それよりも何よりもそのような職場での「孤独感」が大きかったのではないかと私は思っているのですが、果たしてどうでしょうか。
しっかりと病氣を治すまで、仕事を休むことが出来、その間だけでも、生活費が十分にもらえればいいのですが、それを現行憲法は保証してくれている筈ですが、ちゃんと履行出来ていないのは、どうしてでしょうか。
憲法を変えて戦争の出来る憲法にして、それで生活が楽になるのでしょうか!?
否、むしろ今の憲法をしっかりと読んで、それをみんなが実行していくことだと私は信じています。
「平和憲法」は「理想」だからこそ、その理想を現実にしていく必要があるのです。
戦争が終わっていたのに解放されず、獄中で囚われたまま病死した三木清は、「理想こそが現実を変える」と書き残しています。
アドラー心理学で人氣の岸見一郎さんが三木清の「人生論ノート」について解説されていますが、今の時代は戦争に向かっていた時代とそっくりだそうです。
共謀罪ではありませんが、このようにブログを自由に書けるのも現行憲法があればこそ!!!
憲法を変えるのでは無く、むしろもっと憲法を知り、しっかりと読んで、それを実行するよう、私たちの誰もが幸せな生活が出来るよう、最低限の「文化的生活」が誰にも保証されるよう、
もっと声をあげていきたいですね♪
亡くなった知人も何よりもそれを望んでいると思います。
とても勇氣のある生き方だったと私は彼女を誇りに思いたいです。
自由を何よりも願っていた人だったからです!!!
「希望」があれば、人は生きることが出来るのです。
彼女を死に追いやったのは未来への「絶望」だったのではないでしょうか。
いくら病氣(鬱)であっても、生活の不安が無ければ、死ぬことなく安心して完治するまでゆっくりと治療を受けることが出来るのですから。。
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「別れ」というのは、どんな別れ方であれ、いつでも私たちに多くのことを学ばせてくれるものですね。
昨夜、古い絵のお客さまからのメールを読みながらさまざまなことを想いました。
その方は「還暦になったらまた絵を頼みたい」とわざわざ書いてくださって、まだ何年も先のことなのに、ほんとうにうれしくありがたいことでした。
今はまだまだ未熟な発展途上の私なので、いろいろ至らぬことも多いですが、せめて十年後にはもう少し絵もうまくなって、さらに深い絵が描けるように、これからも長生きして精進し続けたいと思います。
長い間応援してくださったその方をはじめ、たくさんの方々に助けられて今の私があります。
ほんとうに感謝以外ありません。
私自身はたった一人の親しい知人のいのちさえ助けることさえ出来なかったこと(本人から頼まれれば絵を描くことも出来たのですが、、)に忸怩たる想いがあります。
それはその人の選択を尊重してのことではありましたが、他に何か出来ることは無かったか?と今も思っています。
3月末の出来事(知ったのは4月初め)でしたが、それ以来私自身も衝撃のあまりに、人に対して心開くことが出来無い不信感に覆われて内心鬱々としていました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何せその人は20年間も正職員で働いていたのですから!!!
それでなぜ死ななければならなかったのか。。 しかも餓死しなければならない程、生活に困窮するなんて。。
ほんとうにショックでした。
今この国では貧しい人はそこまで追い込まれているのです。
お金優先の社会、エゴと競争のこの社会、もう少し愛や優しさがあったなら、そして若さや美しさや、独身に対する偏見や、、さまざまな女性差別が無ければ、、たとえ50歳を過ぎていても、未来に希望が持てたかもしれません。
年齢制限にしても、何歳であれ、働く意欲があり、その能力があれば、働ける社会であれば、もう少し安心感も持てたかもしれません。
また若くても仕事が無かったり、働け無い人に対して、もっと学びの機会や、癒しの機会、さまざまな手当があれば、どれだけたくさんのいのちが助かることでしょうか。。
自死する人は年々減っているとはいえ、交通事故よりもずっと多くの人が毎年毎年死んでいっているこの社会は、どこか異常!!!です。
あまりにも歪んでいます。 社会の仕組みも人の考え方も。。どこかおかしくなっている氣がします。
私にもし他の生活手段があれば、無料で絵を描いてでも鬱の人を助ける手伝いが少しでも出来たかも、、と思いますが、私自身がぎりぎりの生活ではそれも叶いません。
絵を押し付けることは出来無いけれど、あの時、もっと彼女の話を黙って聴いてあげればよかったかもしれないと心から思います。
たとえ遠く離れていても、自分のことをほんとうに想ってくれるたった一人の人がいれば、人は必ず救われると信じています。
私自身も何度か鬱を経験し、死にたくなった時、親友の顔がふと浮かび「死なないで!」と彼女が私に呼びかけてくれている氣がして、その彼女の心からの「愛」によって救われました。
人のいのちを救うのは「お金」では無く、まさに「愛」ではないでしょうか!!!
なぜなら人の本質は「肉体」(物質)では無く、「魂」の存在だからです。
年齢がいったからといって人は賢い判断が出来るとは限りませんが、せめてもう少し成長して、私自身も人を助けることの出来るような、もう少しまともな人間になりたいと願っています。
今はまだまだ自分のことで精一杯でほんとうに力足り無いことが情けなくくやしいです。
たとえ失敗はあってもそれは失敗では無く、「ただ未熟なだけ」という、はせくらみゆきさんの言葉通り、少しでも今よりは成熟していきたいです。
至らぬところが多々あり、出逢いもたくさんある一方、人との別れも多い私ですが、これからも長生きして、また絵を頼んでくださる方々のためにも、より一層の成長をしたいと思います。
どうぞ今後共によろしくお付き合いをお願い致します。
長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。
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ゴダイゴの皆さんは、グループ解散後、それぞれの道を行き、中には牧師さんになった人もあるそうで、ほんとうに別れもまた成長の一つの証しなのかもしれません。
そしてその彼等の誰もが幸せになっているところが、素晴らしいですね!!!
解散してもまた再会して仲良く出来ているところもとっても尊敬しています。
私と恵那の彼も今でも仲良くしていますが、音楽もあきらめたわけでは無く、もしかしたら80歳!?には成功しているかもしれません。
何が成功であるのか? それはその人によってそれぞれ違うと思いますが、私の場合、自分自身の「納得」です☆
納得のいく絵が描けたときが最もうれしい時であり、それを人がどう受け止めるかはその人の問題ではありますが、それでもやっぱり人にもお役に立ち、こころから喜んでいただけるようなそんな存在でありたいと思います。
人からどう評価されようが関係無く、自分の納得のいくところを目指して、これからも「こつこつ ゆっくり」描き続けます。
♯ 憲法記念日が「テレパスアート」記念日でよかったです!!!
本日も遊びに来てくださってありがとうございました。
また明日も。。そして十年後も来ていただけたらうれしいです♡
下記は宇宙画『 スペースハーモニー 』です。