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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

3月2日という日に。。

2013-03-02 | 人物紹介
私はこの日(3月2日)になると必ず思い出すことがあるので、この月日は特別に忘れないのです。
それは盟友たまさんと私が(何年か前に)突然プッツンした日だからです。

そのいきさつについては全部私の「一方的な誤解だった」ことが後でわかり、彼女はそれについて一言も私も責めることなく、その間ずっと忍耐強く私の誤解が解けるのを待ってくれたのです。何の弁明もナシに、、。
そしてその誤解が解けた後もその話を持ち出すことも一切無く、その以前からと全く同じように接してくれていますが、もしそれが反対の立場だったら!?と思うと、本当に信じられない彼女の「ゆるしの深さ」を感じます。

私はこれまでいろんな人に対してなぜかプッツンしてしまうことが多く、まさに「仏の顔も三度まで~」という感じの未熟さで、そんな自分が「テレパスアート」を描いていることが信じられないぐらい(汗)ですが、彼女はこれまでいったいどれだけの人をゆるし、一人孤独に耐えて来たことでしょうか!

彼女は自分に対してDVだった人でさえゆるし、その人の幸せを願って相談にも乗ってあげたり、、私から見るとそれは「普通の人間業では無い」と感じるぐらいです。
恵那での展覧会で5年ぶり!?ぐらいに彼女に会った時、その姿があの宇宙画の『マドンナ』の姿そっくりに見えたのは、決して錯覚では無いという気がします。

彼女が私に電話してくる時はほとんど彼女の声はかすれています。そのガラガラ声にはいつもびっくりです。
そして『こんな夜遅くにまだ働いているの!?』と二度びっくりするぐらい、どれだけ会社やお客様のために仕事をし続けてきたことでしょうか。

それなのに逆にそれが疑われて?「一人で会社を牛耳っている」というふうに思われてしまうなんて、一体この世の中はどうなっているの!?というぐらい、おかしな話です。

彼女は会社のために何年も一日も休まずにブログを書き続け、最近になってやっと休みを貰えるようになったと言っていましたが、そのブログ一つをとってみても、一度も休まずに書くことがどれだけ大変なことか!ということは、私も一年やってみてつくづくとよくわかりました。

それを何年も続けたなんて、まさに偉業です。
たまさんが自分自身のために始めたブログなら楽しみながら書けるでしょうが、会社のブログとなれば責任も伴い、書く内容にもいろいろ気を遣うことでしょう、、。

それも仕事の一部だと思えばこそ、文句も言わずに引き受けておられたのだと思いますが、その責任を果たすために彼女は仕事時間なんて全く関係無いぐらいに、早朝から夜遅くまで働き、どんなにか大変だったことかと思います。
それでも彼女がそのことについてグチを言っているのを聞いたことは一度もありません。
いつでもずっと後になってから『えっっっっっっっっっっ!そんなに働いていたの!?凄過ぎる!!!!!』と驚愕したことが何度もあるぐらいです。

それに会社の社長なら資料に使う本だって全部「経費」で通ることでしょうが、彼女は店長といえども「一従業員」なのですから、セミナーの勉強に使うための参考にする本だって、全部自分の少ない給料の中から個人的に出しているのです。自分の役得になるどころか、いっぱい「持ち出し」になってしまうぐらいでしょう。

ある時彼女が私にど~んと段ボール二箱ぐらいの本をどっさり送ってくれたことがありましたが(もちろん全部無償で)、どれだけこの人は勉強しているのか!?というぐらいの凄い本の量と内容でした。
私が読んだことも無いような分厚い本が沢山あったのです。
どれも文庫本や新書判では無いので、本代もさぞかかったことと思います。

そして私はそんなふうにいつもほんとうに彼女によくしていただいていますが、たまに絵をプレゼントしようとしても決して彼女は受け取らず、いつもきちんと支払ってくれるどころか、私の方がよほど何でもいただいてばかりなのです。

しかも忘れられないエピソードの一つですが、彼女はサイキックなので、私が例えば(日頃お世話になっている御礼に)絵の価格を個人的に少し安くしてあげようと思っているにも関わらず、その前に早くも察知して(元の値段の通りに)振り込んで来られたりするので、値引きをして上げたく思ってもそれも出来ず、逆に普通よりも上乗せした価格で振り込んで下さったこともあり、ほんとうにこちらの方が恐縮してしまって申し訳無く思ったことも何度もあります。

気さくで大らかな人柄ゆえに、他人は勝手に彼女が「役得で何でも好きなようにしているのでは!?」と疑ってしまいがちなこともあるかもしれませんが、そんなことは全くあり得ないことです。
それどころか、いろんなものの立て替えをして自分のポケットマネーから支払ってあげたり、、そしてそのまま忘れられてしまう(社長でさえ!?)こともあったりしたこともあったようで、そんな彼女の信じられないぐらいの「奉仕」が、普通ならあり得ないことばかりなので、誰でも「何でそこまでするの!?」と逆に怪しく思ったりしてしまうのかもしれません。

実際この私ですら、彼女には何か裏がある?というか、最初出逢った頃は何かその親切の目的が掴めなくて、どうしてこんなに優しいの!?と不思議に思ってしまって、むしろ引いてしまうというか、少し用心しながら付き合うようなところもあったのです。

なぜなら、人が実は私を利用するだけであったり、後で掌を返したような裏切りに遭うことも多かったので、(そして私には「アスペルガー症候群」的なところもあったので)かつての私は人を素直に信用出来なくなっていた面もあったからです。
(だから彼女のことも誤解してしまったのだと、今にしてわかりますが、本当にたまさん、ごめんなさい!)

それでもたまさんが実は「イルカ」と同じ魂を持った仲間だと知ってからは、深く納得がいったのです。
そうか、やっぱり地球人では無く、だからこそ彼女のあの無限とも見えるぐらいの公平無私な面があるのだなぁ~と、やっとわかったのです!

どんなに親しくなっても、彼女が私に対してため口をきくなんてことは決して無く、いつでも敬語というか、とても丁寧な言葉遣いで、人を立ててくれて、自分を傷つけた人のことでさえ悪口を言うことは無く、むしろ心から応援し、誤解されても言い訳することも無い彼女に接していると、私の方がよほど教えられることが多いです。
そして私はそういう彼女のことを(単に好きを通り越して)人間として深く尊敬しています。

もちろん昔の彼女は今とは違っていましたが、これまでどれだけ彼女が努力し、大きく成長して来たかを知っているので、長年共に歩んで来た私の方が(あまり成長しないままで)恥ずかしく思うぐらいです。

これは決して彼女に対するみえみえのお世辞でもヨイショでも何でも無く、今日私が突然にこのようなブログを書く気になったのは、もしかしたらこのままいくと「働き過ぎで彼女が倒れてしまうのでは!?」とふと心配になったからです。

少し前に別の絵を描いているにも関わらず、突然にあるビジョンが浮かんで来たことがあったのですが、それは彼女がもうこの世を見捨てて逝こうとしている姿だったのです!(涙)
私は絵を描いている時以外にはそんな霊能力は無いのですが、人がほんとうにアブナイ時には何かを宇宙が知らせてくれる(いわゆる第六感!?)ということなのかもしれません。

これまでも彼女は命が危ないぐらいの時もよくあったぐらいなのに、誰にも言わず、病院にも行かずに我慢して仕事をし続けることもことも多かったのです。
「どうしてそこまでやるの、いいかげん自分のことも大事にしなければ、、」とか、「もっと休みをもらったら?」と私はいつも彼女に言い続けているのですが、どうか、彼女が生きている間に、誰か気付いてもっと彼女を助けてあげて欲しいと思います。
もちろん宇宙にもいっぱい救けをお願いして、毎朝毎夕お祈りしているのですが、、。

同じぐらいよく働く友だちを私は何人も続いて失ったことがあるので、これは決して単なる杞憂や心配し過ぎでは無く、むしろ「どうしてもっとみんな気付いてあげられないの!?」と周囲の人たちの無理解が信じられない思いなのです。

「あの時もっときつく言って注意してあげればよかった」と後悔しないためにも、私は彼女が倒れる前に声を大にして言いたいです。
『たまさん~もっと休みを取って~~~そんなにも休めない会社ならもう辞めてもいいんじゃないの!? だっていのちの方が仕事より大事だよ!!!!!』と。

どうか、まだ間に合いますように、、、。
私は大事な盟友を決してこれ以上失いたくは無いのです。

社長さま、同僚の皆さま、そして会社のお客様方にもぜひお願い致します。
どうかくれぐれもたまさんを優しく労ってあげてください。
そしてもっともっとゆっくり休ませてあげてください。
どうぞ宜しくお願い致します。


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200種類のブルー

2012-09-11 | 人物紹介
先日京都で画家の司修さん(1936年 群馬県前橋市生まれ)のお話を聴く機会がありました。
(司修さんは数々の優れた装幀で有名な方で、著書もたくさん出されています)

「宮澤賢治の世界」と題する「夜話講座」で、司修さんがどのように成長されたか、お兄さんと原爆の話、焼け木杭で家族が建てた家や「竹」で出来た家のこと、武満徹さんとの出逢いや音楽の話、そして宮澤賢治に関する本を出した経緯等について、非常に興味深い話の連続で、一言でも聞きこぼすともったいないぐらい面白かったです。

どれも司修さんの「創作の原点」に触れるとても深いお話の数々でしたが、司修さんのお顔はどんなつらい体験を語られる時も終始おだやかで、優しい口調の端々にどことなくユーモアがあり、私は何度も笑ったりうなづいたりしながら聴かせていただきました。

数々の賞も貰っておられる偉い先生なのに、ほんとに朴訥というか、シャイな面やまるで少年のような可愛さ?や純粋さを持っておられ、笑顔が魅力的なとても謙虚な方でした。
それでいて「質問はナシでいいでしょう、、わからない話はしないつもりですから」と、話し始める前に毅然として言われ、かなりぶ厚い原稿を手にしてちゃんと時間を見ながら配分を考えられ、長時間ノンストップで話される姿に、プロとしてさすがだなと感心しました。

あの東日本大震災のあった3月11日から今日でちょうど一年半になりますが、震災後司修さんは「今、賢治が生きていたら、どう思うだろう」と考えられたそうです。
講演会場のギャラリーには新作絵本『グスコーブドリの伝記』(ポプラ社刊)や『雨ニモマケズ』(偕成社刊)の原画や、描きおろしの新作が展示されていました。

その中の「賢治」の横顔に私はとても惹かれました。それは現実の写真に残っている賢治の姿では無く、司修さんの想う「賢治」の像ですが、私にはそれこそがまさに「賢治」だと感じられました。

言葉で説明するのは難しく、司修さんも「絵を観ていただければわかると思います」とおっしゃっておられましたが、私には例えば村上華岳と共通するような、そこに描かれているのは何か「光そのもの」(波動そのもの)と感じられました。そしてそれこそがまさに「賢治」の本質なのだと。
しばらく眺めているだけでも心が鎮められ浄められるような、初めて見たのになぜかなつかしく思わず泣き出したくなるような、そんな絵でした。

『グスコーブドリの伝記』はアニメ映画にもなっていますが、司修さんの絵とは全く何の関係も無く、たまたま出版社が宣伝のためにタイアップしただけとのことでした。
…………………………………………………………………………

今回伺ったお話の中で圧巻だったのは、司修さんの描かれた『グスコーブドリの伝記』のその原画に使ったブルーの色のことです。

この絵本はほとんどブルー一色と言っていいぐらいなのですが、描き出すにあたってまずありとあらゆるブルーの絵の具を集めてみたら、それだけでも何と200種類もあったそうです。
そしてそれらをいろいろ混ぜ合わせて試し塗りを重ねていくわけですから、全部で果たしてどのぐらいのブルーの数になったことか!? 想像するだけでもビックリしてしまいます。

もちろんちゃんと使い分けて塗るわけですが、一旦塗ってしまうと、出来上がった色はほとんど(見た目には)変わらず、ご自分でもそれがいったいどういうブルーの掛け合わせによって出来た色なのか、ほとんどわからないぐらいになってしまうとのこと。

それでもやはりそれはどこかに違いがあるので、決してこのブルーはあのブルーとは違い、ここはこのブルー、そこはそのブルーでなければならないのです。別のブルーでは表せないものがあるのです。

200色のブルーをただそのまま塗るのでは無く、司修さんの想う「賢治のブルー」(グスコーブドリのブルー)を求めて、あらゆる色の組み合わせを試され、工夫をし尽くされた結果出来上がった、どれもが最もぴったりの、どうしてもそこはそのブルーでなければならないという「唯一のブルー」なのです。

そしてそのたくさんの「司修さんのブルー」の絵を観られたある心理学者の方が、「見た目ではそのブルーの色の違いを見分けることが出来なくても、そこに使われているブルーの色は全部どれもちゃんと脳や心には響いている筈(科学的にも)」と言われたそうです。
(この話を司修さんはもっと素敵な詩的な言葉で的確に表現されたのですが、私流の要約でごめんなさい)

これらのブルーはどれもまさに「魂の色」なんですね。
一人ひとりが「自分だけのブルー」の色を見つけた時、それは自分自身の魂と出逢ったということなのかもしれません。

ところがそれほど苦労して描き、塗り分けたたくさんのブルーが、残念なことに印刷してしまいますと、この数え切れないぐらいのブルーの色の、繊細で微妙な違いが平板になってしまい、本ではせっかっくのその色の美しさや感動の全部を伝え切れていないのは本当に惜しいです。

ですから、ぜひ、ぜひ原画の前に立って直截にご自分の目でじっくり味わってご覧いただけたらとお奨めします。

★ 司修展「宮澤賢治の世界」~ 賢治の東北への思い ~  
  9月16日(日)まで。(12:00~19:00 )
  ギャラリー「ヒルゲート」(京都 寺町通り/本能寺のすぐ近く)にて開催中!
 (2F はカフェ・ギャラリー ヒルゲート ここに展示されている「賢治」の横顔をお見逃し無く!!)

原画とは少し色が違っていますが、もちろん絵本も素晴らしく、パッと見た目にはその色の違いがわからなくても、この本を読んでいる間にここに使われている「全てのブルーの色の影響」を受け、そのそれぞれのブルーの色の波動がその人にとって必要な箇所にちゃんと届くことと思います。

『イーハトーヴォ幻想』(岩波書店刊)、『孫文の机』(白水社)と合わせて、ぜひこの絵本『グスクーブドリの伝記』を手に取っていただけたら幸いです。

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最後に、色のこと(カラー心理学)等について、とても深くて面白い、そして役に立つインタヴュー記事を見つけましたので、司修さんとは関係無いのですが、ついでながらご紹介します。

「スピボイ」(クエストカフェ)というスピリチュアルなサイトに掲載されている「関口智恵さん」という方のお話です。こちらもぜひ訪問してみてください。

司修さんの「200種類のブルー」の話や、関口さんの語られた色の話から、そう言えばアズミックアートの色の塗り方もまさにそういう感じかもしれないとふと思いました。

例えば下記掲載の『アルシス』の深いブルーの色も一体どうやってこの色に辿り着いたのかわからないぐらい、いろんな色が塗り重ねられています。そしてどうしても「この色」でなければこの絵のメッセージを伝えることは出来ないのです。

この絵をご覧になった方々が矛盾や葛藤を「止揚」して、「上昇気流」の流れにふわっと乗り、新しい世界へと旅立つ勇気がどうか出ますように☆ と願っています。
亡くなられた方々、行方不明の方々、遺された方々のこと、そして東北の大地の鎮魂と復興を心より祈りつつ、深い感謝と共に。





(この絵はすでに予約済ですが、現在展示中で「らく~ら」にて原画をご覧いただけます)

無断転載、コピー等はご遠慮ください。



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植物さんに聞く

2012-01-07 | 人物紹介
今から20年ぐらい前、1990年代の初めの頃、広島に三上晃先生という植物の研究家が住んでおられました。
どうしてその人のことを知ったのか?たぶん本で読んで個人的にも興味を持ったと思うのですが、前回お話したようにタウン誌の取材で、自宅(「日本相対磁波研究所」)を訪ねて行ったことがあります。

三上先生の実家は地元でも有名な旧家で、最初は先祖が遺した古文書の「埋蔵金」の真実を探求したり、また早くにお父さんを亡くしてその父親を慕う気持ちから(死後どうなるのか?を知りたいと)こういった研究の道に、(定年後)導かれていったそうです。
そして今風の言葉で言えば「チャネリング」になるのかもしれませんが、「山茶花」(サザンカ)の花からいろいろなことを教えてもらったり、可愛がっていた五葉松や紅葉など、庭の木々やさまざまな植物から、知りたい事を聞くことが出来るようになったのです。やがてその研究は「意識と絶対素粒子」といった領域にまで広がっていったのです!

その頃三上先生はすでに「太陽にも米や水の痕跡がある」とか、月や火星のことなども、その当時の探索や科学ではまだ証明されていなかったことを植物さんから聞いて、よく知っておられました。テレビ番組で取り上げられたこともあるようです。

残念ながら三上先生はもうすでに亡くなられましたが、本が何冊か出ていますので、興味を持たれた方や詳細を知りたい方はネットで検索してみてください。私が今手元に持っているのは、たま出版から出た『植物さんとの共同研究』という本です。

その器械は、工作や電気関係が得意な人なら誰でも「自分で作ろうと思えば作れる」ように、簡単なその回路略図もこの本には掲載されています。またこの本のおわり(後書き)には、スーパー・カミオカンデのニュートリノについての話なども載っています。そのような巨大な施設や膨大でお金のかかる実験設備が無くても、人は「一枚の葉っぱから瞬時にして真実を悟ることが出来る」ことを、三上先生はすでに予告されていたのでは?と思います。
今読み返してみると、当時の私には何のことかさっぱりわからなかったことや、その意味や意義もあらためてよく解ります。

三上先生は、例えば交通事故や病気などで意識の戻らない人が、「その人に合った植物を身に着ける」ことによって意識が目覚めたり、病人の症状が改善されたりすることを、何千人もの人々を実際に助けることで実証されていました。
また例えば人が死後に行く世界(人それぞれ違いますが)についても、その「星」を特定されていました。もちろん私も教えてもらいました。

そんなふうに、過去、現在、未来のあらゆることが植物さんに聞くことでなぜかわかったのです。三上先生のこの研究は、ノーベル賞に値するぐらいの凄いことだと、当時も今も私は直感的に信じています。

なぜこのような話を書いたかと言うと、三上先生のご逝去後、その研究がどうなったのか?あの器械や道具などはどうなったのか?誰かその跡を継いで研究が続いているのだろうか?と、今もずっと気になっているからです。
そしてもしあの器械があれば、フクシマのことも、行方不明のまままだ発見されていない人たちのことも、未来のことも、何でも植物さんに聞いてみることが出来るのになぁ~と、もったいなく思うからです。
三上先生もきっとそれを望んでおられ、あの星から日本や地球を、そして私のことも見守ってくれている気がします。

余談ですが、その時植物さんに聞いた話では、三上先生と私とは、縄文時代に神官と巫女だったり、また平安時代にも出逢っていたりして、深いご縁で繋がっていたようです。それがほんとうかどうかはわかりませんが、お会いした時はほんとうになつかしく、またそのご自宅のことも行く前からなぜか夢で知っていた!?感じで、とっても不思議でした。

その器械(植物さんとつながっている)は、こちらの質問に応じてスイッチが(その答えのイエス、ノーによって)ランプが点いたり消えたりしました。(上記に紹介した本『植物さんとの共同研究』にはその回路図が載っています)
このような仕組みは「オーリングテスト」とも共通していると思いますので、次回はその話を書きます。







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