あずまクラブ(越前の守)です。正しい心の探究をします。

”人間は夢とロマンを持つから動物とは決定的に違う”から始めます。正しい心の探究です。

「人格をつくる言葉」76 あの世の世界は、神の目から見て「公平」であり、あの世まで、「平等」にしてはいけない。

2024-09-12 08:27:05 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」76 あの世の世界は、神の目から見て「公平」であり、あの世まで、「平等」にしてはいけない。

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 大宇宙から地球、人類、山川草木すべてを創られた造物主エルカンターレは法則そのものであり、因果の理法が基本になっています。原因があってその結果があるというものであります。。原因はひとそれぞれでありますが、結果は原因に応じて現れるのであります。だから原因や結果を同じに見る「平等」はこの法則に反するのであります。チャンスは「平等」であるが「結果」までは「平等」ではないのです。それを結果まで「平等」にする行為や考えは悪になります。
 ゆえに地獄で苦しんでいる人は「不平等」だと嘆き喚くのです。因果の理法を知らないのです。知ろうとしないのです。
仏法真理の根幹が因果の理法なのです。
結果を良くしようとすれば、原因を糺し、成果に向けて努力しなければならないのです。
努力なくして良い結果を求めていることが地獄で苦しむ結果になるのです。
人間には仏性があるのは真実です。しかし、すぐに仏になれると考えるのは、努力を無視した考えです。魂に仏性を与えられるのは「平等」ですが、魂を磨かねばならないのです。磨いて仏性を光らすのが、この世に生まれた証なのです。
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「人格をつくる言葉」75 日本神道の問題点は、この世で偉い人を「神」にし、この世で「恨み心」を遺した人も「神」にまつり上げることである。

2024-09-11 09:07:05 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」75 日本神道の問題点は、この世で偉い人を「神」にし、この世で「恨み心」を遺した人も「神」にまつり上げることである。

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 この世で偉い人を「神」とまつり上げることは、造物主エルカンターレの許される範囲であろう。しかし、悪を犯して民衆から裁判されても反省をせずに、逆恨み続ける人がいるのです。
こんな人物からの「祟り」を鎮めるために「神」扱いをするのは、味噌と糞を同じに扱う事であります。
 悪人の恨み心を鎮めるのではなく、悪と戦う事(=悪人の反省を進める事)です。そうでなければ、大悪人が永遠に残ることになり、反対に増えてゆきます。こんな考えを基本にする宗教では、未来に渡って発展はないのです。
反省しなければ悪人が増えるだけなのです。
 触らぬ神にたたりなし、の言葉があります。祟る人を「神」として扱うから、無下に扱うと祟るのです。神ではなく反省を進める勇気が必要なのです。
 悪に目をつむるのは、もめごとを嫌う人には最善の方法かもしれませんが、悪を野放しにすることになるのです。とりあえずの解決策は問題解決を先延ばしにするだけですね。悪人が反省することなく、悪がはびこる方法です。
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「人格をつくる言葉」74 親子でも魂は別である。これは良い意味でも、悪い意味でも、真実である。

2024-09-10 08:50:42 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」74 親子でも魂は別である。これは良い意味でも、悪い意味でも、真実である。

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 親子は肉体の遺伝子を受け継いでいる。だから親と同じ価値観を持ち同じ考えや行動をする。しかし、現実は違う価値観を持ち互いにぶつかって親子の葛藤を生じています。この原因が、親子で会っても魂は違うということになります。
 魂の親は人類創造の神エルカンターレであるのです。肉体の親ではないのです。
全く同じ魂の仲間であるならば、それは霊界にいた環境と同じになり、魂の修行とはならないのであります。違った価値観や環境があってこそ、問題が発生して初めて考えるのです。何事もなくスムーズに済んだら問題はないが、せっかくの修行のチャンスをなくすのです。だから違った魂の親を選ぶのです。

 価値観が違ても互いに理解し合い、認め合うことは良いことであります。
また価値観の違いにより、なぜと悩む時期があるのは悪い意味ではありますが、だからこそ、考えることが出来るのです。なんでこんな親から生まれたのかがその人に与えられた、いや自分で選んだ親であり、それを認めた親であり、計画を赦してくれた神様なのであります。
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「人格をつくる言葉」73 命は有限である。だから大切に毎日を生きよ。

2024-09-09 10:56:19 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」73 命は有限である。だから大切に毎日を生きよ。

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 魂は永遠なのです。消滅しないのです。
魂を磨くためにこの世に肉体を持って生まれたのです。
その肉体を命とする期間は、せいぜい生きて100年ですから、必ずあの世へと帰ります。
ゆえにこの生きている間の命は有限である。
だから人生計画を達成するための命だから大切に生きよ、との言葉です。
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「人格をつくる言葉」72 男女が平等なのは、仏性においてであって、この世での使命や機能は、公平でなくてはならない。

2024-09-08 09:06:50 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」72 男女が平等なのは、仏性においてであって、この世での使命や機能は、公平でなくてはならない。

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 平等というのは個性を無視して同じに扱うことであるのです。結果まで平等にすると全員が怠け者になります。言い換えるとそれぞれの努力を無視するから、誰も努力をしなくなる=怠け者になって、社会が貧乏になるのです。

 生まれる前に、この世での人生計画を作り、神様に許可をいただけて初めて生まれることができるのです。その人生計画では、この世での使命や機能(環境)が書かれているのです。すなわち自分で選んだ人生になるわけで、言い訳ができる人生ではないのです。男と決めたら男の使命を、女と決めたら女の使命を果たすべきなのです。前世とは違う性であっても乗り越えるのが与えられた使命(=自分で作った計画)なのですから、頑張りましょう。
 許可をいただいたということは、その人にとって必ず問題解決ができるとされたからです。
 それを法律(LGBTQ)なんかで変更すると、自分で作った人生計画に外れますから、神様との約束を破ることになりますから、地獄行きになります。
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「人格をつくる言葉」71 釣り上げた魚に餌はやらないと考えている男は、実にさもしい。

2024-09-07 09:06:49 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」71 釣り上げた魚に餌はやらないと考えている男は、実にさもしい。

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 さもしいの意味をネットでは
①品性が下劣なさま。心根が卑しい。意地汚い。「—・い行為」「—・い根性」
②見苦しい。みすぼらしい。
とあった。
 釣った魚は自分のものと考えると、もう餌をやる必要はないのです。
しかし、魚にも魂があると考えると、一つの魂を無視したことになります。
 相対的に考えれば、魚の立場を自分に置き換えてみると、
上司や強い相手から自分を利用するだけしておいて、捨てられることと同じになります。
 欲につられて餌に食いついたら、食べられてしまった。己の餌の見極めができないとか、運命を嘆くとかはあるでしょう。釣り上げてからまた放してやる釣り人もいます。魚を傷つけるのを楽しむのでしょうか。釣る醍醐味を味合わせてもらうだけで、すまないとの思いで放してやるのでしょう。
 食べるために魚の命をいただくのは、せめて感謝の気持ちで「いただきます」が必要でしょうね。
 女性を射止めるために、プレゼントをして、射止めたら、自分の物で自由にできると考える男性は、女性からみると、自分勝手な男になります。
こんな男にだまされて、、となりますね。
互いに不幸な人生になります。
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「人格をつくる言葉」70 お布施を返還請求できると考えている、法律家、政治家、ジャーナリストは、閻魔様の前で、自分がもう一度裁かれることになる。

2024-09-06 18:47:55 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」70 お布施を返還請求できると考えている、、法律家、政治家、ジャーナリストは、閻魔様の前で、自分がもう一度裁かれることになる。

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 お布施の意味は、神様への感謝の形として出すものであり、神様からのお返しは一切ないのです。ですから信者が信じ切って差し出したものですから返還できるものではありません。
 ただし、神様へのお返しなのに、受け取る側の欲を満たすために、詐欺まがいで受け取るやり方は、邪教と言われて、お布施を出した側を冒涜する物です。
 詐欺であれば、返還請求は可能であろうが、真の信仰者のお布施までを返還請求にする、宗教音痴である。
 分からないものはすべて同じに扱う事は、勉強しない人達のやり方です。それらの人達は死後、勉強不足の自己責任を問われます。
その勉強不足で、人類を創られた創造主の神様へのお返し=真のお布施の精神を貶した罪は、神様のしもべの閻魔様のお怒りにふれるのです。
 お布施はビジネスと考える人達の死後は大変ですよ。


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「人格をつくる言葉」69 「天の蔵に富を積む」という思想は、異端・邪説でもなく、消費者契約とも違うものである。

2024-09-04 22:51:05 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」69 「天の蔵に富を積む」という思想は、異端・邪説でもなく、消費者契約とも違うものである。

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 あの世では、同じ考えや趣味を持った人たちが集まっている世界である。地獄では互いに傷つけあっているし、天国では互いに親切にしているのである。だから学ぶことが少ないのである。
 魂はこんな同じ連中ばかりの世界では飽きが来るので、もっと刺激のある事、魂を磨くことができる環境=この世を選び、親や兄弟友達を選んで、人生の大体の計画を立てて生まれて来るのである。
 しかし、ゼロから出発するために、魂は肉体に宿ると過去の記憶が一時的に消されるのである。そして肉体から発生する欲によってさまざまな問題に向かう事になる。そして、魂の事を忘れ、この世だけが全てと思って生きる人の多さよ。
 やがては肉体を脱ぎ捨てて(死んで)あの世に還るのだが、死後のための蓄財や、他人を親切にする(与える愛)をすれば、人徳が上がった状態であの世に還る。そして、神様からお返しがもらえるのだ。このお返しが「天の蔵の富」になるのである。
 自分本位で生きた人たちには、奪う愛であり、「天の蔵に富を積む」という与える愛の実践ができていないのであるから、神様からのお返しはないのである。
 閻魔様の前で、「お前の人生計画の出来栄えは?」と問われるのである。
老後の貯蓄はするけど、死後のための貯蓄(お布施)を少しでもしていないと大変なことになります。

 そんなこと信じられない、とも思うのは自由ですが、信じなかった責任は自分自身になります。それがまたきつ~い責任になるんです。
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「人格をつくる言葉」68 お金は、一部を貯金し(惜福)、一部を分福し、一部を将来のための投資(植福)に使え。

2024-09-04 08:47:37 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」68 お金は、一部を貯金し(惜福)、一部を分福し、一部を将来のための投資(植福)に使え。

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 働いたお金の使い道で、3つの道を同時に進めとの言葉である。
惜福は無駄遣いをせずに貯めよですね。分福は世のためや人のために使うことです。そして、将来のために投資するのですが、その将来に、老後(死ぬまでの間)のみではなく、死後の世界(魂だけになった本当の世界)の意味までを含めると、人間の魂を創られた神様へのお礼をしておかなくてはなりません。この恩返しを生きている間にできることは、福を植える(=植福)お布施になりますね。
言い換えるとお金の執着を少しでもなくしておく努力ですね。この執着がある間は、天国へはいけませんから。
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「人格をつくる言葉」67 人を使う立場にあっては、公平無視の心で、利益を分配せよ。

2024-09-03 15:03:43 | 日記
箴言集 「人格をつくる言葉」 大川隆法 著

「人格をつくる言葉」67 人を使う立場にあっては、公平無視の心で、利益を分配せよ。

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 平等に配分するのはよさそうに見えますが、良く働く人と、怠け者を同じに扱うことになります。そうすると、よく働く人はやる気がなくなって、皆が怠け者になります。
 公平は働きによって、あるいは実績によって、ひいきもなく差別もなく配分することです。実績や働きに応じた額をもらうと、自分の価値を公平に扱ってくれたとの満足感がでます。そして、もっと多くの報酬を願うならば、もっと働くか、実績を上げることが必要です。そして、もっと効率のよいやり方、新しい価値を生み出すことをしたら、ボーナスが多くなるわけです。

 無私の心とは、私腹を肥やすことをしない、身内や愛人など私的なことを優先したりせず、仕事と関係ないことを配分に結びつけないことです。
ゴマスリをしてくる人物を見抜くことも大切ですね。
親族で固める企業には無私が出来にくい経営が多いですね。
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