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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

阪神淡路大震災で授かった能力(36)

2012-04-14 | 「アズミックアート物語」21~ その後
東日本大震災から1年と1ケ月が過ぎ、この間には何万人もの人たちがふるさとに居ることが出来ずに全国に散っていかれたことでしょう。そしてどれほどの無念の思いや望郷の想いを胸に日々暮らしておられることでしょうか。

阪神淡路大震災後に私も事情があって広島に1年暮らした後、関西に戻って4年過ごし、その後伊豆に永住するつもりで引っ越しましたが、残念ながら根付くことが出来ず、また関西に戻って現在は仮住まい中の身です。

その間のことなどはこれまで「家と自尊心」の中で少し書きましたが、私は自分の経験から「衣食住」の中では、一番「住」が大切というか、「基本」では無いかとさえ感じています。食べない日はあっても、人はいつもどこかの場所には必ず存在しているわけですから。

定住出来ないというか、家の無いみじめさというのは、ホームレスの路上生活者で無くても、誰でも一度経験すればよくわかると思います。まして、年老いてからの「自分らしく居れる場所」というのは、ほんとうに何物にも代え難い「宝もの」という気がします。

長年俳句に親しんでいた老父は、「冬蜂の死にどころなく歩きけり」(村上鬼城)という句をよく口にしていました。
(もっとも私が生前の父から聞いたのは「冬蜂」ではなく「老(い)蜂」でしたが、これは父の覚え間違い?だったようです)

父は自分の生まれた村で死ぬことが出来たし、晩年も自分で建てた家で過ごすことが出来たので、かなり恵まれていた方ではないかと思いますが、(だからこのような句に思い入れをしなくていい境遇だった筈なんですが)「年を取って初めてわかることがある」とか、「歳を取らないとわからないことがある」とよく言っていました。
私もだんだんその父の気持ちがわかるようになって来たのかもしれません。

そういうわけで今私は本格的に自分の居場所探し(新しい拠点探し)をしているところなのですが、(それであちこちの「田舎暮らしセミナー」にも参加したりしていますが)そんな中で、例えば「こんなところならぜひ住んでみたい!」と思うところを見つけました。
ただ、ここに私自身が実際に住むには、あまりにもふるさとから遠過ぎることと、車の運転が出来ないために無理なのですが、もし現在「定住先」を探しておられる方の参考になればと思います。

それは「雲の上の町 ゆすはら」(高知県梼原町)です!
ここは日本最後の清流といわれる四万十川の源流域の山村で、220~1455mの高度差があり、町の面積の91%が森林だそうです。
前町長だった中越武義氏の話(朝日新聞の「フロントランナー」掲載)から私はこの町のことを知ったのですが、この方の考え方も素晴らしいですし、人口4千人にも満たないぐらいの町なのに、みんなが力を合わせて「自然と共生するまちづくり」をしているのです。

町のHPを読むだけでもそのイキイキとしたエネルギーが伝わって来ます。
一見逆境に見える条件をプラス条件に転化する「檮原方式」というのが町づくりの原点になっているようで、何よりもみんなの笑顔がとっても素敵です!
(あの「ブータン」にも似た「幸福感に満たされている町」のような気がします)

政府の「環境モデル都市」にも選ばれているようですが、風車をはじめ、自然エネルギー政策を積極的に押し進めていて、「原発」が無くてもここなら誰もが幸せに過ごすことが出来るのでは!と直観的に感じました。
定住は無理だとしてもせめて一度は実際に訪ねて、人々の暮らしぶりやカルスト台地の広がる「雲の上の町」の風景をこの目で見てみたいです!!

日本にもまだまだこんなところがあるのだと知るだけでも、「人生捨てたもんじゃないな」と思います。
そしてこのような「ゆすはら方式」を、他の過疎の村や町の復興にもうまく応用していけたらいいなと思いました。
それは一人一人の力を合わせることで可能なのではと信じています。
私も次に住むとしたら、微力でもそのような高い意識と自覚を持った住民の一人になりたいと願っています。

今度ははたしてどこに住むことになるのか?
宇宙からの「コーリング」!?をワクワク楽しみに待っているところです。


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