すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

100%を求めない。

2014-12-15 16:29:49 | 心理メソッド・生き方

仲良しの友達と話していても、時々こんなことがある。

自分が大事にしたいと思っていることに、すっきり共感や同意をもらえないってこと。

たとえば、今の私なら、

やりたいことしかやりたくない

べき思考を止める

みたいなこと。


否定や反発がなくても、「わかるー」「そっかー」がないと、小さく傷つく。

あ、大切な友達に、わかってもらえないんだ、と。


この友達とは本当は合わない?
私の大事にしたいものって本当は間違ってる?

そうやって気持ちをこじらせると、その友達を失うか、自分を曲げるか、のどっちかになる。

でも、

大切な友達を失いたくない。
自分を曲げるのも、もういやだ。

うん、うん、そりゃそうだ。

ここで思考停止になってる場合じゃない。


その両方を叶えるのって、本当はそんなに難しくない。

今2人が重なるところで付き合えばいいんだね。合わないところは素通りしちゃえばいい。

そして、重なるところ、合わないところは、2人の環境によっても変わってくることは知っておこう。

合わないところばかりが目立ったら、しばらく会わなくたっていいんだしね。

また何かのタイミングで、重なるところが増えることも、きっとあるのだろうし。


たった1人に、あるいは全員に、自分の100%をわかってもらおう、わかってもらおうとするから苦しくなる。

自分の100%を認めることができるのは自分だけなんだ。それだけで本当は十分なんだよね。

悲しくなったら、苦しくなったら、まずはしっかりやったらいいんだね。

自分が自分の100%を認めるってこと。


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生きずらい人って誰のこと?

2014-12-14 14:00:08 | 世の中のこと
「障害」とか「障害者」というキーワードが、この頃頭をかすめます。

「身体または精神に何らかのハンディキャップをもち、日常生活・社会生活に相当の制限を持つ人」、そして「そのために、医療的・福祉的援助を必要とする人」というのが教科書的解釈になると思います。

確かにそうです。でも、これって障害者とは呼ばれない健常者(←この言葉嫌いですが)、あるいは援助する人たちによる定義だと思うのです。

仕事上で、障害者と呼ばれる人たち、そのお母さんたちとお付き合いがありますが、母という立場に立って初めて、私はこの「障害」とか「障害者」という言葉の危うさに直面しました。

息子の言葉が少し遅かったこともあり、たまたま相談した保健師にすぐに臨床心理士につながれ、「発達障害ではないかどうかの経過を見ましょう」という状態に置かれたことがあります。(結局、経過観察で終了でした。)

障害者の援助職だった私がですよ、この時素直に感じたのは、自分の息子が「障害者」にされてしまう、という恐怖でした。このていたらく、援助職失格って言われても仕方がない感情です。

だから、この恐怖が、自分の専門職としての日々も打ちのめすわけです。だって私は障害者やその親御さんに「障害があってもなくても、その人らしさが大切です」と声かけし、それが自分の本心だと思っていましたから。

でも、いざ自分が当事者になるかもしれないとなると、この「障害」「障害者」というワードが怖くて仕方がない。私が、「障害」「障害者」という言葉を甘くみていたんだと気づきました。

この矛盾は、医療関係者・福祉関係者、そして保育・教育に携わるような人が親になった時、だれもが抱えるものかもしれません。でも、この矛盾をやっぱり捨て置けない。母でもない、専門職でもない、ただ1人の人間として、このワードが人に与える「恐怖」はなんだろう、とずっと思ってきました。

自分やわが子がただ単に「みんなと違うといっても、必ずしも悪いことばかりでもない。教えてなくても3歳で九九ができてしまう。ずば抜けた美貌の持ち主で道を歩けばだれもが振り向く。そんな「違い」に悩む人はほとんどいないと思います。

では、同じく「みんなと違う」障害が、なぜ恐怖なのか。

それは、この言葉が、決して教科書的説明では説明しつくせない、忌むべき共通認識を背負う言葉で、それを私自身も共有していたということなんです。迷惑をかける人、助けてあげなくちゃならない人、自立が難しい人。障害者にはそんなレッテルが張られている。そう無意識に定義していたのです。

いや、仮に、迷惑をかける人、助けてあげなくちゃいけない人、自立が難しい人という側面があっても、それはそんなに怖いものなのか、ダメなことなのかということです。

つまり、自分が迷惑をかけること、助けてもらうこと、自立できない人になることを怖れているから、そのレッテルを張られた言葉を極端に怖れるわけなんです。

あるいは、逆も。迷惑をかけられること、助けてあげること、頼られる事が嫌な人も同じです。だから、自分が、我が子が、そんな状況になるのが怖い。

私のあの時の怖さにもこれが絡んでいたのでしょう。

これを自分に、他人に許せてしまえれば、障害の怖さはゆるむんです。間違いなく。

私は、許したい。許せる自分でありたい。そのために今、いろんな事を書いています。仮に自分や息子が「障害者」になったときにも、まずやることは、「許す」その一点なのだと、今の私は思っています。



障害の中でも、発達障害は、また独特のスティグマを背負う言葉です。発達障害の世界では、この「障害」というワードを「個性」「特性」と言い替えましょうよ、という事を言う専門家もいるようです。

でもね、だったら療育も訓練も必要ないのでは、とも言えてしまうんです。「個性」なのに、どうして訓練が必要なのか、「個性」なのに、どうしてみんなと同じようにするための療育が必要なのか、とも。「本人が集団に入って苦労するから」というのが定番の回答ですが、この本質ってなんだろう。

気付きませんか?

裏を返せば、個性を受け入れたくないという世界が前提とされているのです。だから、結局、少数の個性派の人たちが「みんな一緒」が得意な多数派の人たちに合わせるために、「障害」という言葉が必要になるってことなんです。

障害者ではない人から迷惑をかけられたり、頼られるのは嫌だけど、障害があるなら少しくらいの迷惑はいいよ、そういう行動も理解するよ、ということを言っているようなものですよね。多数派の人たちも、それを代弁する専門家も。

障害者であることを受け入れた個性派の人たちは、大人の対応をしている、人と違うあり方、迷惑を極端に忌避する人たちに合わせてあげてる、ってことも言えするんです。

だから、「◯◯障害」というワードも、自分が得な場合は使っても、そうでなさそうな場合は使う必要もないのでは、って私なら考えるし、そう援助します。「障害」があるから安心して助けられるという人に対しては使っても、「障害」を盾に傷つけてくる人がいるような環境であえて使う必要もありません。

療育も、受けたら本人が得をする、本人らしさを発揮する助けになる、というあくまで本人のためにこそあるものです。受けないと大変なことになる、手遅れになるという脅し、強制や矯正にフォーカスした療育はどんなに効果があっても、私ならわが子に受けさせたくありません。

ちなみに、「わが子の障害を認める」ことができないというお母さんもいると思います。これ、当たり前なんです。負のレッテルが覆われた「障害」を認めるなんて生理的に無謀ですもの。

使い古された言葉ですが、「ありのまま」を認めるでいいと思います。「わが子のありのままを認める」んです。みんなと違っても、迷惑をかけても、自立が難しくても、でも、だからこそ輝く何かをもっているわが子のありのままを。

もちろん「障害」を自分なりに捉え直して受け入れてる方はいるでしょう。でも、無理をすることもない。「障害」にひっかかる自分の感情を押しこめる必要はないと思うのです。



ところで、内海聡氏というドクターを知ってますか?

内科医のドクターですが、暴露本とか、トンデモ本とかを多数出版している人で、「門外漢な内科医が精神医療のことをつべこべいうな」とか多くの批判を受けている方です。

マクドナルド、ワクチン、電子レンジ、精神医療、薬物療法、発達障害などを、いわゆる常識とは違う角度から真っ向否定しています。悪意に縁取られた文体が売りなのか、親としては罪悪感をつつかれる扇動的な論調なので、読むに耐えない人も多いのかな、と。

私も好きというわけではないのですが、でも、この内海氏の言っていることから受け取るものはあります。傷つけられることを覚悟で聞けば、この人もすごいことを言っています。


「発達障害とわが娘」というタイトルのブログ記事は特に読みごたえがありました。

発達障害の人を「生きずらい人」と定義することに異を唱える内海氏。生きずらいのは、発達障害の人だけなのか?と。障害のあるなしにかかわらず、生きずらい人は生きずらい。「生きずらい」のだから援助や療育をと言う前に、その生きずらさは何から生まれるのか。特性、個性、障害のある人を生きずらくさせているのは、その特性、個性、障害のせいなのかということです。

そして、私なりの解釈を加えると、「生きずらい人」が先にいるのではなく、「生きずらい世の中」が先にあって「生きずらい人」が生まれるってことも言える。

つまり、発達障害の人が「人と違う」「みんなに合わせることができない」という理由で生きずらいのならば、発達障害でなくても「人と違う」「みんなと合わせることができない」人は、生きずらい世の中ってことです。

マイノリティの人たちは、ぜんぶ生きずらいってことです。実際、そうですよね。で、たぶんマジョリティー、多数派の健常者の多くも生きずらいんです。

「生きずらい」と勝手に忖度して少数派の人や発達障害の人を変えようとばかりするのか、「生きずらさ」を作っているのはこちらかもしれないと自分たちの意識を点検してその人たちのありのままに歩み寄ろうとするのか。

どっちを選ぶか。すべての生きずらさを和らげるための答えは、ここにあると思います。


「雨ニモマケズ」に泣ける時。

2014-12-12 10:03:16 | ひとりごと
辛いとき、悲しいとき、苦しいとき、落ち込んでいるとき、力強い励ましの言葉で持ち直すことはある。

ただ励ましすら痛いときというのもあって、そういう時には、その落ちている自分、暗くて惨めな自分と同種の波長を持つ音楽とか詩とか絵とか、説明に依らない、そんな何かに静かに寄り添ってもらうことで回復していくこともある。

ひたすら暗かった記者時代、取材と称して、ファミリー向けの「宮沢賢治作品の読み聞かせ会」に参加した。会場は、当時暮らしていた地方の県の中でも、取材で出向くこともめったにないような小さな町。県の中心部から車を走らせると、2時間くらいだった。

ファミリー向けの会なのになぜが夜の開催で、不安な気持ちに駆られながら暗いトンネル、それに続く長い山道を抜けていった。「来た道間違えた?」とさらに不安になった時に、オレンジ色の間接照明に照らされた、木造の、まだ出来たばかりの公民館にたどり着いた。

小さな子供たちが会場を駆け回るような、そんなほのぼのとした雰囲気の中で始まった読み聞かせ会。金沢の語り部の女性の語る「注文の多い料理店」と「風の又三郎」。その郷愁をそそる抒情的な語り口が、自分の心にあったかすり傷をなでてくれるようで心地よかった。

そして、フィナーレで聞いたのが東北訛りの「雨ニモマケズ」。

瞬時に、涙腺決壊だった。学校の教材で、詩集で、テレビで、何度となく聞いた、読んだ「雨ニモマケズ」なのに、何が違うんだろう。家族連れが集う温かい雰囲気の中で、若い女性記者一人、嗚咽しているという不思議な絵。嗚咽しながら、どこか冷静に、この詩の内容、一言一句に共感するわけでもないのに、この魂を揺さぶられる感じは、一体なんだろう、と思った。

帰り道は、同じ暗い山道なのに、なんだか晴れ晴れとして、恐怖なんて感じなかったってことも覚えている。

この話を、後日友人に話したら、自分も全く同じ経験をしたという。医師をしている彼女、家族の事、仕事の事、自分自身の事、いろんなことにもがいている時期に、図らずも「雨ニモマケズ」にやられたという。

そうなんだ。その時気づいた。私も友人も激しい葛藤の中にいて、「雨ニモマケズ」の内容に惹かれたというわけじゃないんだ。そこから立ち上ってくる宮沢賢治の心情、この詩を書いた時に賢治が抱えていたであろう葛藤に激しく共感してしまったということなんだろう。


そう、実は、今の私はやや暗くて、明るい人に会いたくないくらいに落ちている。励ましが少しうっとおしい。

心屋さんの言うところの、小さな「パカーン」を経験はしたけれども、その揺り戻しにあっている時期なのだと思う。

でも、これがフツーだと。当たり前だと。パカーンで掴んだものは宝物だけれど、パカーン以前の私はそれを簡単には納得したくないはずなんだ。以前の私、長く慣れ親しんできた私に少しずつお別れをする時間、それがもしかして今の時間で、それこそが生きる醍醐味なのかもしれないと思ったりもする。

だって、今の私は、そう、宮沢賢治でなくても、いろんなことが心にしみる。テレビ、音楽、誰かの何気ない言葉。順調な時には感じられなかったことが感じられる。見えなかったことが見えるんだもん。あらゆる芸術作品というのは、こういう時のためにあるのだと、改めて気づいたり。

精神的にも肉体的にもボロボロになって記者の仕事を辞めた時。少し問題のあった結婚を決めた時。二人目を作らない自分を認めた時。そのどれもがパカーンではあったけれど、でも振り返れば、何度も揺り戻しが来て、軌道修正して、そしてある程度時間がたって初めて「あの時勇気を出してよかった」ってことになったもの。パカーンのあと揺り戻しがこない葛藤なんて、私にはなかったのだから。

だから、うん、今のパカーンをしっかりと根付かせるためにも、ここはしっかり暗く、落ち込んでおこうと思う。

ひたすら暗かった過去のおかげで、今の私を慰めてくれるツールがたくさんあるというのも、これまたありがたし。



こんなのもまた、読み返そう。(谷川さんのあとがきもまた、圧巻。)






「嫌い」「嫌われる」からの卒業。

2014-12-11 11:17:02 | 育児・母稼業
今日は、この記事の続きみたいな感じで書いてみます。

最近、息子は「今日は幼稚園行きたくないんだよ」とか、「体操の時間が嫌いだよ」なんて言います。嫌だな、ということをあんまり口にしない飄々としたタイプだと思っていましたが、そうでもなかったみたい。

その代わりに、「○○君と○○君と○○ちゃん、家に呼びたいんだけどな」とか、「ゴーグル使ったら目が痛くなくなったから(プールのおけいこのある)早く土曜日になりたいよ」とも。いや、こういうプラスの事は以前も言っていたのですが、私自身が上手に拾えなかったのかもしれない。

先日は、「この前ね、○○君と○○君と○○君(息子とは合わないタイプかな?!)に、プラレールで『あっち行け!』って仲間外れにされたんだよー」とポツリ。

「そっか、で、どうしたの?なんか言い返してやった?」というと、「うん。『いいもんね!しーらない』ってね。ボク、強いんだよ」と息子。

「仲間外れにされたら悲しいと思うけど、○○(息子)には好きな子もいるし、○○のことを好きな子もいるんだから、そんな友だちと遊べばいいんじゃないかな。もちろん、一人で遊ぶのも楽しいよね」というと、「お母さんも、○○君とか○○ちゃんのママとか好きだもんね」と息子。

「うん、お母さんも好きな友だちとお話するのが好きなんだ」というと、もうすでに「この話終わった」と言わんばかりに、おもちゃで遊び始めた息子。「おいっ!」って感じですが、きっと彼の中でも「仲間外れ」が終ったんですね。


以前の私なら、「仲間外れ」というワードにこだわった。悲しくて、息子がかわいそうで、でも仲間外れくらいでクレームなんて言えやしないし、仲間外れにした集団と息子が仲良くなれるようにした方がいいのかな、と悶々悶々もんもんもんもん、だったんです。

そして、どれもやりたくなくて落ち込む。この落ち込んだ母、4歳の息子から「お母さん大丈夫だから。心配しないでよ」と泣いて言われたこともありました。

あ、息子は、言えなかったんだろうな。マイナスな事を言うと、私を悲しませるんじゃないかって、4歳なりに小さな心にインプットしたんだろうな、と今になってわかります。そして、「仲間外れ」はお母さんが悲しむほど惨めなことなんだ、というのも同じくインプットされたのかもしれないですね。

でも、私が自分自身に「嫌い」も「嫌われる」も「ママ集団とつるまない」も「一人の時間を大切にする」もきちんと認めたら、息子の「嫌い」も「嫌われる」も「仲間外れ」も「集団での一人遊び」も「ふうん、いいんじゃない。そういうのもあるんじゃない」と素直に認めることができてしまったんです。

息子の中にも、そういう気持ちが起きたってことですよね。


仲間外れにしたというお友だちの一人○○君を少し前に見かけました。以前は「強い子なのかな」とか、「息子の事どうして嫌いなのかな」とか、そんな目で見ていました。私が優しく声をかけることで息子にも優しくしてくれないかな、という媚びの気持ちもあったり。

でも、自分のこだわりが消えて、私があえて声をかける必要もないし、息子を彼に売り込む必要もないと思うと、そこにいるのは、ただの少しやんちゃな男の子です。息子とは、遊びの波長が合わないお友達でしかありません。

なんだろうな。

頭でわかっても、まだしっかりと腑に落ちてはなかったんでしょうね。でも、うん、ここにきて「嫌い」も「嫌われる」も、私の中である程度決着が付いたような気がします。

こーの支配からの卒業 🎶

かな。

(あっ、尾崎聞こっ)


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おへその話。

2014-12-10 09:49:44 | ひとりごと
私の悩みの種のひとつに、おへその炎症というのがある。

こいつのことを、通称へそエン君と名付けてみる。

へそエン君はかれこれ2年、時々やってきては、私をイラつかせたり、不安にさせる。

この夏頃からは、生理周期に合わせるようにやってくる。毎月一回以上の割合でやってきては、がまんできないほどではないけれでジワジワした痛みを放散し、しかも2週間は居座る。

ということは、月の3分の2以上、私はこのへそエン君に苦しめられていることになる。

最初にかかった皮膚科の先生は、気の弱そうなおばあちゃんの女医さんで、

「臍炎ですね。抗生剤と化膿止めの軟膏を出しとくので、一度徹底的に菌を叩きましょう。よくならなかったら、外科で手術ね。お腹に近いところだから、腹膜炎がこわいのよー」

と言われた。

しゅ、手術???

こ、コワイ、コワイ、コワイ!!!

そんな訳で、必死に抗生剤を飲んで、朝晩軟膏を欠かさず塗った。

幸運にも、症状は収まり、再度受診したとき、先生も、

「よかったですね」

と言ってくれた。

と思ったら、

「でも、癖になるようなら今度は外科ね」

なんて念押しされてしまった。

あー、もうここには来れない。だって、手術イヤなんだもん。絶対イヤなんだもん。怖いもん。

こうなったら、なんとしても、再発しないようにしなきゃ。

そうして私は、へそエン君が来るのを極度に恐れ、身構えた。

ネットで、臍炎についての情報を探すと、治療法や手術、他の病気やガンの危険性についての情報まで集まってきた。そして、追い詰められるようないやーな気分になった。

ただ、わかったことは、みんな言ってることがバラバラ。専門家も臍炎の経験者も、それぞれみんな違うことを言っている。しかも、私のように、膿が外に出ないような軽い状態で毎月炎症が起きる事例は見当たらなかった。

そのどれにもピンと来ないまま、私はへそエン君の事をずっと頭で考えていた。そして、どうやってこのへそエン君の事を追い出してやろう、消してやろうということにエネルギーを注いだ。

気功やっても軟膏つけても、やっぱり去っては来て、去っては来てを繰り返していた。

闘って闘って、へそエン君の存在を何度も何度も確かめようと、綿棒で突きすぎて、炎症が長引き、普段の鈍痛が激痛に変わることもあった。

なんか、疲れ果てた。外科なら外科でいいや。メス入れても、痛くてコワイ思いをしてもこんな鈍痛が続くのはゴメン。

もう一件、違う皮膚科に行って同じように言われたら従おう、と心に決めた。

で、ホームページはないけれど、なんとなく繁盛してそうな皮膚科に行った。そこも女医さんなんだけど、強気でも弱気でもない、あっけらかんとした雰囲気の先生だった。

私のへそエン君を綿棒で確かめてから、先生は言った。

「あんまり痛いなら外科かな、とも思ったけれど、この大きさなら全然そんな必要はないと思うわ。

垢と皮脂のヨゴレとかが固まって粉瘤という袋になるんだけど、身体中を探せば誰でもどこかにあるものなの。

免疫が落ちてる時に炎症が起きてるんだね。この大きさならいつか体内に吸収すると思う。ずっと、このままってことはないはずよ」

ずっと、このままってことはないはずよ。

ああ、私はこれが聞きたかったんだ。当たり前の事を言ってるだけです、という感じのふんわりとした先生の物言いに、肩の力が抜けた。

炎症がおさまった時にも軟膏を毎日毎日少しずつ塗って様子を見ようと言われた。

それにしても、あの先生、よくあんなリスキーなこと言えるなって感心した。「治ります」って、医師にとっては信頼と中傷を抱え込む諸刃の剣でしょ。先生の確信の言葉を盾に「全然良くなりませんけど」ってクレームを言う患者さんだっているはずなのに。でも、先生は逃げなかった。だから、勇気のある先生に好感を持った。


それから、しばらくたった。

へそエン君は、姿を消した



とはならなかった。


でも、そのかわりに、昨日ものすごいことに気づいてしまったのだ。

へそエン君の前に、私を時折苦しめていたのは、脇の下の湿疹の炎症。同じ場所ばかり、不定期でやってきては、ひと暴れして、ストロイドで封じ込めた。あれも結構悩みの種で、2年ほど私なりに小さな戦いを繰り返していた。

それが、ある時、へそエン君がやって来てから、脇の下の湿疹は嘘みたいに消えた。

ん??なんで??

もしや、前回の記事につながる?

私がへそエン君をやっつけようと戦闘を挑んでいる間に、脇の下への関心は失せた。やっつけようとも思わなくなっていた。つまり、脇の下の湿疹は私からの攻撃に反応する必要がなくなった。

代わりにやってきたへそエン君は?彼もまた、私から攻撃を受けてると思い、私の戦闘態勢に正直に応えるように出現してる?

となると、メスを入れて切開したら、万事OK!

のはずはない。

きっと、私がこの意識、病気、痛いもの、苦しいもの、暗いもの、自分とは違うものを悪として排除しようとする意識を強く持っている限り、へそエン君が滅びても、第二のへそエン君が出現する。新たな悪が生まれるんだ。そして、私が排除しようとする悪が私を過剰に攻撃するに違いない。


そうだったんだ。
私、意識のあり方を点検する時かもしれない。

40才を過ぎて人生の折り返しにきた私に、次々起きる身体の不調が教えてくれるメッセージは、身体だけでなく、私の心にもつながることなんだ。

身体の不調は、へそエン君は、私に言っている。

あなたが悪と認定するものは、元々あなたの中にもあるもの。仲良くしなくてもいいから、優しく、穏やかに迎えて、認めてね。そうしたら、そんなに強烈な悪さはしないから。そこにいてもいい。ただ、そうやって認めてくれるだけでいいんだから。

へそエン君は、その不思議な居座り方で、決定的なダメージを与えないのに、真綿で首を絞めるようなやり方で私を苦しめてきた。これ、どういう意味があるんだろう?実は、心の奥底で、考え続けてきたことだった。で、受けとった。その答えを。

へそエン君に、やっと心から言えそう。君は、そんなにひどいことしてないのに、こっちが君を見たくない、感じたくないばかりに、君を知らず知らず攻撃してたんだね。別に、君は私をそんなに苦しめてなかったよね。私が、私の意識が君に過剰反応したんだね。

君に自分を占領されるのはイヤだけど、でも君を認めている自分は嫌いじゃないんだ。年を重ねたご褒美って気もする。だから、いたいだけ、そこにいてもいいからね。


私の意識が伝わったかな。今回やってきたへそエン君、とってもマイルドです。


その人が本当に言いたいこと。

2014-12-08 13:44:00 | 日記・できごと
最近、仕事やら何やらバタバタしてしまい、ブログの更新がとどこおっていました。

そんなさなか、自分のトラウマ?恐れ?を刺激する出来事に遭遇し、果てしないエネルギーを注ぎ、やっと軟着陸したところです。

今日は、その出来事についてすこし脚色して書きたいと思います。(なので、前回の記事の続きはまた後日)

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仕事の関係で、面識のないBさんから速達で長文の手紙を受け取りました。内容は私の仕事のパートナーAさんの仕事ぶりについての非難。BさんはAさんの仕事の前任者です。

Bさんは、私にそのAさんを「なんとか説得して仕事のやり方を変えさせるべき」「あなたの考えが聞きたい」とパートナーとしての責任を追及しています。丁寧な言葉遣いではありますが、私は恐怖を感じました。

Aさんは、自由な心の持ち主で、制限のない、安心、大丈夫ベースで生きている人。仕事も自由な発想で進め、誰にダメだしされても全くぶれないタイプです。いつも、楽しそうに、他人を上手に巻きこみながら仕事をしています。

私は、Aさんの考え方に共感しているので彼女のやり方を全面支持する姿勢を鮮明にしています。

Bさんについての知識はほとんどありませんが、Aさんを非難する手紙の文面を見たところ、Aさんとは真逆のタイプなのでしょう。

人間関係の構図はこんな感じですが、私が恐怖を感じたのは、内容よりも、速達の手紙のその「長さ」、「面識のない人間に手紙」を送りつけるという行為、【疑問】【不安】という「マイナスな言葉」がたくさん散りばめられた、そのなんともいえない、切迫した雰囲気です。

言うことを聞かないと、何かされる?

そんな感じを私に抱かせる何かがあったのです。

Aさんに話したら、あっけらかんと「大丈夫だよ。私という人間を知らないんだなぁって思ったけどね。あなたは、何もしなくても大丈夫よ」と、ほとんど反応せず。

えっ?それだけ?

この雰囲気にほとんど反応しない人と、反応する私。

何が違うんだろう。

Aさんは、人の悪意とか、闇とか、そんなものをハナから受け取らない。だから、Bさんは矛先を変えたのかな。

それを受け取る私に。そう、私は、受け取る。私は人の悪意や闇、特に傷ついている人の心の叫びを受信するのです。

なぜ、受信するのかというと、そういう気持ちをわかってあげよう、わかってあげなくてはと、過剰に思ってしまうから。

援助職の落とし穴でもあるでしょう。仕事を通して、そうした叫びをたくさん、たくさん受信しつづけてきた私が、私生活でもそれをやってしまう。思えば仕事だけでもなく、私の周りの友達には、特に傷ついている人も多かった。そして、彼女たちの力になりたいと思い、一緒に悩んできました。

おそらく私も、なんらかの傷を、悪意を、闇を、人よりも余分に抱えてきた人間なのかもしれません。でも、「もう、それをやめよう」とここ数年は、意図的に違う自分に舵を切ってきたのです。

でも舵を切りすぎた?だから、相手に過剰反応する?あなたは間違っている、と私も相手に無意識で言っている?

ここまできてようやく、これは私の問題でもあると気づいたのです。

逆に舵を切った時、私は、かつての自分を排除したのかもしれない。相手の声を聞いて、聞きすぎて、苦しんだ自分を。そして、もしかして、そうした相手の叫び声すら排除しようとしてしまったのかもしれない。

かつての自分も、自分とは違うタイプの相手も排除しなくていいんだと決めて、もう一度Bさんの手紙を読み直しました。

自然と恐怖が消えて、BさんがAさんの批判を通して言いたい、本当の声が、素直に聞こえました。

お願いだから、私のやり方を認めて欲しい。
お願いだから、私の頑張りを見て欲しい。
お願いだから、私の苦しさをわかってほしい。
お願い、お願い、お願いだから。


そんな、悲痛な叫び声でした。


そして、私の中からは、こんな声が聞こえました。


わかりました。
あなたのやり方、あなたの頑張り、あなたの苦しさは、わかりました。
ただ、わたしは、あなたと同じではないのです。
それだけはお伝えします。
あなたはあなたでいい、わたしはわたしでいい。
わたしはそう思っています。




最初は返事を書くことも躊躇しましたが、その叫び声を受信した人間の務めとして、この思いを、全く違う表現のなかに込めて、短い文章の手紙を返信しました。

送ってみたら、やっと排除した自分の一部が戻ってきたようで、少し気持ちが楽になりました。

相手には、届いたのか、届いてないのか。

それは、もう、どちらでもいいや。



かつて、多くの人が私に言いました。

もう生きていても仕方ない。死にたいんです。

手首を切らないと、辛い気持ちをやり過ごせないんです。

あの人のこと、殺してやりたいくらい嫌いなんです。



身の毛もよだつような言葉を、かつての私は、援助者として「なんとかしてあげたい」という緊張のスタンスで聞いていました。今の私なら、相手が本当に言いたいことをただ「わかったよ」と、もう少し落ち着いた気持ちで聞ける気がします。






「嫌われる」理由。

2014-12-04 19:10:34 | 育児・母稼業
心屋さんの「嫌われてもいい」についての記事を書き、多くの皆さんにも読んでいただきました。

この「嫌われる」ということに、改めてある気づきを得る出来事がありました。

先日、息子の幼稚園の行事で園まで出かけたところ、ある女の子のママに声をかけられました。仮にAちゃんとします。

年少の時も同じクラスだったAちゃんですが、真面目で頑張り屋さんタイプの彼女とおちゃらけ担当の息子との接点は普段ほとんどありません。

「この前ね、年中にもなったんだし、Aに『好きな男の子いないの?』って聞いたのよ。そしたらね、少し黙ってたんだけど、恥ずかしそうに『○○くん(うちの息子)。だって優しいもん』なんて話してたよ」

「えーーーっ、それホント?むしろ、Aちゃんには嫌われてるんじゃないかって思ってたのよ」

「それはないよ。ツンデレなだけだよ」

私としては、まさに「それ、ないわ!」の境地です。

その理由は、父親参観の時に夫が撮影した映像にさかのぼります。円座になってリズムに合わせてお遊戯や歌をお父さんに披露する場面。Aちゃんと息子は隣同士。目立ちたがり屋の息子は前に出たいばっかりに、隣のAちゃんの邪魔をする格好に。

「もう、やだ」「あっち行ってよ」「ぶつからないでよ」

と、Aちゃんは険しい表情。

うん、そうだよね。ごめんね。邪魔だよね。母の心境はまさにこれてす。

で、

「あ、Aちゃんは息子のこと嫌いだろうな。イヤなことするから嫌いに違いないよな」

と一つの固定観念ができあがります。

その後も、息子とAちゃんについて別の女の子Bちゃんから情報が。

「わたし。Aちゃんと仲良しなんだ。でも、Aちゃんが○○君(息子)に『あそぼ』って言うの聞いたことない。仲良くないんだよね」

うん、そうなの、息子ね、Aちゃんに嫌われているからね。

そこでまた、息子は「嫌われている」という観念が強化されます。

でも、肝心要のAちゃんの本当の気持ちがどうかは、知らない。知らないのに、私は彼女の気持ちを勝手に想像していたのです。


でも、Aちゃんの心の中は真逆でした。息子の事を「好き」と感じてくれていたという事実です。

Aちゃんは、私に大切な事を教えてくれました。


○○すると嫌われる。
○○だから嫌われる。
○○しないと嫌われる。


この法則を使って私も息子を叱ることがありますが、これ本当に本当なのか?ということです。そう思っているのは私の思い込みなんじゃないのか?ということです。

これまでずっと、多かれ少なかれ、自分自身にそんな観念を注いできた気がします。


自分の意見を言うと嫌われる。
迷惑かけたら嫌われる。
人に合わせないと嫌われる。


その同じ見方を息子に植えつけてきたということです。そのほとんどが、息子の魅力を消火するおまじないになっていたかもしれないということです。

で、ね。

子供の方が、もっとおおらかに人を見ているという事実がありました。嫌な思いをさせられたり、喧嘩をしても、別にそれが嫌いな理由に必ずしもならないということ。

さらに言えば、のびのびと自分を出している人を「好き」と感じられる心を子供は持っているということ。時々嫌いになっても、時々見せてくれる「優しさ」をきちんと受けとってくれてるということ。大人みたいに簡単にレッテルを貼ったりしないということ。

これは、私にとって、まさに奇跡のような着想でした。


この事実を逆手にとって言えるのは、

メールの返信が早い(自分も急かされる)から嫌われることもある。
自分の意見をひっこめて(信頼できないという理由で)嫌われることもある。
人を褒めてばかりで(わざとらしい人という理由で)嫌われることもある。

って事ですよ。

嫌われないようにしたことが、もしかして、嫌われたり、軽く見られたり、どうでもいい人にされる理由になる可能性だってあるということです。少なくとも、その行為は、相手の中に、本物の「好き」を芽生えさせることはない気がします。

もう、それがわかったら、なんだかバカバカしくて。

嫌われないためにしたことが、いかに無駄なあがきだったかということです。このままで、あるがままで良かったんじゃんということです。

こうなると、もう、本当に「嫌われてもいい」になるんです。どうしたって嫌われる理由がわからないなら、そりゃ、もう、嫌う人には嫌っていただきましょう、の境地です。


(多分、続きます)

photo by pakutaso.com

徹底して失敗する自由。

2014-12-03 10:36:00 | 心理メソッド・生き方
大事件のさ中、二か月ぶりに美容院に出かけました。

朝方のいい気分と高揚感を引きずっていたせいもあってか、普段は担当のスタイリストさんとはあんまり話もしないんですが、いつになく会話が弾み、カラーリングの色もすすめられるまま明るめの色にしてしまうというお調子者ぶりを発揮。

まあでも、気分がいいというはいろんなことに挑戦したくなって、いいもんです。

そんなことはさておき、私はいわゆる女性雑誌を買って読むことはしないので、美容院に行くとスタイリストさんが選んでもってきてくれる雑誌をむさぼり読むのが常。この日はこれに釘付けに。

雑誌『LEE』11月号

前回も読んで、今回もたまたま持ってきてくれたのでまた読んで、うーっと感動してウルウルしてしまうという。

そう、「マリメッコにときめいて」の特集を読んでのことです。

マリメッコの代表的な柄、ユニッコが今年50周年なんだそうです。ケシの花をビビッドな色彩でデザインしたこの柄ですね。





ファブリックボードやカバン、マグカップなどで時々見かけますが、私は少し苦手な柄だったんです。「はっ、派手!」「この色無理」って感じで。でも、このデザインに込められた、デザイナー「マイヤ・イソラ」の哲学と逸話を読んで、見方が変わりました。

マリメッコの社長は、花をモチーフにしたデザインを採用しないという方針を長く貫いてきました。「花は実物が一番美しい」と。けれど、型にはまることを嫌い、何より自由を追求するマイヤ・イソラはそんなことはお構いなし、この作品を社長に提案するんです。

「こっ、これは」と、言ったかどうかわかりませんが、このデザインをひと目見てその美しさに魅了された社長の固定観念が一気に覆されます。「デザインされた花も美しい」と考えを改め、このデザインを採用し、やがてマリメッコを代表する伝説的なデザインになっていくのです。

マイヤ・イソラの天才性も、彼女が愛した「自由」と「ゆずらない自己信頼」がなかったら発揮されなかったかもしれません。

天才デザイナーと、目利きの社長のたぐいまれな邂逅が奇跡を生んだ、とも言えますが、こういうことって私たちの日常でも起こりうることですよね。

才能が先か、自己信頼が先か。自己信頼を先にやってみて、とんでもない奇跡が生まれる。とんでもないレベルじゃなくても、変わることってあるのかもって気にさせられます。

マイヤ・イソラの哲学は、「徹底して失敗する自由」なんだとか。

自分にも、きっと彼女に続くデザイナーたちにも注がれたこの哲学。こんな人の下で働きたい!って思いますよね。やる気でますよね。マイヤ・イソラだけでなく、北欧の国ってこういう哲学がベースにあるんでしょうね。「ユマニチュード」のフランスもそうか。ヨーロッパがそんな空気なのでしょうか。

この特集を読みながら「私は、息子に『徹底して失敗する自由』を担保できているか?」と自問自答して、反省しきり。やる気は、失敗を許されてこそ起きるもの。しかも「徹底して」。許す側の勇気も試されます。肝に銘じよう。


この号の「LEE」は他にも、女優の杏さんのインタビュー記事もあって面白かったです。彼女の精神のたたずまいも美しい。好きな音楽が、「浜田真理子さん」だそうで、そこにも惹かれてしまいました。

バックナンバーが欲しくなりましたが、紙版は売り切れみたいです。残念!前回見た時に買えばよかった(^_^;)





大事件発生!心屋さんのブログで紹介される。

2014-12-01 22:54:03 | 心理メソッド・生き方
昨日、人気心理カウンセラーの心屋仁之助さんにこのブログの記事を紹介していただくという奇跡的な幸せ体験、大事件が発生しました。

一昨日の夜、購入したてのBeトレのDVDを見ていた時のこと。

「どんなにいい内容のものも人の目に触れないと意味がない」

そのようなコメントをゲストで経営コンサルタントの石原明さんがされていて、それに背中を押されました。

これまで自己アピール的なことを排除してきた私なんですが、今回まさにタブーを破ってみたのです。

心屋メソッドの記事を書いた時に、ご本人にぜひ見てもらいたいな、あなたのことこんな風に見ている人間がいますよ、ということを伝えたい欲求がわきました。これなら心屋さんの心に届くはず、と、内容にも少し自信がありました。

でも、その手段がわからない。メールでメッセージを送っていいものか躊躇し、この記事をたまたま読んでくれた人が心屋さんに「こんなん見ました」なんて伝えてくれないかなぁ、なんて姑息なことを考えたり。あー、ヘタレですね。

まあ、でも時々心屋さんにメールを送ってみるかーって気分になる時もあったりもして、ただ不思議なことに、何度やってうまく送れないことが続いたんです。

一昨日もまた何度かうまくいかず、いつものように「こういう時はやめとけ」というサインかな、とも一瞬思いましたが、石原さんのコメントがかなり効いて、「いや、でもこのトラブルを起こしているのは自分の無意識なんじゃないか」と疑い、もう一度チャレンジしてみたんです。

と、なぜか今度はスムーズに送信完了。ありったけの勇気を出した時に起きる武者震いみたいなものが起きて自分でもびっくりです。

心屋さんに度々メッセージを送ってる方からしたら、笑われそうな小心者ぶりですね。



さて、今回の大事件のおかげで、心屋さんのブログから飛んできてくださった方たちが何名かコメントを残してくれました。

みなさん、素敵なコメントばかりで、本当に感謝の気持ちでいっぱいになりました。多くの人の目に触れるとマイナスなものも上がってくるのかな、悪意のコメントも来るのかな、と少しだけ緊張しましたが、心屋さんに集うのはみなさんやっぱり心の綺麗な方たちなんですね。世の中捨てたもんじゃない、味方はたくさんいるんだってことも、実感したりして。

心屋さんも、ブログの紹介だけでなく、実はありがとうメッセージもメールで返信してくれています。「頑張らない」をうたっているのに、なんか、そういうのもニクいですよね、心屋さんて。

こんな素敵な方たちに会えるなら、さらなるタブーも犯して、来年は、セミナーとか講演会にも通おうかな、なんて心が動いてます。どこかで、お会いできたら嬉しいです。



ちなみに、心屋メソッドだけでなく、それ以外の記事を読んでくださった方もたくさんいました。

10年前から書き始めたブログなんですが、覚え書き的な要素が強く、ほとんど人に読んでもらえるブログの体をなしていません。時々書いて、何年も放置して、また時々書いてを続けてきました。

以前の記事は、仕事の記事や自分で読み返すのも辛いネガティヴな記事も多く、いつからか非公開に切り替えたものもたくさんあります。だから、自己紹介も「はじめに」もないんです(^_^;)

最近書いたものも、細かく書きすぎてプライバシーにさわる可能性があるかなというものは、今日いったん非公開にしました。

なにせ、読者数50、アクセス200くらいのフツーのブログが昨日の心屋効果で一気にその数が200倍以上を記録し、嬉しさと一緒に戸惑いも覚えた次第です。

大事件のほとぼりがさめたら(一気かも?!)、少し加工してまたこっそりアップしときますので、「あっ、あの記事なくなってる~」という方、ぜひ時々遊びにきてくださいね。また、お読みいただけるようにしておきます!


少し浮き足だっている自分をすぐにひっこめようとはせず、でも自分らしさを失わず、これからもマイペースで書きたいことを書いていこうと思います。

ただ、少しだけ、読んでもらえる人を増やすことを意識しようかな!なんて野心も芽生えています。

あー、でも、楽しい1日でした。

心屋さん、みなさん、ありがとー(*^_^*)

また、よろしくお願いします!