人間の持っている感覚器官は目(見る)耳(聞く)鼻(臭う)口(味)皮膚(触る)の五感があります。
この5つの感覚器官で判断します。
自分の5感ではなく他人の5感によって得られた情報を目なり耳で伝えられた場合に、他人の感覚器官の情報をそのまま本当のことと思えば「信じる」の意味になります。
反対に、なにか勘違いをしているのではないか?間違った解釈をしているのではないか?
などの疑問があると「信じない」ということになります。
そもそもこの五感で分かる世界が全ての世界なのか?
というとそうではありません。
紫外線、赤外線、超音波、電波、磁力などは五感で分かる世界ではないですが、
間接的な方法す、なわちセンサーを使って五感で分かる形にすれば分かります。
でもこれらのセンサーでは絶対分からない世界があります。
それは、人間が考える心の世界です。
愛、喜び、悲しみ、苦しみ、勇気、親切などです。
これらの心の働きが人間の全てなのです。命なのです。
その命は永遠のエネルギーなので、肉体がなくなってもこのエネルギーは生き続けるのです。
この不滅のエネルギーを魂と呼んでおり、死後も続いています。
心の働きを物体で表現する肉体(五感)がなくなった世界が死後の世界です。
愛の起源ブログより
死後の世界は、そう簡単に信じてもらえるものではありませんし、
仕組みとして、完全には証明が出来ないようなに創られていることも事実です。
もし、あの世の世界が目に見えたならば、誰もが「あの世の存在を信じる」と言うでしょうが、
「あの世の世界が、この世の世界と共存していて、生きている人間と同じように歩いている」
というような形で、この世の人と霊とが一緒に生活できるかというと、なかなか出来ないだろうと思います。
例えば、
「あの世の霊が話し掛けてくる。何か疑問を持ったら、すぐ、あの世の霊から答えが返ってくる。
あの世の霊が“ああしろ、こうしろ”と言う。」という世界だと、結構大変でしょう。
私は、実際に、そういう世界を生きているのですが、これで普通でいられるというのは大変なことです。
通常は、普通でいられません。
「変なことを言う」ということで、たいていの場合は隔離されてしまいます。
そういう世界を見ながら普通に生きるには大変な力がいります。
相当研ぎ澄まされた理性・知性を持っていないと、通常は、おかしくなるのです。
毎日毎日、霊体験が重なってくると、どうしても、行動も考えもおかしくなってきます。
これに耐えられる人は、やはり少ないのです。
霊的な世界が開かれた場合、よいものに導かれればよいのですが、そうでないものも入ってきやすい訳です。
悪霊などが、いろいろ取り憑いて来たりして、それを直接に感じるようになり、
声が聞こえ始めると、事実上、人間としての生存が不可能になり、ほとんど人生は終わりになります。
「霊の世界が見えたり、感知できたりしながら、それでもあえて仕事が出来る」というのは、
映画「ゴーストバスターズ」の世界でしょう。
“幽霊捕獲人”として幽霊を追いかけ回している人であれば、それが、商売なので、その通りなのでしょう。
それからもちろん、職業霊能者は、それで、仕事をしている訳です。
しかし、普通の人の場合は、「霊の世界が、確かな実感として、完全に証明出来る」というところまで行ってしまうと、
生活ができなくなります。
例えば、皆さんの死んだ祖父や、祖母、父や母が、皆さんの部屋で、
いつも皆さんを見ていたり、夜、寝ている時に来たりするような状態では、皆さんは、生活出来ないでしょう。
やはり、霊の声が聞こえず、霊の姿が見えない方がよいのです。
『霊的世界の本当の話』より
この5つの感覚器官で判断します。
自分の5感ではなく他人の5感によって得られた情報を目なり耳で伝えられた場合に、他人の感覚器官の情報をそのまま本当のことと思えば「信じる」の意味になります。
反対に、なにか勘違いをしているのではないか?間違った解釈をしているのではないか?
などの疑問があると「信じない」ということになります。
そもそもこの五感で分かる世界が全ての世界なのか?
というとそうではありません。
紫外線、赤外線、超音波、電波、磁力などは五感で分かる世界ではないですが、
間接的な方法す、なわちセンサーを使って五感で分かる形にすれば分かります。
でもこれらのセンサーでは絶対分からない世界があります。
それは、人間が考える心の世界です。
愛、喜び、悲しみ、苦しみ、勇気、親切などです。
これらの心の働きが人間の全てなのです。命なのです。
その命は永遠のエネルギーなので、肉体がなくなってもこのエネルギーは生き続けるのです。
この不滅のエネルギーを魂と呼んでおり、死後も続いています。
心の働きを物体で表現する肉体(五感)がなくなった世界が死後の世界です。
愛の起源ブログより
死後の世界は、そう簡単に信じてもらえるものではありませんし、
仕組みとして、完全には証明が出来ないようなに創られていることも事実です。
もし、あの世の世界が目に見えたならば、誰もが「あの世の存在を信じる」と言うでしょうが、
「あの世の世界が、この世の世界と共存していて、生きている人間と同じように歩いている」
というような形で、この世の人と霊とが一緒に生活できるかというと、なかなか出来ないだろうと思います。
例えば、
「あの世の霊が話し掛けてくる。何か疑問を持ったら、すぐ、あの世の霊から答えが返ってくる。
あの世の霊が“ああしろ、こうしろ”と言う。」という世界だと、結構大変でしょう。
私は、実際に、そういう世界を生きているのですが、これで普通でいられるというのは大変なことです。
通常は、普通でいられません。
「変なことを言う」ということで、たいていの場合は隔離されてしまいます。
そういう世界を見ながら普通に生きるには大変な力がいります。
相当研ぎ澄まされた理性・知性を持っていないと、通常は、おかしくなるのです。
毎日毎日、霊体験が重なってくると、どうしても、行動も考えもおかしくなってきます。
これに耐えられる人は、やはり少ないのです。
霊的な世界が開かれた場合、よいものに導かれればよいのですが、そうでないものも入ってきやすい訳です。
悪霊などが、いろいろ取り憑いて来たりして、それを直接に感じるようになり、
声が聞こえ始めると、事実上、人間としての生存が不可能になり、ほとんど人生は終わりになります。
「霊の世界が見えたり、感知できたりしながら、それでもあえて仕事が出来る」というのは、
映画「ゴーストバスターズ」の世界でしょう。
“幽霊捕獲人”として幽霊を追いかけ回している人であれば、それが、商売なので、その通りなのでしょう。
それからもちろん、職業霊能者は、それで、仕事をしている訳です。
しかし、普通の人の場合は、「霊の世界が、確かな実感として、完全に証明出来る」というところまで行ってしまうと、
生活ができなくなります。
例えば、皆さんの死んだ祖父や、祖母、父や母が、皆さんの部屋で、
いつも皆さんを見ていたり、夜、寝ている時に来たりするような状態では、皆さんは、生活出来ないでしょう。
やはり、霊の声が聞こえず、霊の姿が見えない方がよいのです。
『霊的世界の本当の話』より